翌日の夕方。
祐恭さんの部屋で彼を待っている間、お鍋の材料になりそうなものを支度していた。
それだけのことだけど、でも、一緒に住んでいたころのことを思い出し、ついついひとりにやけてしまう。
……で、我に返って反省するんだよね。
ああ、今の私はきっとハタから見たら、とっても怪しい子なんだろうな、って。
支度が終わったのは、祐恭さんが帰ってくる少し前。
玄関のチャイムが鳴ったときにはもう、用意したバッグに保冷剤と一緒にして玄関でスタンバイ済み。
それを見て彼は、『さすが』と小さく笑って。
ああ、こういうやりとりもなんだか懐かしいな、なんて勝手なことを思い、ほんの少しだけなんともいえない気分にはなった……けれど、それだけ。
今の私は、今の彼とともにある。
この事実だけは、絶対だ。
振り返らないし、後戻りもしないし、望んだりもしない。
今は今。
そう決めてずっときたんだから、この先も変えないんだから。
「いらっしゃい」
「こんばんは」
「お邪魔します」
「まー、どうぞ。入って」
田代先生のおうちへ着いてすぐ、うながされるままリビングへ。
すると、部屋の真ん中にあるローテーブルには、すでにくつろいでいるお兄ちゃんと葉月の姿があった。
「こんばんは」
「こんばんは。……お前早いな。帰るときは、俺のほうが先だったのに」
「まーな」
葉月へにこやかにあいさつしたときとは違い、祐恭さんはなぜか悔しそうにお兄ちゃんへ瞳を細めた。
しかも、お兄ちゃんてば相変わらずの態度。
……もぅ。どうしてお兄ちゃんてば、いつも祐恭さんにこんな態度ばっかり見せるのかな。
葉月曰く、仲がいい証拠ねなんて言うけど、ホントのところはどうなんだろう。
まぁ確かに、これといった大きなケンカはしないけど……って、それでも口喧嘩めいた言い合いはしょっちゅうしてるんだけどね。
「……よし、っと」
珍しくキッチンにいたらしい絵里が、こちらへ姿を見せると同時にエアコンのリモコンに手を伸ばした。
立て続けに電子音が響き、心なしか風が冷たくなったように感じる。
「にしてもまー、みんな物好きよねー」
「何が?」
よっこらせ、と言いながらテーブルの上座に座った絵里が、頬杖をついた。
意味ありげなセリフで、そろってそちらを見た私たちをぐるりと見回し、にやりと口角を上げる。
ああ、これはまさにアレ。
何かよからぬことを言い出す前と、同じ顔。
「だって、純也の“鍋パーティー”なんて、趣旨はひとつしかないに決まってるのに」
「…………あ」
そこまで言われてようやく気づいた。
それって……あ、なんかこう……そうそう。そうだよ、そう。
もしかしなくても、アレってことなんだよね? きっと。
とはいえ、絵里の言葉に反応を示したのは私ひとり。
……でも、当然だ。
だって、少なくとも“前回”の鍋パーティーに葉月とお兄ちゃんは参加してないし、参加者ではあれど、祐恭さんは覚えていないんだから。
あの――……なかなか忘れられない、結構……濃ゆい鍋パーティーを。
「……もしかして……」
「やぁね。アンタ本気で気づかなかったの? てか、今?」
「うん」
くすくすと私の顔を指差しながら笑う絵里の顔は、ああもうなんだかすごく楽しそうなんだけど。
でも、ちらりと反射的にキッチンへ視線を向けてみて、思わず喉が鳴る。
だって……だって、だってさ。
そこには、すごくすごく楽しそうにおたまで見覚えのある土鍋をかきまぜる、田代先生の姿があったんだから。
「ふたりとも、具はおっけー?」
「……一応持ってはきたけど……」
「でも、本当によかったの? 好きな具材をっていうから、勝手に選んじゃったけれど」
「もちのロンよ!」
ほほほ、とまるで何かの内緒話でもするかのように頬へ手を当てながら、葉月と私とを見つめた絵里が、改めて親指を立てて突き出す。
相変わらず、テンションの急上昇っぷりは笑うしかなかった。
「ささ。そんじゃま、いっちょふたりとも鍋へ投入タイムよ!」
ぱん、と手を叩いて立ち上がった絵里のあとに続き、鍋奉行っぷりをすでに発揮している田代先生に歩み寄る。
なんだかとても楽しそうな鼻歌が聞こえているのは、もしかしなくても気のせいじゃないよね。
「……うぅ。いいのかなぁ……」
「何よ。食べれるものならオッケーって言ったでしょ? それ以外はダメよ?」
「っ……もちろん、食べられるものしか持ってきてないってば!」
「なら、へーきよ。へーき。で? どっちが先にやる?」
「あ、ちょっと待った」
「……え?」
腕組みして私たちを見た絵里の向こうにいた田代先生が、片手で私たちを制した。
かと思いきや、手元を照らしていたカウンターの照明を消す。
「……そこまでしなくてもよくない?」
「馬鹿か。これをしなきゃ、丸見えだろ?」
それじゃおもしろくもなんにもないだろが。
ぼそり、と聞こえたセリフが、あまりにも現実味を帯びすぎているのに、暗闇の中、コトコトと聞こえてくる音とわずかに見える青い炎のせいで、なんだかちょっとだけ不思議な空間に入りこんだかのような気になる。
一種の暗示みたいなものかな。
「ささっと入れて、バトンタッチね」
ぱちん、と指を鳴らしてから鍋を指した絵里に促され、キッチンへ入った順番的に葉月からになった。
見覚えのあるガラスの容器を取り出したのを見ながら、私もバッグから容器を取り出す。
私が用意したのは、祐恭さんの好きな――。
「ああ。ちなみに、具については他言無用ね」
「っ……」
にこり、と笑った田代先生の目は明らかに笑ってなかったのは、気のせいじゃなかった。
……ううん。
気のせいだった、と思いたい。
|