「あっ……こんにちは」
「こんにちは。……何してるの? そんなところで」
俺を見つけた途端、ぱっとあからさまに嬉しそうな顔をしてくれた彼女。
もう、昼休みも終わりに近い今。
彼女がこんな遠い場所にいるのが、なんとも腑に落ちなかった。
……しかも、その場所。
一般人がそうそう立ち入らないような、外階段にいるなんて。
「……えっと……」
少し苦笑を浮かべた彼女が、隣にいた純也さんを見た。
どうやら、何か話でもしていたんだろう。
緩く首を振った彼が、くすくす笑いながら肩をすくめたから。
「祐恭君」
「……はい?」
手すりにもたれた彼が、不意に俺を呼んだ。
2階ほどの高さにいるせいか、顔を上げると当然俺を見下ろす形になった彼が――……ニヤっと笑ったのがハッキリ見えて。
「……?」
これまでとは、また違う顔。
まるで何かを企みでもしているかのようで――……。
「ッ……!」
「きゃ……!?」
突然。
……いや。
本当に一瞬だった。
彼が彼女を抱きしめたのは。
「……ごめんね、羽織ちゃん」
「え!? あ、え……えっと……あの、いえっ……! 少し……びっくりしましたけれど」
少しだけ赤い顔をした彼女が、首を横に振った。
ほんの一瞬の出来事ゆえ、今はもう彼は彼女に触れてすらいない。
……だが。
彼女の眼差しは、穏やかそのもので。
「………………」
果たしてその態度は、当然……なんだろうか。
元々知り合いだったから?
幼馴染の彼氏だから?
……普通は違うだろう。
いくら親しい間柄だとはいえ、普通、あんな態度で済むのか……?
疑問というよりは、もっとずっと黒くて……そして、重たい感情。
いつしか彼らを睨みつけるようにしていたのに気付き、慌てて視線を戻す。
「……っ……あ! そ、それじゃ、そろそろ失礼します」
「ん? あー……そうだね。遅れるかも」
携帯を取り出した彼女が、小さく息を呑んでから彼に頭を下げた。
そんな様子を見てから、自分も腕時計に目をやる。
……確かに。
もう、じきに3限目が始まる時刻だ。
「それじゃ……失礼します」
「あ……。うん、それじゃ」
カンカンと音を立てて階段を下りてきた彼女が、純也さんを振り返ってから――……俺のすぐ隣に立った。
軽く頭を下げてくれた彼女にならい、こちらも会釈する。
穏やかな眼差し。
少しはにかんだような表情に、ついこちらも反応しそうになる。
「…………っ……」
一瞬、ふわりと香った……恐らくは香水。
知ってる匂いじゃないはずなのに、なぜか、やけに強く頭が反応する。
……どこかで、知ったモノのような。
そんな気持ちのあまりよくない曖昧さが身体に広がり、眉が寄る。
その、せいかもしれない。
教科書類を抱くようにして駆けていく彼女の背中が、角を曲がって見えなくなるまで……つい目が離せなかったのは。
「前までは、祐恭君から羽織ちゃんを取ったら、何も残らない感じだったんだけどな」
「……え?」
穏やかな表情を浮かべたまま、手すりにもたれて半ば身を乗り出しているような格好。
そんな純也さんを見上げたのだが、自然と視線が落ちた。
「でも、少し安心したよ」
「……安心……?」
「俺のこと、殴りたかったろ」
「っ……な……!」
考えてもなかった言葉。
だからこそ、弾かれるように顔がまたそちらに向く。
「まさか! そんなこと、俺……!」
「いや、いいんだよ。……その顔が見たかったんだから」
「……え……?」
くすくす笑った彼が、ゆっくり階段を降り始めた。
俺とは、まさに対称的な表情。
そのせいか、彼が何を意図しているのかよくわからない。
「っ……」
「その顔を見れて、ほっとしたよ」
目の前に立った純也さんが、瞳を細めてから呟いた。
いったい、何に対してのモノなのだろう。
だが、なぜか聞くまでもないような……いや、聞いてはいけないような。
そんな雰囲気があった。
「……その顔」
「え?」
「そういう顔が、1番祐恭君らしいな」
横を通り過ぎてからしばらくして、彼が足を止めた。
「俺のことを本気で殴りかかってきそうな、すげー怖い……本気の顔してるよ?」
イイ顔だな。
純也さんを振り返ると、なぜだか少し楽しそうで。
『それじゃ』と片手を挙げてすぐまた歩き始めると、それ以上は何も言わなかった。
「…………」
あとには、ほとんど今の状況を飲み込めていない自分だけ。
まさに、取り残されたような……そんな感じがする。
『イイ顔してる』
だが、俺には正直言って今自分がどんな顔をしているのかわからない。
……ただ、ひとつ。
決定的な何かをあげるとするならば、それは――……恐らく、コレ。
「…………」
いつの間にこうしていたのか。
ゆっくり開くのは……左手。
その手のひらのちょうど真ん中に当たる部分に残っている、赤い痕だ。
……コレが、俺の本心なのか……?
鋭く残っている、真新しい爪痕。
力強く握り締めていた拳こそが、無意識という存在に堕ちてしまっているはずの、俺の本音そのものであったのかもしれない。
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