「優菜」
「はぃっ」
「本当にここでよかったのか? ……いつも来てる場所なのに」
「そんなっ……! 滅相もございませんですとも!!」
 ハンドルを切りながらバックで駐車する彼に、ぶんぶんと横に首を振る。
 現在、近所のショッピングモールの、立体駐車場。
 だけど、そんなありきたりな場所であろうとも、今の私にはパラダイスに見える。
 ……きっと『恋は盲目』ってのと、同じような感じなんだろうな。
 エンジンを切った鍵の音で彼を見ると、1度だけまばたきしてから『そうか』と、あの極楽浄土スマイルを見せた。
「……降りないのか?」
「え!? いやいやいや、お、降りますともっ! はい!」
 思わずほわわんとまったりしていたら、先に車を降りた綜が声をかけてきた。
 ……あ……危ない危ない。
 いろんな意味で、踏み外しちゃった人になるところだったわ。
 転げるようにドアを開けて外に立ち、ゆっくりと片手で閉める。
 すぐに聞こえた、ドアロックの音。
 ――……と。
「え……?」
「人が多いからな。……行くぞ」
「あ。……う、うん」
 私のほうが躊躇してしまうほど、鮮やかな手さばきで手を取られた。
 ぎゅっと握られ、振っても解かれないような自分の手。
 だけど、なんだかそれが自分のモノじゃないように感じる。
「…………」
 はたして、これまでこんなふうに手を繋いだことが、何度あっただろう。
 ……でも、これだけは言える。
 たとえこれまで繋いだことがあった手であろうとも、それが『綜からのアプローチ』であったことは、一度もない……と。
 いつだって、私から綜に働きかけて来ていた。
 なのに……今では、まさに正反対。
 …………まさかこんな日が来るなんて。
「…………」
 フロアへ降りるためのエスカレーターへ乗っているのに、なんだか足元がふわふわと浮いているように思えた。
「どこから見る?」
「え?」
 半ば俯き加減でフロアに降り立った途端、綜が私を振り返った。
 咄嗟のことで言葉が出なかったというのもあるけれど、まさにこのときは、全然違うことを考えていたわけで。
「えー……っとぉ……んーと……あっ! あそこ、とかっ!」
 目的をこれから作るみたいにキョロキョロと探しながら、目に留まったお店。
 特に用事がないにもかかわらず、指差したまま叫ぶ。
「じゃ、行こう」
「あ……うん」
 早速そちらへ足を向けてくれた綜には申し訳ないんだけれど、ついつい、ビシッと指したはずの私の指が、しおしおと折れ曲がった。
 ……だって。
 まったく興味もなければ、用事の『よ』の字さえ思い浮かばないお店なんだもの。
 だいたい、綜と一緒に来ようと思ったこともなければ、綜に来てほしいとも思わなかったお店。

 『高級ジュエリーショップ』

 見ることすら自分が敬遠しているお店を、どうして彼に願ったりするものか。
「…………」
 チラ見なんかがまったく通用しなさそうな雰囲気だけに、1歩足を踏み入れる瞬間思わず深呼吸してから息を止めていた。
「いらっしゃいませ」
 高そうなスーツで身を固めた、いろんなモノが高そうな店員のおにーさん。
 にこやかな営業スマイルをぶら下げているところからして、きっと、何か買うまでは帰してもらえないと見た。
 ……ああもうっ……!
 どうせだったら、もっと安いものが売ってる上に、日常的かつ実用的なお店を選ぶんだった……!
 ショーケースにずらりと並んでいる高そうなキラキラ商品に、違う意味で一瞬目が眩んだ。
「どれか欲しいのがあるのか?」
「うぇ!?」
 帰りたい気持ちでいっぱいなのに、突拍子もないことをいきなり訊ねられて、ヘンなところから声が出る。
 ……っていうか……ねえ、綜。
 あなた、本気なの?
 ホントに、ホント……?
 ここ、露天のお店とかじゃないんだよ?
 値切りとかも通用しないんだよ?
 ついでに言うと――……私の格好、めちゃめちゃカジュアルもいいところなんだよ……?
 綜と違って、ふっつーのカットソーとふっつーのジーパンな私。
 相変わらず、綜はカジュアルながらもスーツを着てるから、全然浮いてない……んだけど……。
 …………うぅ……。
 やっぱ、浮いてますよね。
 無理ありますよね。
 周りにいるお客さんがこんなときに限って『自称セレブ』みたいなオバさまだけで、我ながら苦笑が漏れた。
「……気に入るものがないか?」
「へっ!? やっ……と、とんでもないっ!!」
 一瞬、目の前にいた笑顔のお兄さんがひきつったような気がして、慌てて綜に両手を振る。
 ……って、何よその不満げな顔は。
 まるで、このまま何も言わなければそれこそ『こんな店じゃ駄目だな。ほかに行くぞ』とか言い出しかねないような不機嫌ヅラ。
 ……えっと……。
 も……ももももしかして、もしかする、と……ひょっとして『性格がよくなったのは私に対してだけ』ってヤツですか……!?
 ものすごく個人的というか、部分的というか……。
 でも、私にとってみれば、それってものすごく贅沢でラッキーなこと。
 私にだけ、って………………やだもぉー!
 じわじわといろんな意味で納得できたような気がして、やっぱり顔がふにゃんと緩んだ。
「……そうか。気に入らないなら、仕方がない。ほかに――」
「あ!? や、ち、ちがっ……!」
 ものの1分も経ってないにもかかわらず、綜が私の手を掴んだままで、あっさりきびすを返しそうになった。
 慌てたのは私――……と、店員のお兄さん。
 まるで、『店の一大事!』とか『上モノの客を逃すわけには……!』みたいな慌てようで、思わず瞳が丸くなった。
 ……うぅ。
 いや、だからその……そ、そんなに不機嫌そうな顔しないでよ。
 ええと、ええっと……だから、その……っ……ああもう!!
「じゃあ、これっ!!」
 また何か言い出すんじゃないかと気が気じゃなくて、おろおろとした私は――……つい、よくも見ないで指をさした。
 それは、別に当てずっぽうとか、適当とかそういうんじゃなかった。
 なかったんだけど――……だけど、ね?
 最初にこのお店に入ったとき『あ、いいな』って思ったっていう、単なる『第一印象』にすぎなくて。
 ……本当なら、もっともっとちゃんとよく見るべきだったのに。
 確かにまぁ『ああもう、これでいいやっ!』って気がなかったかと言われれば、それは……その……『違う』とは言えないんだけれど。

「さすがはお客様。お目が高い」

 これまでと打って変わって、手揉みアンド満面の笑みを浮かべたお兄さんを見て『あ。ミスった』って思った。
 ……でも、もう遅い。
 だって彼はどこから取り出したのか、小さな電卓を叩き始めていたんだから。
「このピンクダイアモンドは、実に希少価値の高いものなんですよ」
 ケースから取り出されたネックレスの説明なんて、馬耳東風。
 彼をまっすぐに見ることができないだけじゃなくて、むしろ隣の綜はもっと見れない。
 ばっくんばっくん鼓動が高鳴ると同時に、べったりと両手のひらには大量の汗。
 ……ど……どうしよう。
 そのときの私には、ただただその言葉しかなかった。
 だけど、そんな私に対して、まさに『とどめ』とも呼べる1発を、お兄さんは食らわせたのだ。

「お会計は、キャッシュで? それとも……カードになさいますか?」

「っ……ひ!」
 買わぬなら、買うまで待とう、このお客。
 まさに、問答無用とも言えるべき笑顔で揃えた、二者択一。
 へんなしゃっくりが出た私に向けて放たれたコレが――……新手の押し売りにしか思えなかったのは、私が『ど』とか『超』とかがべったり付いてしまうくらいの庶民だからだったんだろうか。
 ……お母さん助けて……!
 綜にすがりつくことも謝ることもできず乾いた笑いを張りつかせたまま立ち尽していると、遠くのほうから――……おばあちゃんが私を手招いている姿が見えた。


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