「やー、今日はいい夜になりそうだね」
いつもより気持ちテンションの高い田代先生が、絵里に代わって上座についた。
手元には、お兄ちゃんと祐恭さんの前にあるのと同じ缶ビール。
よく冷えているようで、水滴がテーブルに伝い落ちた。
「そんじゃ、れっつ鍋タイムってことで」
「あ」
ピ、と電子音がした途端に部屋の照明が消えた。
でも、一瞬真っ暗闇に包まれたかと思いきや、代わりに灯ったのは柔らかなオレンジの光。
「うわ。ランタンいいっすね」
「だろ? いやー、この間つい衝動買いしちゃってさ」
「この色、火じゃないと出ないんすよねー。俺、LEDで持ってますけど、やっぱこっちのほうが断然。うわ、バーベキューしたくなる」
「お、いいねそれ。今度やろう」
お兄ちゃんが反応したのは、“いかにも”というくらいログハウスがお似合いのオイルランタン。
ガラスの内側に灯る炎がゆらめくたび、室内に浮かぶ影もほのかに動きを見せる。
……不思議な感じ。
たったひとつなのに、思った以上に明るくて。
だけど、色が蛍光灯とはまったく違うから、柔らかくて……あたたかみもあって。
「なんか、キャンプにきたみたいね」
「あ、わかる。なんかこー、この色見てると焚き火とかしたくない? マシュマロ焼いたりとか」
「えっ、そうなの? おいしそうー」
「あれ、羽織ってばキャンプ経験なかったっけ?」
「うん。んー……っと、小学校のころ宿泊学習はあったけど……家族で行った覚えはないんだよね」
「あー、そういやそうだな。ま、俺は恭介さんと行ったけど」
「え! そうなの!? ……ずるい」
「しょーがねーだろ。お前はまだ小さかったんだから」
「もぅ! いつまでも小さいわけじゃないもん!」
「だから、そーやって言い返してくンとこがガキだっつって――」
「もう。ふたりとも、ここで喧嘩しなくてもいいでしょう?」
「う。……だってぇ」
「ち」
葉月に制され、ようやく収束。
でも、当然くすぶってはいる。
ここが自宅だったら、もっと続いたことだろう……けれど、今は葉月にもちろん感謝。
隣で祐恭さんがくすくすと笑ったのが見え、顔がちょっとだけ熱くなる。
「さぁて。そんじゃま、乾杯といこうか」
田代先生が缶を手にしたのを合図に、それぞれが飲み物を手にする。
ここにいる6人全員が缶なんて、珍しいっていうか、きっとこれまでなかった。
『気分だけはオトナで』と、田代先生が用意してくれたのがノンアルコールカクテル。
知ってる名前のカクテルが明記されている缶を持つだけで、たしかに“オトナ気分”になるから人間って……ううん、私は単純なんだなって思った。
「それじゃ……かんぱーい」
「乾杯ー」
「いただきまーす」
グラスのようないい音はしない。
だけど、みんなと缶をぶつけたら、自然と笑顔が溢れていた。
「…………」
「…………」
「…………」
「……んー?」
ひとくち飲み物を味わったあと訪れた、妙な沈黙。
当然のように異変に気づいた田代先生が、敢えて明るい声で促す。
何をって……もちろん、“鍋”を。
「あれ。みんな遠慮しないでいいよー。ほらー、どんどん食べないと」
にこにこ。
「絵里、お前うずらの卵食いたがってたろ? 入れといた」
「ふぉあ!? まじで!? ちょっ……どうしてそういうのを別の日に出さないわけ!?」
「何言ってんだよ。腹に入ればいつでも一緒。問題ない」
「オオアリでしょ!!」
いつも以上ににこやかな笑みをたたえたまま、田代先生が土鍋の中をおたまで混ぜた。
混ぜ……ましたね、今。
ぐるぐると円を描くように動くおたまを眺めながら、思わず唇が開く。
……どこに何が入ってるか、完全にわからなくなっちゃった。
今のいままでは、『あそこに私が入れたお豆腐が』とか『あれは確か、肉団子』とかかろうじて把握できていたのに、この瞬間すべてが断たれた。
もう、わからない。
もしかしなくてもきっと、おたまを動かしている田代先生すら、具は把握できていないだろう。
そんな状況でかつ、はっきりと『闇鍋』と公言されたシロモノにそうやすやすと手を出す人は出ず。
あれよあれよという間に、鍋奉行と化した田代先生は問答無用で絵里の器へと、おたまですくった
鍋の具を入れ始めた。
室内を照らす穏やかな色味のあかりは、こういうときもってこいなんだろう。
きっと、田代先生もそれをわかったうえでランタンを選んだんだろうし。
だって……どれが何なのか、さっぱりわからないんだもん。
ランタンは床に置かれているので、テーブルの上はほのかにしかわからない。
さらに一段高くなっている土鍋の中なんて、それこそ黒に近いからこそ、まさしく闇鍋そのものだ。
「さあ食え」
「アンタねぇ……! 私にばっかりその態度はないでしょ!?」
「あ!? 馬鹿、よせ!」
「よさない!!」
ダン、と音を立てて器を置いた田代先生からおたまをひったくった絵里は、当然のように彼の器へも何かよそい始めた。
まさに、“何か”。
いったいあのおたまには、何が入っていたんだろう。
「ち……仕方ない。それじゃ、順番にいこうか」
「え」
「マジすか」
「てことは、絵里の次。孝之君ね」
「……はー……ですよね」
ため息をつきながら器を受け取った田代先生が、ついついと指で順番を示す。
お兄ちゃんの次は葉月。
その次は私……で、最後が祐恭さん。
ちらりと彼を見やると、困ったように笑いながらも若干その口元はひきつっていたように見えた。
「……なんか、純也さんがいつもと違う気がするんだけど」
「私もそう思います」
ぽつりと囁かれた言葉に首を振りながら同意し、バトンを受け取る。
カセットコンロではなく、ただの鍋敷きに置かれているだけあって、ぐらぐらと煮立ってはいないけれど、独特の匂いというか手応えというか。
真夏の夜の夢って、食べ物にしたらこんな感じなのかなぁ……なんて、ごろりとした何かをすくった瞬間思い浮かんだ。
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