何度も、というわけじゃない。
それでも、幾度かは足を運んだこの場所。
……最後に来たのは、この前。
絵里と一緒に、田代先生の研究室まで行ったときだ。
「…………」
ふと蘇る光景。
あのときの、顔。
……だけど……。
「………………」
ううん。
ここで引き返しはしない。
ちゃんと、聞くの。
私の気持ちを、どう受け止めてくれたか。
そして――……彼の、今の素直な気持ちを。
……正直言えば、それはものすごく怖いことで。
本当は、このまま引き返してしまいたいとも思う。
…………でも、だめ。
それは、もうしないの。
だって、これまでずっとそうしてしまって……それで勝手に傷ついて、後悔ばかりしてたんだから。
だから、それはもうおしまい。
もうやめる。
……これからは、違うんだから。
ううん、そうしなきゃいけないんだから。
後悔だけは、絶対にしない。
……そう、誓ったの。
彼の名前をちゃんと呼ぶことのできなかった、あの、運命の分かれ道になってしまったあの日から。
「…………」
今しかない。
なぜだかわからないけれど、でも、自然とそう思った。
今。今日。
このときにできなかったら、きっとこの先もずっとできないまま。
そんな気がして、だからもう、あとには引けない。
……もしかしたら、まだ彼はここにいないかもしれない。
今日の私たちはお昼を食べ始めるのが早かったから、昼休みがあと40分近く残っている。
……でも、それは学生である私の時間。
私なんかよりもずっと仕事が多くて、ずっと忙しい彼は、きっとまだお昼を食べている最中。
…………だけど。
「…………」
それは、あくまでも私の勝手な想像にすぎない。
もしかしたら、まだ研究室に残っているかもしれない。
それとも、もう食べ終えてとっくに戻っているかもしれない。
……本当のことは、自分の目でちゃんと確かめなくちゃ。
勝手な想像で考えを進めてしまうのだけは、絶対にだめ。
…………そう。
だめ、なんだよ。
勝手に決めちゃだめなの。
彼の気持ちも。
想いも。
そして――……これからのことも。
ひとりで悩むのは、もうおしまい。
これからは、悩みそうになったら彼にも聞いてみる。
……そう、するんだから。
「…………」
こくん、と小さく喉を鳴らせてから、ひと気のないエレベーターホールに向かう。
2基あるうちの、ひとつ。
入り口に近いほうのエレベーターを呼び寄せると、しばらくして2階から降りて来た。
……彼の研究室は、3階。
もう、本当にすぐそこ。
チャイムが鳴って口が開いた中に乗り込みながら、やっぱりどきどきと鼓動が早まって来た。
何度か押したことのあるボタン。
なのに今は、なぜか全然別のもののようにすら感じる。
――……行こう。
そう決めたんだから。
というか……ここまで来ておいて、行かないわけにはいかない。
こくん、と小さくうなずいてからボタンを押し、そして『閉』のボタンに手を伸ばす。
――……と、そのとき。
「っ……!」
「…………あ」
パタパタと靴音が近づいて来たかと思いきや、突然、閉まりかけたドアを手で押さえた人がいた。
目が合った途端、目を見張ると同時に少しだけ困ったような……そんな反応をした人。
それは紛れもなく、これから自分が会いに行こうとしていた彼自身だった。
「…………」
「…………」
本当は、沢山話したいことがある。
聞いてみたいことがある。
……なのに……あまりにも、唐突な展開。
それだけに、これまで考えていたいろいろなことがすべて飛んでしまったかのように、何ひとつ口が開かなかった。
……そして、隣に乗り込んだ彼も、同じ。
私が乗っているとわかった途端、隣に滑り込みはしたけれど……でも、そのあと何かを言うではなく。
ゆっくりと目の前で閉まるドア。
両手を組み合わせたままそれを見ていると、なんだかいつも以上にゆっくりとした動きだったように思えた。
「…………」
――……けれど、時間はすぐに経つ。
だって、彼の部屋は3階にあるし、私が押したのも……その階。
ほかにボタンは押されてないから、当然彼はそこで降りるんだろう。
……でも、それじゃあ私は?
私はいったい、どうしたらいい?
せっかく、こんなふうに乗り合わせたにもかかわらず、まったく口を聞けず。
それどころか、ちゃんと彼の顔を見ることもできない。
……ひどく、不自然。
そんな状況なのに、改めて彼と同じ場所を目指して、そしていろいろなことを聞くなんて……そんなの、できそうにない。
フロア表示のパネルも見ることもできず、ほぼ俯いたままの状態。
……なんで、こんなことになっちゃったんだろう。
もっと、想像では沢山喋れたのに。
彼を前にしても、何ひとつ困らず、ちゃんと言いたいことを言うつもりだったのに。
結局は、『つもり』でしかないのかな。
それで終わっちゃうの?
……今しかないのに。
だって、このエレベーターが着いちゃったら、私も彼も降りるのに。
そうしたらそこからは――……きっと、同じ方向には行けない。
だって、そうでしょ?
そんなの、不自然すぎるじゃない。
本当に用事があるのなら、最初からこの時間もちゃんと有意義に使うべきなんだもん。
……無駄に使える時間も余裕も、私にはない。
それがわかっているからこそ、この、沈黙というなんとも言いがたい無駄遣いになってしまった時間が、悔しくて歯がゆくて、そんな自分が情けなくてたまらなかった。
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