「そもそもね、釣り合わないとか思っちゃってる時点で、負けてるのよ?」
「……え?」
「だって、人を好きになるのにイチイチそんなこと考えたりしないでしょ?」
 ちゅー、とパックのジュースを飲んだ絵里が、ひと息ついてから私を見つめた。
「憧れから始まるものだってあるでしょ? 芸能人然り、先輩然り、そして――……先生然り」
「……え……」
「羽織だって最初は、祐恭先生に憧れてたんじゃないの?」
 図星だった。
 ……図星をつかれることが、こんなにもびっくりするなんて思わなかった。
 衝撃。
 まさに、ひとことで言えばそれしかない。
 ……だって、あまりにもびっくりしすぎて、何も言葉が出てこなかったんだもん。
 おまけに、顔だって……口とかぱくぱくしちゃってるし。
 これじゃあ、絵里がニヤニヤしてるのも仕方がない。
 だって、バレバレなんだもん。
 あまりにも、正直に顔に出すぎた。
「アンタが祐恭先生を好きでいて、なんか問題でもあるの? 誰かに迷惑かけるの? ないでしょ?」
「え? ……あ……えっと、それは…………うん」
 間髪入れずに言葉を続けられ、なんとも情けない返事になった。
 だけど絵里は、そんな私を見ながらも楽しそうな顔を崩していない。
 ちょっとだけオネエサンのように見えて、なんだか不思議な感じだ。
「むしろね、アンタはあの祐恭先生にどうしてもってほど想われた彼女なのよ? 特別待遇なの!」
「えっと……そ、れは……その」
「ああもう! だから、シャキっとしなさいよ!!」
「わぁ!?」
「胸張って、どーんと構えてなさいよ! あのねぇ、どんだけ周りの人間が惚れていようと、あんたは笑って見てなさい! そんだけの余裕はあるはずでしょ!?」
「で、でもっ……!」
「でもじゃないの!! えぇいまどろっこしいわね! いーい? アンタは、彼女なんだから! でっかい余裕これでもかってくらい持ち合わせて、嫌ってほど見せつけてやんなさい! それが仕事なんだから!!」
「ぁいたっ!?」
 だんだん息を荒くしながらまくしたてられて、最後には『べちん』と鈍い音が背中に張り付いた。
 ……うぅ。い……痛い。
 しかも、微妙に手の届かない場所だからこそ、さすることもできず、ただただジンジンする痛みに耐えるだけ。
 ――……だったんだけど。
「……あ」
「大丈夫?」
 震えていたのがわかったのかもしれない。
 ひたり、と温かい手のひらの感触で首だけをそちらに向けると、くすくす笑いながら、葉月がそこを撫でてくれた。
「……ありがと」
「どういたしまして」
 にっこり微笑んだ葉月と目が合って、苦笑を返しながらもう1度絵里を見る。
 すると、何やら小さく『ダメよ、葉月ちゃん。羽織を甘やかしちゃ』なんて言葉が聞こえた気がした。
「でも、絵里ちゃんの言う通りだと思う」
「……え?」
「ため息ばっかりついてたら、せっかくの幸せが早足で逃げてっちゃうよ?」
 デジャヴ、だろうか。
 笑顔で言われた言葉が、昔ほかの誰かに言われたような感覚に陥って思わず口が開いた。
 だけど、何を言うこともできない。
 ……これは……さっきのに、似てる。
 絵里に、考えてたことをずばりと指摘された今と。

「人を好きになるのに、誰かの許可を得る必要はないんだから」

「っ……」
 いったい、いつから葉月は私たちの話を聞いていたんだろう。
 さっきまで、影も形も見えなかったって言うのに。
 ……何か、特別な力でもあるのかな。
 って、それはもう、実感しているんだけれど。
「……ん。そだね」
 だって、ふたりのお陰でいつの間にか失いかけていた自信っていうものが、ちゃんとまた備わっていたから。
 どんな魔法でも、マジックでもない、ストレートな言葉かけ。
 でも、それだからこそ素直に心の奥まで響く。
 深く、強く、いらない不安を貫いてくれながら。
「……ふたりとも、ありがとう」
 それぞれの顔をちゃんと見てから呟くと、ほっとしたような、ちょっとだけおかしそうな……そんな顔でうなずいてくれた。
 叱ってくれてこそ、ホントの友達。
 私が誤まった道を進まないように、っていう気持ちがそこにいっぱい詰まってるから。
 ……ありがと。
 笑顔で言葉を噛み締めながら、もう1度胸の中で感謝する。
 吹っきれたっていうのは……やっぱり、ちょっとだけあるから。
 1歩ずつ、1歩ずつ。
 丁寧で、遅々とした歩みであることに、変わりはないだろうと思う。
 ……でも、それでも……イイって思えるようになった。
 大丈夫だ、って。
 無理に繕ったりせず、私は私でいなきゃいけないんだから、って。
 そう、自分自身に言いかけることができ始めているように思えた。
 ……もう、迷わない。
 ううん、迷ってる暇なんかない。
 だって、私が私でちゃんとここにいなきゃ、彼の目印になるものがなくなっちゃうから。
 ちゃんと、戻って来てもらうためにも、私自身をちゃんと見てもらうためにも、背を正して自分自身を持っていなきゃいけないんだ、って改めて思うことができた。
 ……気付けた。
 だからこその、『ありがとう』。
 私、いい友達にそばに居てもらえて、すごく幸せだ。
「……そういえばさ」
「ん?」
「この話……私、しなかったっけ?」
 もぐもぐと購買のサンドイッチを食べ始めた絵里が、席についた葉月と私とを見比べながら言葉を続けた。
 葉月と私の前には、それぞれ同じ中身のお弁当。
 家に戻ってから、こうして交代で作るようにしてるんだよね。
 ……でも、なんか……ちょっとだけそのお陰で、自分を保ててるような気もする。
 『明日は何にしようかな』って、集中して考えることができるから。
 それに……なんだか姉妹みたいなんだよね。
 一緒のごはんを食べて、一緒に家を出て、家に帰ってからも何かといろいろ話してるし。
 ……その点も、ちょっと嬉しい。
 これまでは、なかった部分。
 それが、確実に増えているから。
「無人島への旅行」
「……え?」
「だから、旅行にね? 一緒に行くならどの芸能人がいいか、って……4月の後半だったかな。教室で、男の子たちが話してたのよ」
 ごっくん、とカツサンドを飲み込んでから、絵里が口元を抑えた。
「……もちろん、祐恭先生を交えてね」
「え? ……そうなの……?」
「ったり前でしょ? じゃなきゃ、わざわざ私が話すわけないじゃない」
 てっきり、まったく面識のない子たちの話だと思っていたのに、絵里は当然の顔で眉を寄せた。
 ……まさか、そこに彼が出てくるだなんて。
 そんなこと微塵も思ってなかったけれど、だからこそ改めて……ちょっとだけ前のめりになってしまう。
 すると、そんな私をすぐに察したのか、絵里はにやっとした笑みを浮かべてから頬杖をついた。
「さて。そのとき、祐恭先生は誰がいいと言ったでしょーか?」
「……え……」
 ちなみに、と言ってそのとき選択肢に挙がった芸能人の名前を絵里が教えてくれたけれど、正直、私はなんとも答えられない。
 だって、彼が芸能人を話題にして話すことなんて滅多にどころかこれまで一度もなかったし、彼の好みのタイプについても、特に聞いたことがなかった。
 ……ましてや、芸能人。
 一緒にテレビを見ていたって、彼が芸能人をそこまで特別な目で見ているような雰囲気もこれまで感じなかったし。
 正直わからない。
 でも、だからこそ……彼が誰って答えたのか、気になる。
「……誰、って答えたの?」
 ニヤニヤ笑ったままの絵里を見ていたら、自然に喉が鳴った。
 ――……けど。
「……え?」
 絵里が、そんな私を見て急におかしそうに笑い出したのだ。
 まるで、今までこらえていたモノが一気に出ちゃった、みたいな。
 苦しそうに笑われて、ほんの少し顔が赤くなる。
「……あー、ったくもー。羽織ってば、あまりにも予想通りの顔するから」
「…………だって……」
「心配しなくたって大丈夫よ。ホンっト、祐恭先生って、彼女馬鹿なんだなーって思ったもの」
 けらけら笑いながら、ぺちんと私の腕を叩いた彼女。
 でも、やっぱり私の顔は変わらない。
 ……だって、これだけじゃわかんないんだもん。
 彼が、なんて答えたのかってことが。

「どれも却下、って言ったのよ。あの先生は」

「……え……?」
「即答だったわよ、即答。ちらっと見ただけで、ものすんごーーく勝ち誇ったような、ほんっと鼻持ちならない腹の立つ顔だったわ」
 にっと笑った絵里が、瞳を細めた。
 その仕草。
 どことなくそこに彼と似たものを感じて、瞳が丸くなる。
 ……でも、もちろん理由はそれだけじゃない。
 彼が言った言葉にこそ、大きな大きな理由があるから。
「別に芸能人に興味もないし、ヘタなヤツよりよっぽど俺の彼女のほうがかわいいね」
「……っ……」
「だから、連れていくなら俺の彼女。……そう断言なさいましたわよ、お宅の旦那様は」
「だっ!?」
 だ……だだだ旦那様って……!
 思わず最後のところで、かぁっと顔が赤くなった。
 ……ううぅ。
 こんなあからさまな反応したりしたら、また絵里にちょっかい出されるだけなのに。
 …………でも、やっぱり……嬉しくて。
 彼がそんなふうに言ってくれたっていうのが、すごくすごく……照れちゃうけれど、でも幸せだと思う。
 誇りだと思う。
 彼が、そこまで私を想ってくれたというのが。
 ……やっぱり、何よりの証だ。
「だもん、しっかり腹に力入れなさいよ」
「……え?」
「そこまで愛される女は、そうそういないわよ?」
 とんっ、と背中をまた叩かれて彼女を見ると、今度は葉月までもが同じような顔をしていた。
 にっこりした、だけど力強い眼差し。

 ね? 大丈夫だって言ったじゃない。
 心配することは、何もないんだから。

 絵里と葉月それぞれの瞳は、確かにそう私に教えてくれていた。
「……ん」
 それに対してできるのは、同じように笑みを浮かべて――……ちゃんとした自信を持つこと。
 自分を信じなきゃいけない。
 ……そして……自分が信じると言った、彼のことも。
 大丈夫。
 絶対に、また……。
 そんな想いをしっかりと抱きながら、私もようやくお弁当にお箸を入れた。


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