「…………」
去年の光景があまりにも色鮮やかに蘇るから、鐘を前にしても何もできなかった。
とても強く記憶に残っていて、それが……喜べない。
ひとりぼっち。
そんな独りよがりなことが浮かんでしまい、途端、どうしようもなく悲しくなった。
「……羽織?」
「…………っ……ごめ、なさ……」
じわりと景色が滲んで、ぽたり、と涙が頬を伝う。
顔を覗き込んだ彼が目を丸くしたのが、わかる。
……わかるのに、どうしようもなかった。
何もできなかった。
両手で口元を押さえ、なんでもないと首を横に振って――……彼に、抱きとめられる。
「少し休もうか」
彼の両手が肩に触れ、後ろから支えられる形で元来た道を戻る。
足が、重たい。
次に待っていたカップルがいたけれど、もちろんそちらを気にする余裕なんてなくて。
ただ……優しくて大きな彼の手のひらが触れているのが、嬉しかったのに申し訳なかった。
「っ……」
出てすぐのお店にあるベンチを促されて、座る前に『あ』と思う。
ここ、まだあったんだ。
……同じベンチ。
1番近くだったんだから何も不思議じゃないのに、あまりにも去年と何も変わっていない光景がありすぎて、つらい。
全部変わってればいい、とは言わないし思わない。
けれど……。
「……ごめんなさい」
「平気?」
「はい」
隣に座った彼にまず謝ると、優しい顔のまま私を気遣ってくれた。
……どうして泣いたりしたんだろう。
思い返してみても、情けなくてつらい。
彼に……申し訳ない。
だって、今と昔の彼と比べているみたいじゃない。
……ううん。みたい、じゃない。比べてるんだ……私は。
同じ人なのに。……何も変わってないのに。
それに――……今の彼は、前回のことを知らないのに。
「……実はさ。今回、江の島に行こうって言ったのは……カレンダーのことだけじゃないんだ」
「え……?」
はぁ、と大きく息をついて口元に当てていたハンドタオルをバッグへしまうと、彼がズボンのポケットに手を入れた。
「っ……!」
目の前に差し出された、それ。
鈍い金色の塊には、見覚えがある。
……それだけじゃない。
そこには――……彼の字があった。
整った、きれいな字。
はっきりとした、大きな彼の字が。
何度も見たことがあるから、見間違うはずがない。
『FOREVER MINE』
「……これ……!」
おずおずと両手を伸ばすと、そっと彼が渡してくれた。
冷たい、金属の感触。
見たことはなかった。だけど、耳で聞いて知っていたモノ。
「っ……」
内緒ね。
あのとき、書き終えた彼が一瞬見せたいたずらっぽい眼差しと……わずかに照れているような横顔が浮かんで、また、感情が高ぶる。
「……ごめん」
「っ……!」
「泣かせるつもりはなかったんだけど……」
……謝らせてしまった。彼を。
彼は何も悪くないのに。
私が泣いたから。
だから……彼が、謝ってしまった。
自分のせいだと、思わせてしまった。
違うのに。彼のせいじゃないのに。
……なのに。
「違うの……! ごめんなさい、違うっ……祐恭さんのせいじゃ、ないのに……っ」
慌てて涙を拭い、彼に向き直る。
だけど、彼は眉を寄せたまま私に手を伸ばすと、静かに頬へ触れた。
「随分前に、書斎で見つけたんだ。机の隅に置かれてた……コレを」
「……そうなんですか?」
「うん。日付と名前があるから、ああ俺の知らない記憶だなとは思ったんだけど……でも、字を書いた南京錠で思いつくのなんて江の島ぐらいだし。だから、聞けば何か知ってるんじゃないかって思ったんだけど……ごめん。余計なことしたみたいで」
「っ……そんなことないです……! 違うのっ! ……あの……去年、ここに来たときは……見せてもらえなかったから」
「これを?」
「……はい。内緒って、言われて」
あのとき、彼がどうしてこれを私に見せてくれなかったのかはわからない。
でも、書かれている字を見たら、なんとなく想像はつく。
あまりに予想外だったから、嬉しくて……嬉しすぎて、涙がまた溢れそうになったけれど。
「カレンダーの印はずっと気になってたけど、まさか江の島に行く約束をしていたなんて知らなかったから。この錠を見たのも随分前だったから、すっかり忘れてて……それで話を聞いたとき、とっさに思い出したっていうのもあるんだけど」
ぎゅ、と南京錠を握り締めると、彼が私の手の上に大きな手のひらを重ねた。
……この感触、すごく好き。
落ちつくし、何よりも安心する。
「……連れて来てくれて、ありがとうございます」
もしかしたら、ここにはもう来れなかったかもしれないのに。
彼が拒めば、それで終わってしまったのに。
なのに……何ひとつ拒まず、文句も言わず、付き合ってくれた。
――……泣いても尚、それを責めることなく。
「俺が果たせなかった、俺の約束だから」
「っ……」
「叶えられるのも、継げるのも、俺だけ。それができるのは、今の俺だからだよね?」
「祐恭、さん……」
「だから、言って。もしまだ『俺』と何か約束したことがあったなら。……今の俺なら、してあげられる」
そっと頬を撫でた彼が、手を離してから小さく笑った。
……どうしてこんなに優しいんだろう。
どうして、こんなに私を想ってくれるんだろう。
――……足りない。
私の、彼に対する優しさが目に見えて少なすぎるように思えて、情けなくなる。
「……ありがとう……」
ぎゅうっと錠を握り締めたまま呟くと、また溢れた涙がぽたりとそこへ落ちた。
……やだな。私。
これ以上彼に何を求めるつもりなんだろう。
…………私ばっかり。
こんなのって、いけないのに。
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