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 「へぇ、それじゃあいよいよ来週、入校予定?」
 「はい」
 結局、食事を始めてもお父さんたちが帰ってくることはなく、いつもと違う4人での食卓。
 そのせいか、話題もいつもとは少しだけ違っていた。
 というのも、彼にはまだ漠然としか話してなかったんだよね。
 いよいよこの夏休み期間中に、私も免許を取るべく自動車学校へ通い始めることは。
 
 ことの発端は、今から1週間ほど前。
 夕飯を食べ終えて2階へ上がろうとしたら、お母さんがちょいちょいと私を手招いた。
 「羽織。ちょっと」
 「なぁに?」
 「いいから。そこに座りなさい」
 「え? ……うん」
 思い返してみると、いつもと少しだけ雰囲気が違ってたんだよね。
 珍しくテーブルに両手を組んで置いているお父さんの隣に座ったお母さんが取り出したのは、小さなお菓子の箱。
 それこそ、いただきもののクッキーの缶みたいな、そんなものだった。
 「これ。あなたにあげるわ」
 「……なぁに……?」
 ふたりが正座していることもあって、おのずと私も正座する格好。
 テレビはついたままだし、ソファにはお兄ちゃんが座ってるしでいつもと同じはずなのに、やっぱり妙な緊張感みたいなものは漂っていた。
 「……? ッ……な……!?」
 差し出されたのは、1冊の通帳で。
 明記されているのは確かに自分の名前だけど、今までまったく見たことのない銀行の通帳だからこそ、ちょっとだけ怖かった。
 けれど。
 開いてみて、さらに驚いた。
 だって、そこには毎月決まった額が振り込まれていて、現在の残高はなんと100万を少し越えていたからだ。
 「え、ちょっ……な……! 何これ!?」
 「アンタのよ」
 「うえぇえ!? ちょっ……や……いや、あのっ……あの! え!? やだ、なんで!?」
 びっくりした拍子にテーブルへ通帳を落とし、ぶんぶんと首を振る。
 だけど、その様子があまりにもおかしかったのか、お母さんは口を開けて笑い始めた。
 「それね、アンタが自由に使っていいお金なのよ」
 「えぇ!? なっ……だ、だって! ひゃっ……100万円、だよ!? やだ、なにこの大金! 私知らない!」
 「アンタが知らないのは当然でしょ? お父さんとお母さんが積み立ててたんだから」
 「うえぇえ……!?」
 ばくばくと心臓がうるさくて、赤くなった顔はまだまだ戻りそうにない。
 なのに、目の前のふたりは落ち着き払った様子でにこやかな笑みを浮かべた。
 「そのお金はね、アンタが大学に入ったら渡すつもりでいたお金なのよ」
 「……え?」
 何がどうなっているのかわけがわからずにいたら、ちらりとお母さんがお兄ちゃんを見た。
 キッチンからやってきた葉月が彼の隣に座り、不思議そうな顔をする。
 だけど、私の手元に通帳が握られているのを見たのか、にっこり微笑んだ。
 「そのお金を増やすも減らすも、好きにしていいわ」
 「え……」
 「好きに使っていいの。ただし、それ以上はあげられないからね。結婚資金に取っておきたかったら、きちんと自分で考えるもよし、祐恭君に相談するもよし。それはアンタが決めなさい」
 「っ……」
 結婚資金、なんていう具体的な名称が出たことにも驚いたけれど、祐恭さんの名前が出たことでつい顔が赤くなった。
 ……結婚資金……って、そんな。
 私、まだ大学入ったばっかりだし…………って、その前に。
 「え、じゃあ、お兄ちゃんももらったの? このお金」
 「まーな。お陰で免許代が浮いた」
 お兄ちゃんを見ると、こちらには目もくれずにテレビの野球を見たままで肩をすくめた。
 ……そっか。
 免許を取りに行きたいなぁとは思ってたけれど、バイトに関しては以前祐恭さんに聞いて『ダメだ』と言われていたのでどうしようかな、って思ってたんだよね。
 でも、このお金を自由にしていいってことなら確かに、免許代が確保できる。
 「…………」
 免許、取りに行けるんだ。
 絵里と話はしてたけれど、まだ実際お金が手元にないから……って言ったんだけど、これでいよいよ一歩踏み出せる。
 「そういやアンタ。バイトしてたのよねー、当時。どう? 少しは増えた? 元金」
 「元金て……借金じゃねーんだからよ。でもま、それなりに増えちゃいる」
 「へぇ。アンタらしくないわね」
 「……は?」
 「どうせ人に貰ったあぶく銭だから、ぱーっと使っちゃうもんだと思ったのに」
 「あのな。人をなんだと思ってやがる。……ち。これでもいろいろ考えてるっつーの」
 「あぁ、なるほど。結婚資金ねー。それはいいことだわ」
 「ぶ! なんでそうなる!」
 「あら、違うの? ルナちゃん、期待してていいみたいよー。この子、親族呼んで派手な式できるくらいは貯めてるらしいから」
 「待て!」
 冷茶を盛大に噴きだしかけたお兄ちゃんを見ながらも、葉月は困ったような嬉しそうな、曖昧な表情を浮かべていた。
 ……うう、気持ちはよくわかる。
 だって、まだ大学に入ったばかりなのに、結婚がどうのとか言われても……ねぇ。
 やっぱり、まだまだピンとこない。
 「ていうわけだから、ま、大事に使ってね」
 「あ……」
 にっこり笑って手を叩いたお母さんに向き直ると、お父さんも笑ってうなずいたのが見えた。
 ……私のために貯めてくれた、大切なお金。
 それを渡されたということは、これから『自分で考えて自分で生きなさい』と言われたのと同じような気がして、少しだけ“大人の仲間入り”ができたように思えた。
 「お父さん、お母さん」
 「ん?」
 「なぁに? 改まって」
 
 「ありがとう……っ……大切に、使わせてもらいます」
 
 ふたりに向かって背を正し、ぺこりと頭を下げる。
 すると、顔を上げたときにはふたりとも同じような優しい顔で、『はい』とうなずいてくれた。
 
 
 
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