「……わ。すごい眺め」
「ん? ……あー、ホントだ」
 エスカレーターを乗り継いでやってきた、ここ。
 恋人岬まではあと少しで、このあたりもまだお土産屋さんや食事処が多くあった。
 あまり自覚はなかったんだけれど、いざ、海が見える場所に来ると喉が鳴るほどの高さ。
 まさに、絶景。
 海が青くてきらきら光っていて、きれいだと素直に思う。
「……意外と人が少ないな」
「ですね。もっと多いのかと思ってた」
 恋人の丘への入り口である、細い小道。
 木陰になっているそこは、本通りの人の多さと比べると出入りがなくて驚く。
 意外、と言えばそう。
 でも、私たちと同じように恋人だと思える人たちが多くあったからこそ、いったいどこに行ってしまったのかと不思議にも思う。
「……でも、よかったの? 鍵買わなくて」
「あ、鍵はいいんです。……付けるつもりじゃなかったので」
 恋人の丘には、フェンスだけじゃなく木の枝にまで南京錠が付けられている。
 恋人同士の誓いと、ふたりの想いを書いて形に残す……というのが目的で。
 だから、恋人の丘に行くカップルは大抵どこかのお店で南京錠を購入してから行く。
 ……でも、今回それは目的じゃない。
 だから、彼に言われたけれど首を横に振っていた。
「祐恭さん、付けたい人ですか?」
「いや。いらない人だけど」
「ですよね」
「うん」
 即答ぶりに思わず苦笑を浮かべ、手を繋いだまま――……ゆっくりと、小道に入る。
 私たちの前に入ったカップルが、龍恋の鐘を鳴らした。
 高い、よく響く音。
 カランカランと余韻が残って、顔を見合わせたふたりはとても幸せそうに笑っていた。
「……あ」
「行くよ」
 思わずそんな姿に見入ってしまっていたら、彼に手を引かれた。
 小さく笑われ、うなずいてから一緒に進む。
「……っ……すごい景色……」
 晴れ渡る空と、白い雲。
 そして、真っ青な海。
 ジャラジャラと南京錠が取り付けられているフェンスの向こうには、本当にきれいなパノラマが広がっている。
 ……去年、ここに来たときと同じような景色。
 だけど、あのときとはまた違うような気がする。
 …………そう。
 あのときとは違う。
 私は、ここへ彼と来るのが2度目だから。
「……実は……去年、ここに来たことがあるんです」
「え?」
「そのときは鍵を買ったんですけれど……でもやっぱり付けないで帰って来たの」
 ザ……と風が吹いてあたりの木々を大きく揺らした。
 髪がなびき、隣にいる彼の髪も揺らす。
 ……私、どんな顔してるだろう。
 笑えてる、よね?
 だって、私がここに来たいって言ったんだから。
 あのときよりも少ない、南京錠の数。
 やっぱり、定期的にお掃除代わりに撤去されているのは本当らしい。

「ディズニーランドと一緒で、ここに来ると別れるって噂もあるって知ってた?」
 彼にねだって、初めてこの場所に来たとき。
 あまりにもすごい数の南京錠に圧倒されていたら、彼がいたずらっぽく笑った。
「……もぅ。噂は噂ですよ」
 途中のお店で買った南京錠を取り出して、油性ペンで今日の日付を書き入れながら笑うと、彼は何も言わずに肩をすくめる。
 ここには、どうしてもって無理矢理彼にねだって連れて来てもらった。
 鍵を買ったときは止められなかった……のに、ここにきて彼は腕を組んだままいたずらっぽく笑う。
 らしいと言えば、らしいけれど。確かに。
「これを付けても、大丈夫です」
「……いや。大丈夫っていうか、俺たちは関係ないから言ってるんだけど」
「え? ――……っ……」
 唇を尖らせてから彼を見たとき――……不意に抱きしめられたんだよね。
 ぎゅ、って。
 身体を海に向けたまま、後ろから私を抱きしめた彼が耳元で小さく笑った。
「キレイだよ」
「っ……せん、せ……」
「海が」
「うー……もぉ!」
「……冗談」
 くすくすと耳元で笑われた声が、くすぐったくて。
 ……でも、嬉しくて。
 ペンを握り締めたまま彼の腕に触れると、大きな手のひらが鍵を私の手の中から外した。
「……なんだか、付けるのもったいなくなっちゃいました」
「いいの? しなくて」
「だって……撤去されちゃうの、やじゃないですか」
 散々、ここに来たいと言ったせいだろうか。
 鍵を付けない私を見て、彼がおかしそうに笑った。
「わ、笑わなくてもいいじゃないですかっ! だって――……」
「ごめんごめん。……いいよ、持って帰ろう」
「……え……?」
「俺も、付けないのには賛成」
 抱きしめてくれたまま、ごく近くでの囁き。
 それがくすぐったくもあり、でもやっぱりとても嬉しくて……こうしてもらえている時間が大好きで。
 ……嬉しかった。
 ここに、彼とこれたことが。
 初めての彼と、ずっと思い描いていたデートができたことが、とてもとても幸せだった。
「ここに一緒に来た、ってことでいいよね」
「うんっ」
 えへへ、と笑ってから日付だけ入った南京錠を彼から受け取り、手を繋いで来た道を戻る。
 ……あ。
 鐘は鳴らせばよかったかな。
 一瞬そうは思ったけれど、彼に言ったら『そんなアピールしなくても』と苦笑されていたに違いない。
 道を戻ると、そこには別のカップルが待機していた。
 どうやら、暗黙の了解らしい。
 ここにほかのカップルがいるときは、邪魔しない……みたいな。
 お店のほうまで離れてから、空いていたベンチに座ってペンを取り出す。
 だけど、日付だけの南京錠を見つめて……手が動かずに彼を見ていた。
「えっと……日付と名前ですか?」
「うん。まぁ、オーソドックスなのはそうだね。あと、ひとことかな」
「…………ひとこと……」
 キャップをつけたペンの先を顎に当てたまま、考えること数秒。
 先に、彼が口を開く。
「『〜できますように』とかは、なしね」
「え? どうしてですか?」
「『ずっと一緒にいられますように』は、当然だから願いじゃないだろ?」
「……そう、ですよね」
「嬉しそうな顔して」
「っ……だってぇ……」
 さらりと言われたセリフに、頬が緩んだ。
 だけど、その態度を流されることなく見られ、かぁっと顔が赤くもなる。
 でも、素直に嬉しかった。
 ……当然、かぁ。
 …………えへへ。嬉しい。
「え?」
「ちょっと貸して」
「あ、はい」
 ふたりの名前を書いたところで彼が手を出したのでペンと一緒に渡すと、手のひらで錠を包んで私に見えないようにしてからペンを動かした。
 ……何を書いてるんだろう。
 気になる。
 とっても。すごく。
「それじゃ帰るか」
「えっ? 見せてください」
「何を?」
「何じゃないですよー! どうしてポケットに入れちゃうんですか?」
「……内緒」
「えぇ!?」
「ほら。見たら効果がなくなっちゃうかもしれないし」
「そんなぁ! そんなの、初めて聞きましたよ?」
 立ち上がってさっさと歩き始めてしまった彼のあとをついていくものの、ひらひらと手を振って一切取り合ってくれず。
 結局、そのあとも何度かお願いしたのに、『内緒』と笑うだけで見せてもらうことはできなかった。

「……去年」
「ごめんなさい……黙ってて」
 ぽつりと呟いた彼に、視線を落としたまま小さく謝罪する。
 あのとき、彼が鍵になんて書いたのか――……忘れてたわけじゃない。
 だけど、あまりしつこく言うのも嫌がられたらヤだなって思ったから。
 だから……聞くことはなかった。
 そうしている内に、今日、こうしてもう1度江ノ島にくるまで、思い出さなかったんだよね。実際。
 そういえば……と思ったことはもちろんあったけれど、口に出してまで聞くことはなかった。
 結局、江の島に彼と来ることもなかったから。
 ……そう。
 今日までは。一度も。


ひとつ戻る  目次へ  次へ