「……あ」
「あ」
 昼休みも、もう終盤というときになって思わずそんな情けない声が出た。
 学食の入り口。
 そこで、ちょうど向こうから入って来た彼と、鉢合わせになってしまったのだ。
 ……な……んか、やっぱりちょっと気まずさが残る。
 さっきまでのやり取りで『がんばらなくちゃ』って気合が入ったのにもかかわらず、いざってときになると萎れてしまう。
 ……よくないクセ。
 それはわかってるんだけど、なんだか、ちゃんと言葉が出てこない。
 正確には、『何を言ったらいいのか』って悩んでいると言ってもいいけれど。
「……え、っと……あの。忘れ物……ですか?」
「え?」
「あっ、えと、あの……ごはんはもう済まされたんじゃないかなぁと思って」
 ギクシャクというよりは、カタコト。
 身振り手振りも硬ければ、口調も固い。
 ……やだな、どうしよう。
 なんか、顔が赤くなっちゃう。
 好きな人に対してるからっていうのはもちろんあるだろうけれど、まさかこんなに反応しちゃうなんて。
 …………でも、好き……なんだもん。
 涼しい顔をしている彼とは違って、こっちは内心どきどきばくばく。
 まるで、私まで本当に昔の自分に戻っちゃったみたい。
「ん、まぁ……そんなところかな」
 困ったような、少しだけ戸惑っているような。
 そんな表情のままで、彼が小さくうなずいた。
 目線は――……残念ながら、そこまで合ってはいない。
 ……なんだかんだ言いながらも、それはやっぱり寂しかった。
「あ、それじゃ……失礼します」
「うん。じゃ……また」
 何気ない会話でしかなかった。
 しかも、私たちの間には当然のように一定の距離があって。
 寂しい……っていうのとは、少し違う気もするけれどでも、逃げたりしなかった自分にもほっとしたし、彼もまたそう。
 距離を取られたりしないで、よかった。
 確かに、今は偶然会ってしまったからだとはいえ、それでも……多少は話をしてもらえた。
 ずっとじゃなかったけれど、それでも何度かは目が合ったし。
 ……進歩、っていうか……発展っていうか。
 ぺこりと頭を下げて彼の横をすり抜けると、しばらくしてから笑みが顔に浮かぶ。
 大丈夫。
 がんばれば、きっと……また、いつか。
 そんな思いをしっかりと噛み締めながら、教室へ足を向けることにした。

「…………」
 正直、まさかあのタイミングで彼女と出会うとは思ってなかった。
 それだけに、どう接していいものかと最初から悩みっぱなし。
 ……だが、それでも。
 彼女が俺に見せてくれた、笑顔。
 それにどれほど救われたことか――……彼女は知らないだろう。

『俺のことは……きっといつか、忘れるから』

 真正面から見つめて、真正面からぶつけた言葉。
 瞬間的に返された、心底傷ついた……悲哀の眼差し。
 アレがずっと頭から離れなくて、それだけに申し訳なくて。
 ……それでも。
 この前、葉月ちゃんに言われたことがあったからか、頭のどこかで『それじゃダメだ』と思っている自分がいるのは確か。
 アレは、ただの逃げにすぎない。
 それでいいのかと言われれば、もちろん答えはNO。
 なんの解決にもならないし、これからの自分にも繋がっていかない。
 ……なんであんなこと言ったんだろうな。
 ただのその場しのぎでしかないことは、自分でもわかってたはずなのに。
「…………」
 ……それでも、話しかけてもらえたのが何よりの進歩ではある。
 ほっとしたし、正直気持ちが少し楽になった。
 …………だが、もしかしたら話しかけてもらえたのは、こうして突然だったという偶然の産物にすぎないのかもしれない。
 敬遠されていて、それでも会ってしまって……それで、など。
 考えることはいくらでもあるし、悪いことはいくらでも覆い被さってくる。
 それでも――……やはり信じたかった。
 彼女は、これからもこうして俺を無理に避けたりしない……と。
 せめて、少しでもいいから可能性をくれる、と。
 そう……信じていたいと思っている自分がいた。
「………………」
 彼女がすり抜けて行った、隣。
 あれほど身近に彼女を感じたのは、もしかしたら初めてじゃないだろうか。
 止まらず、動いてはいた。
 それでも……近くにあったのは、事実。
 中庭を挟んで遠くにそびえる2号館の建物を見つめながら、小さくため息が漏れた。
 俺がこれからしなければいけないこと。
 そして――……したいと願うこと。
 そのどちらも、果たして正しいのかどうかなんて、まったくわからない。
 判断を下すのは、俺ではなくて――……彼女。
 彼女が認めてくれなければ、それはなんの意味もない。
 ……もう少し、器用ならよかったんだろうな。きっと。
 彼女が向かった2号館に背を向け、先ほどまで昼食を取っていたテーブルに戻る。
 あのとき置いたままの形で残っている、クリップでまとめられた書類。
 ここだけが、何も時間の影響を受けずに残っていてなんとも言えない気持ちになった。


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