プライスレス。
あの言葉が、今ほど恋しいことはない。
「……優菜?」
「へっ?」
「どうした。顔色がよくないぞ? ……気分でも悪いのか?」
「いやっ、そ、そんなことは……ない、けど……」
少しだけ眉を寄せて顔を覗き込んだ綜に、ふるふると頭を振って返事をする。
浮かぶのは、言わずもがな……乾ききった笑いだけ。
……はー……ぁああ……。
ああもう、ホントにどうしよ。
なんだか首のあたりが急激に凝ったみたいに重たく感じる。
でも、きっと気のせいなんかじゃない。
多分、間違いなく確かに首のこの部分だけが激しく緊張しているんだ。
「…………」
カードで一括。
きらりと光るプレートを取り出した綜は、店員のおにーさんに顔色ひとつ変えずに告げた。
きっと、店員の人も慣れてるんだろう。
『ありがとうございます』と言いながら浮かべていたのは、変わらぬ笑み。
むしろ、あの場でそのセリフを聞いて引きつっていたのは、きっと私だけ。
……だって、だって……く……クレジット1回払い、ってことだよ?
この、口にするのも恐ろしいほどの値段のブツを。
…………。
……ごくり。
ふと目線を下げればすぐそこに、先ほどと変わらぬ輝きを持っているネックレスがある。
大きな薄いピンクと、幾つかの小さな無色透明の……ダイヤモンド。
きらきらと色んな光を取り入れて反射させているそれらは、私にだけじゃなく、きっと見る人すべてに眩しさを与えているはず
……うぅう……。
こんなお高いもの、欲しいなんて思ってないのに……!
やんわりと綜に手を引かれながらも、ぎくしゃくとぎこちない動きは直ってくれない。
……綜、ホントのホントに……性格が変わっちゃったのかな。
普段だったら、とてもじゃないけれどあんなお店に連れてってくれたりしない。
それどころか、『お前にそれほどの価値があるのか?』なんて、嫌味をひとつふたつ言うに決まってる。
――……それなのに。
カードで支払を終えるや否や、彼はおもむろにそれを手に取ってから……驚くなかれ。
私に、わざわざ付けてくれたのだ。
びっくりしたなんてモンじゃない。
まるで、ドラマや映画さながらのシーン。
後ろ髪を掻き上げてから胸元に飾られたネックレスは、なんともいえないほどの感情で私をいっぱいにした。
……でも、きっとあのときにそういう気持ちになったのは、私だけじゃなかったと思う。
店内にいる人だけじゃなく、通りを歩いていた人まで、ため息をつかんばかりの視線を注いでいたのが、ひしひしと伝わって来たから。
……ちょっとだけ、優越感。
だけど、お店を出て歩き出すと、途端にどうしようという不安に駆られる。
だって、すっごく高いんだよ。コレ。
なのに……こんな、私なんかが付けたりして……。
「…………」
いいはず、ない。
少しだけ先を歩く綜の横顔を見ながら、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
だって、なんかこんなのって……綜じゃない、んだもん。
言動も、雰囲気も。
何もかもが、彼とは違う。
そりゃあもちろん、嬉しくないわけがない。
だけど……なんだか、これじゃあまるで私が彼を騙しているようで。
「……綜……」
「ん?」
ぎゅっと彼の手を握ってから小さく呟くと、わずかにこちらを振り返った。
……その、顔。
それだって、やっぱりいつもと違う。
まるで、あどけない男の子みたいな彼の眼差しは、普段私を見るような目とは全然違っていた。
「……あのっ……ごめん、ね……」
「どうして謝る?」
「だって……! だって、これ……すごく高いのに……」
立ち止まったまま、胸のあたりにそっと触れる。
あくまでも、ネックレスには触れないように。
「……そんなことを気にしてたのか?」
「え……?」
「値段なんて関係ないだろ? 優菜に似合うか似合わないか。それが1番大切なんじゃないのか?」
「っ……!」
その声。
言い方。
どれもこれもすべてが、普段の綜と同じだった。
それだけに、瞳が丸くなってつい何も言えなくなってしまう。
……だって、まさか……そんな。
綜の口からそんな言葉を貰えるなんて……これっぽっちも思わなかったから。
「ほら、行くぞ」
「あっ……!」
「食料品、買い物するんだろ?」
「……そ……それは……、うん…っ」
再び手を引かれ、そのまま食品売り場へと降りるエスカレーターに乗る。
……綜、だ。
ううん、そりゃあ確かにヘンなこと言ってるっていうのはわかるよ?
だけど、今の今までは普段の彼とダブるところを見つけられなかったから。
だからこそ、驚きつつも、すごくすごく嬉しかった。
……彼は、綜に違いない。
いつもと同じ、私のそばにいてくれる彼と。
「……っ」
なんて思っていたら、目が合った途端に優しく微笑まれた。
……うぅ……。
確かに、綜と同じだっていうのは十分わかってるんだけど……。
やっぱり、いきなりこんなふうに微笑まれると、心の準備ができてないからこそ結構……ぐっとクルのよね。
悩殺されるって、こういう感じなんだろうなぁ。
エスカレーターを下りながら熱くなった頬に手のひらを当てると、案の定、ひんやりと冷たく感じられた。
「ねぇ、綜。お昼何がいい?」
気を取り直して――……じゃないけれど。
カゴを乗せたカートを押しながら彼に訊ねる。
……もちろん、その前にしっかりと深呼吸と咳払いで整えてから。
「別に。なんでもいい」
「……ぅ。そこだけはいつもと同じなのね……」
「何か言ったか?」
「へっ!? あ、いやいやいや。なんでも」
てっきり、今の彼ならば『これ』というものが出てくるんじゃないかと思ってた。
だって、普段はいっつも『別に』とか『なんでもいい』とか、そんなんばっかりなんだもん。
そりゃあ、作ればなんでも文句言わずに食べてくれるから、こっちとしてはいいんだけど……。
でも、ちょっとだけ理想だったのよね。
好きな人に『何が食べたい?』って聞いたら、『○○がいいな』って返してもらえるのが。
「……はふ」
ちょっと、残念。
期待しすぎていた部分もあってか小さくため息をつくと、ちょっぴり肩が下がった気がする。
……でも、そうなると……いったい何を作ってあげようか。
目に映るいろいろな食材を見てはいると思うんだけれど、どれもこれもイマイチぴんと来るようなものがなかった。
「……それじゃ」
「ん?」
――……そんなときだ。
すぐ隣を歩いていた綜が、おもむろに口を開いたのは。
「……優菜が俺に食わせたいものは、なんだ?」
「え……?」
「俺は、それが食べたい」
「っ……」
あくまでも、自然体で。
彼に向き直ったまま見上げていたら、なんの前触れもなくにっこりと微笑まれた。
……こ……ここここれはっ……!
っていうか、いま、今っ!
今この瞬間、綜は……いったい何を言った……!?
「駄目か?」
「やっ……! そ、そんなこと、ない……」
「それじゃ、それで決まりだな」
「……うっ……うん」
まるで、好きな人と初めて長く喋ったみたいに。
私の顔は、それこそ『恋する乙女』もビックリな状態だった。
……や……やばい。
顔が俯いたまま、音を立てて崩れそう。
…………綜のことマトモになんか……見れないっ。
「………………」
しゅううう、と音を立てて蒸気が出てるんじゃないか。
そう思えるくらい、ばっくんばっくんと鼓動が激しく打ちつけ、そんでもって顔がかぁっと熱くなったまま。
……あぁ。
芹沢綜のベストスマイルで、失神する子の気持ちがわかった。
「優菜?」
「はひっ!?」
「大丈夫か? ……顔が赤いぞ」
「っ……!!」
いきなり、ぺたりと冷たい手のひらが額にあてがわれた。
そんでもって――……すぐそこには彼の……お顔が。
「……っくぅ……!」
「ッな……おい、優菜……? 優菜!!」
へにゃり、と身体から力が抜けた。
途端、世界が色褪せて歪む。
……あぁ……なんか気持ちいい。
っていうか、少し涼しいような……そんでもって、ふわふわしてるような……。
少し遠くから、私を呼ぶ綜。
だけど、どうして……ふたりもいるんだろう?
優しい声と、厳しい声と。
ふたつの彼の声がハモってきれいな音楽のように聞こえる。
これって……いいこと、だったのかな。
本当に――……綜のことを変えて……よかった、の……?
「…………」
そんな、誰かにではなく自分自身に向かう問い。
当然ながら答えを出すのは私しかいないんだけれど……今のこの時間だけは、何も考えられなかった。
真っ白い、光の中にある自分。
……ひとりぼっち。
周りを見ても何もなければ、手で触れられる何かもない。
だけど――……ただ、ひとつ。
まるで、誰かにしっかりと抱きしめられているかのような確かな感触のお陰で、不安とかそういうのはひとつもなく、ただただ安らかな気持ちでいられた。
そしてそれは……直感的に、彼のお陰だとすんなり浮かんだけれど。
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