「わざわざ、お土産まで用意してくれてたんですか?」
「いや、そんな立派なモノじゃないんだけどね」
 玄関へ向かったところで土産を置きっぱなしだったのに気付き、冷蔵庫へ取りに戻ったモノ。
 これは、それこそ高校のころからよく瀬那家へ手土産として持参していたロールケーキだ。
 地元では有名というか知らない人間がいない、ポピュラーなロールケーキ。
 サイズがデカいのに値段が手ごろで、しかもうまい。
 孝之はもちろんだが、ご両親も甘い物が好きだと聞いて以来、この店のロールケーキを待ってくれているほどにまでなって正直嬉しかった。
 もしかしたら、彼女も食べたことがあるかもな。
 ……まぁ、孝之ががっつり独り占めしてなければ、の話だが。
「この2本は一応手土産として用意したんだけど、ほかにもう1本冷蔵庫に入ってるんだ」
「そうなんですか?」
「うん。苺のロールケーキなんだけど。だから――……まぁ、なんていうか……」
 エントランスから、ひと気のない駐車場へ向かうとき。
 コツコツと足音だけが響く静けさゆえに、気持ち声が小さくなる。

「明日、ソレを食べに来るって口実でウチに来ない?」

 こほん、と小さく咳払いをしたのは、気恥ずかしさがどうしても大きかったから。
 こんなふうにまるでモノで釣るような形で彼女を誘うというのに、抵抗がないワケじゃない。
 彼女が瞳を丸くしたのがわかって、余計にそちらを向けなくなった。
「嬉しい……っ」
「……え?」
「いいんですか? ホントに……本気に、しちゃいますよ?」
 足を止めた彼女を振り返ったら、それはそれは嬉しそうな顔をしてこちらをまっすぐ見つめた。
 笑顔で。
 明らかに、嬉しそうに。
「……もちろん」
「わぁい」
 ふっと漏れた笑みのままうなずくと、心底嬉しそうな声が聞こえてこっちまで嬉しくなる。
 素直に喜んでもらえたことも嬉しいのだが、自分の予想以上の反応をしてもらえたことも嬉しい。
 車の鍵を開けると、ハザードが点滅した。
 暗闇に光る、オレンジの光。
 隣にいた彼女の頬も一瞬その色に染まり、つい視線が奪われた。
「……ん?」
「あ、いえ。なんだか……嬉しくて」
 助手席へ回ったもののドアを開こうとしない彼女をルーフ越しに見つめると、目が合ってすぐ、手を横に振った。
 自分以外の人間が乗ることのなかった、この車。
 そこへ久しぶりに乗せたのは――……彼女だった。
 雨に打たれ、びしょ濡れになったあの日の午後。
 今の柔らかい笑みを浮かべている彼女とは違う雰囲気でもあり、お互いの関係でもあったワケだが、つい思い出すのは当時のことだ。
「じゃあ……お願いします」
「こちらこそ」
 ドアを開け、ゆっくり助手席へ乗り込んだ彼女にドアを閉めてからうなずく。
 キーを回すと、すぐに特有のエンジン音と振動が伝わって来た。
 そのとき、彼女がまた小さく笑った気がして、ギアに手を置きながらこちらも笑みが浮かぶ。
 久しぶり、だな。彼女を乗せるのは。
 そして――……初めてでもある。
 ふたりきりですごすことのできる権利を手に入れてから彼女を隣へ乗せたのも、ともに彼女の自宅へと向かうのも。
 ライトを付け、ギアを入れてからアクセルを踏み込む。
 いつもの、独りきりの車内とはまるで違う雰囲気。
 慣れた道を向かうとはいえ、やはり心持は普段とまったく違っていた。

「……なんか、どきどきしちゃう」
「ん?」
 ポーチライトが点けられているお陰で、外階段も難なく上がることができた瀬那家の玄関前。
 そこで息を整えていたら、彼女が胸元へ手を置いた。
「こんなふうに一緒に家に来るの、なんか……緊張しますね」
 えへへ、と笑った彼女にこちらも同意。
 小さくうなずくと、思わず咳払いが出た。
「…………」
「え?」
「……ヘンじゃない?」
「大丈夫ですよ」
 ネクタイを整えて彼女を見ると、一瞬瞳を丸くしたものの、すぐに柔らかく笑って首を横に振ってくれた。
 ドアの向こうには、彼女を1番よく知っている両親がいる。
 ……孝之と葉月ちゃんも、もちろんだろうが。
 それでも。
 やはり、ああいう形でとはいえ彼女を泣かせたのも事実ならば、恐らく彼女の両親から得られていたであろう信頼を欠いたのも事実。
 気まずいというよりは、緊張というか……。
「……え?」
「大丈夫ですよ。お父さんもお母さんも、祐恭さんに会えるのすごく楽しみにしてたんですから」
 下がっていた視線の先に、彼女が手を出した。
 つられるまま顔を見ると、『ねっ』と温かい笑みを浮かべていて。
「ありがとう」
「っ……そ、んな……。とんでもないです」
 久しぶりに口にしたような気がする、感謝の言葉。
 まっすぐ彼女を見て呟いたら、薄っすらと白い頬が染まったように見えた。
 優しさと、かわいらしさと。
 彼女は、俺にないモノをきちんとブレることなく持ってくれていて、心底嬉しくなる。
 大丈夫。
 彼女が隣にいてくれるならば、何も迷うことはない。
 ……困ることも、あとずさることも。
 今の俺にはもう、何も。
「それじゃ、行こうか」
「はいっ」
 ひと息ついてからうなずくと、インターフォンへ指を伸ばした。
 響いて聞こえたチャイムと、それに応える声。
 そして――……。
「お待ちしてました」
 ガチャ、と音を立てて開いたドアから顔を覗かせた、葉月ちゃん。
 今しがた聞こえた、パタパタという音は彼女の足音だったんだろう。
「こんばんは」
「どうぞ、お上がりください」
「……えへへ。なんだか、緊張するね」
「ふふ。そうね」
 軽く頭を下げると、葉月ちゃんもそれにならってくれた。
 そしてすぐ、隣にいた彼女と顔を見合わせてくすっと笑う。
 ……仲がいいな。
 通してもらって靴を脱ぎながら、小さく笑みが漏れる。
「ふたりとも、仲いいね」
「そうですか?」
「うん。姉妹みたいだ」
「えへへ」
 彼女に小さく囁くと、嬉しそうに笑ってからもう1度葉月ちゃんを見つめた。
 似てるんだよな、どことなく。
 笑顔がというか、声がというか。
 靴を揃えてからリビングへ足を向けると、ドアを開けてすぐ、よく知っているふたりが揃って座っていた。
「お邪魔します」
 若干1名も視界に入ったが、そちらは向かずにふたりへ頭を下げる。
 久しぶりに会う恩師と――……いや、ある意味ではふたりとも恩師のようなモノ。
 高校のころから何かとしょっちゅう遊びに来ていたのもあって、お袋さんにもかなりお世話になっているんだから。
「どうぞ。あ、そこに座ってね」
「はい」
 手のひらで示された場所へ、彼女とともに腰を下ろす。
 見慣れており、よく知っている場所であるこの家のリビング。
 なのだが、やはり心持が違っているせいか、若干いつもとは違う家のような雰囲気が漂っていた。


ひとつ戻る  目次へ  次へ