ある意味、いつからか毎日の日課になってしまっていた。
 それがこの――……昼休みの探しもの。
 学食に入るまでは、何を探すでも、誰を探すでもないはずなのに。
 なのになぜか、ココに来ると無意識の内に目で追い求めるモノがある。
 今日は会えるんじゃないだろうか、と。
 見つけられれば、それで自分が安心する。
 ……できることなら、泣いていませんように。
 そんなことを、日々思いながら。
「…………」
 いつものように端のテーブルで孝之とともに昼食を摂り、やはりいつものようにその後は中庭へ向かう。
 あてもなく歩くワケじゃない。
 ……目線では、ちゃんとひとつだけ探しているんだ。
 ただ――……残念ながら、見つからないことのほうがずっと多いが。
 唯一、ここと学食が彼女との共通の場。
 学部が違うため、まず会うことはない。
 ……だからこそ、できるだけ会いたかった。
 せめて、少しでも話すことができれば……ただそれだけでも、十分今の俺自身の先を解く鍵になるから。
 ――……だが。
「……っ……」
 いつものように、あたりを見渡したとき。
 飛び込んできたのは、これまで俺が知っている彼女の姿とはまるで違う……彼女本人の姿だった。
「…………あ……」
 いつしか、そちらへ歩き出していた。
 そんな俺を彼女が先に見つけ、ともにいたふたりの子たちがその場から離れるのも見えた。
「それ……」
「え?」
 あいさつも忘れ、ただ真っ先に自分の口を開く。
 学食前の、階段下。
 そこで彼女の前に立つと、普段よりなぜかもう少し小さく感じられた。
「……えっと……あの……。い……イメチェン、とでも言うか……」
 これまでとは、明らかに違う。
 ……髪の長さが、これまでの半分程度。
 普段彼女を見るとき、まず目を引かれるのが肩下で揺れる髪だった。
 わずかな風にも動きを見せ、さらりと流れる。
 だからこそ――……ある意味衝撃だった。
 俺の知らない、彼女。
 その姿が、まさに今目の前にある。
「ヘン……ですか?」
 苦笑を浮かべて毛先をつまんだ彼女が、俺を見上げた。
 どこか照れくさそうな、だけどほのかに自信を漂わせている顔。
 それが、これまでの彼女とはまた違う印象を感じた理由であったのかもしれない。
「いや……少し驚いただけ。……ごめん、ヘンな意味じゃなかったんだけど」
「よかったぁ……。お兄ちゃんには、思いきり『子ども』って言われたんですよ」
 慌てて首を振り、言葉を選んで紡ぐ。
 だが、すぐに彼女はほっとしたような笑みを浮かべて、髪に触れていた手を離した。
 顎のあたりで揺れる、髪。
 これまでとは違う雰囲気で笑みを向けられ、一瞬瞳が丸くなる。
「……? ……あの……」
「え?」
「何か……ありました?」
 もしかしたら、あまりにもまじまじと見すぎてしまっていたせいかもしれない。
 ……それは、自分でもわかる。
 だが、言われてようやく気付いたというのも、少しはあって。
「……いや……。なんか……雰囲気、変わったね」
「そうですか?」
「うん」
 どんな言葉がいいのか迷ったものの、結局口をついて出たのはソレ。
 だが、それ以外にはどうにも言い表すことができない。
 ソレほどまで明らかに、違ったから。
 何がと言われてもひとことでは言えないのだが……それでも。
 明らかに、彼女との間に漂う雰囲気が違う。
 彼女から向けられている視線も、言葉も、そして声も。
 すべてにおいて、これまでのようなどこか遠慮がちなモノは感じられず、丸みを帯びたというか……。
 ……何より、表情。
 これまでも笑みを見せてくれていることはあったのに、なぜ、こうも何も言えなくなるのか。
 かわいいとか、キレイだとか。
 そんな表現ができるモノではなく、もっと内面からのモノ。
 …………そう。
 たとえるならばコレは――……彼女が俺に向けてくれている、想いのような。
 それも、ただの想いとはまた違う。
 これまでの俺に対するモノではなく、明らかに『今』の俺に対するモノだ。
 自惚れかもしれない。
 過剰な反応かもわからない。
 ……だが……違う、んだ。
 本当に。
 今の彼女は、俺をまっすぐ見つめて、その上で心底から……微笑んでくれているような、そんな気がする。
 言うなれば、根底にあるのは好意的なモノ。
 少なくとも、俺に対してプラスの思考を抱いてくれているというのが、ひしひしと伝わってくるようで。
「…………」
 彼女は俺と付き合っていたんだし、そんな感情を抱いてくれていてもなんら不思議ではない。
 ……だが、違うだろう?
 少なくともそれは、『俺』に対するモノじゃない。
 彼女が知っているころの俺であって、今じゃない。
 ……なのに、なぜか。
 彼女からは、これまでのような隔たりがまったく感じられず、素直に今の俺自身をきちんとした等身大で見てくれているような。
 そんな、安らかで穏やかな眼差しが確かに感じられた。
「……大丈夫です」
「え……?」
「私、もう……本当に大丈夫ですから」
 にっこり笑った彼女の髪が、風に吹かれて揺れた。
 頬に流れた髪を耳へかけたその下から現れたのは、屈託のない微笑み。
 まっすぐ目を見つめたままの彼女は、まっすぐしっかりと立っていて。
 俺が今まで向けられたことのなかった、本当の笑顔だと思えた。
「確かに、記憶が戻るのがいつかはわかりません。明日かもしれないし、明後日かもしれないし……1週間後、ひと月後、1年後……いつになるのかは、わかりません」
「…………」
「だけど、絶対に戻らないわけじゃないから。……だから……私はもう、ちゃんと決めたんです」
 はっきりとした、凛と響く声。
 背を正し、まっすぐ俺を見つめての……これはまるで、宣誓にも聞こえる。
 にこやかな笑顔の裏で、実はひどく泣いているんじゃないか。
 俺たちに見せる顔とは別の、彼女の素顔は笑ってないんじゃないか。
 ……そんな思いが、ずっとあった。
 不安だった。
 今日――……こうして彼女と会うまでは。
 本当は、彼女のこの姿を見たとき、真っ先に俺のせいだと思った。
 少なからず、責任を感じた。
 恐らくは、俺も好きだったはずの髪。
 ……だがそれも今では、彼女にとっては思い入れが違う。
 だから、切ったんじゃないのか。
 何かを断ち切るために。
 そして……いろいろなものを整理するために。
「…………」
 髪を手で抑えた彼女を見ながら、正直どちらなのかとまだ迷ってもいる。
 ……だが、この笑顔。
 これを見ている限りでは、彼女の言う通り、本当に何かを決意して俺の前に立っているようにも見える。
 果たして、どうなんだろうか。
 この、笑顔。
 これは……彼女の本心なんだろうか。
「…………そう、か」
 彼女を見たままで漏れた言葉。
 そんな俺の表情も、若干これまでとは違っていたような気がする。
 客観的に見ていないから、なんとも言えない。
 ……だが、少なくとも。
 これまでと違い、少しは強張りのようなモノが取れていたのは確かだと思う。


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