「……うずらかな」
「ですか?」
「多分ね」
取り皿へおたまを移した彼が、ぽつりと呟いた。
どうやら、私と同じ感触があったらしい。
今のところ、祐恭さんからうずらの卵が嫌いという話は聞いていないから、まぁ……まだ大丈夫な具かな。
「ふふふ。甘いわね、祐恭先生。そういう思い込みは事故のもとよ」
「もぉ……絵里ってば」
いかにもってくらい、いたずらっぽく笑った絵里に眉を寄せるも、相変わらず楽しそうな顔は崩さないところが彼女らしい。
でも、祐恭さんも苦笑で流せるあたり、慣れてる感じがするから嬉しいんだけどね。
「じゃあ、いただきます」
暗黙のルールみたいなもので、これまでの誰もが食べる前に必ずみんなの顔を見ていた。
それに彼も気づいていたようで、箸と取り皿を持つと私と同じセリフを口にする。
――……そして。
「……………………」
一瞬、ほんの一瞬だけ、ちいさーく『うわ』って聞こえた気がしたのは、隣にいた私だけだろうか。
どうしても目が行く、ランタンの灯りに照らされた彼の口元。
もぐもぐと咀嚼してはいない。
ああ……この顔、さっきの絵里と一緒。
『とんでもない何かを噛んじゃって、どうしよう』みたいな、停止モードの顔だ。
「なんだった?」
「何食べたの?」
まったく同じタイミングで、絵里と田代先生が祐恭さんを見つめた。
もぅ、なんでこうも似るのかなぁ。
興味津々すぎて、つい笑いそうになる。
「……恐らく、ミニトマトじゃないかと」
「ぶ!」
「よりによって!」
「それ引いちゃう!?」
お兄ちゃんが盛大に噴き、田代先生は顔を青ざめ――……たのに、絵里は手を叩いて爆笑し始めた。
けらけらと笑いながら、ばしばしテーブルを叩く。
その姿は、見ているこっちまで笑いがうつりそう……だけど、さすがに笑えない。
だ……だって、物がモノだけに、凍りつきそうな気分だもん。
「……大丈夫ですか?」
絶対大丈夫じゃないだろうけれど、ついクセのようなセリフが出た。
「まぁ……食べられないものじゃないから」
そのセリフ、ちょっと違う気がするんですけれど大丈夫ですか……!?
とはさすがに言えない。
けれど、ビールの缶を呷った横顔は苦々しげ……なものの、私に気づいてかすぐ苦笑を見せた。
「トマトくらいなら、まあ……まだね」
「え……」
「嫌いっていうか……まぁ、うん。好きじゃないんだけどさ」
フラッシュバックのように脳裏に浮かぶ光景。
瞬間的に『違って当然』と思えないのは、私のいけないところだろう。
もし、“彼”が今ここで同じものを口にしたら、同じセリフを言っただろうか。
考えてはいけないことが頭に浮かび、どうしても表情が強張りそうになる。
……なっただけ。
気づいたから、『ですよね』とムリヤリにでも苦笑を浮かべる。
ダメだなぁ、私。
こういう“瞬間”的なところに、まだまだ弱い。
「っはー、笑った。やっばいお腹痛いんだけど!」
「……お前は笑いすぎだ」
「てか、あれでしょ! ミニトマト入れたの純也じゃない?」
「ぅ馬鹿! それはお前……」
「ほらー、やっぱし。すっごいわかりやす! それにしてもさー、やっぱ先生、絶対憑いてるわよ」
「憑いてるって……何が?」
「ネタの神様が」
「……ネタの神様?」
「そ。だって、前もそれ引いたもの」
「っ……」
「やるわね」
「やるな、祐恭君」
瞬間的に固まったのを、ここにいた誰かに気づかれただろうか。
お兄ちゃんは半ば笑いながら、平然とお鍋から何かを取っているし、葉月も彼を気にかけていてこちらに意識を向けてはいない。
田代先生と絵里に至っては、祐恭さんを見たままだし。
じゃあ祐恭さんは――……どうか気づいていませんように。
顔が強張りそうになるのをこらえながら、目の前の缶に手を伸ばす。
こくん、と小さく中身を飲み下すと、わだかまりも溶けて少しだけ小さくなったような気がした。
「んじゃ次は俺か。んー……でもだいぶ具が減ってきたな」
おたまを手にした田代先生が、取り皿へよそう。
ランタンのせいでかげり、何かはやっぱりわからない。
「…………ぶえ! うわ、うっわ! なんだコレ!! すっげぇくっさ!!」
「え? ちょ、何食べ……ぎゃー!! くっさい! 何これ! やだ! ちょ! やめてよ!! 食べるならひとくちでいきなさいよ、馬鹿じゃないの!?」
「そう言うならお前食ってみろ!! 馬鹿!!」
取り皿を覗いた絵里までもが騒ぎ始め、いっぺんに場がごった返す。
匂い……はさすがに届いてこない。
でも、両手でばたばた仰ぐふたりからして、相当な何かだとは思う。
「あ、ビンゴ」
「うぇええ! たっきゅん!?」
「いや、それちょうど見切り品ですげー安くなってて。まさに爆弾じゃね? キムチ納豆餃子とか」
「ぶえ!!」
鼻をつまみながらとんでもない声をあげた絵里に、思わずノンアルコールカクテルを吹き出しそうになった。
今の声は、いったいどこから出たんだろう。
聞くに聞けない、妙な状況。
第三者がこの現場を見たら、絶句するに違いない。
「っく……! 次お前! これ食え!」
「ぎゃぁあああ!? ちょっと!! なんで勝手に入れるわけ!? 信じらんない!!」
「どんどん回して、普通の飯を食うぞ! 俺は!!」
「馬鹿じゃないの!? だったら最初っからフツーの鍋にすればよかったのに!!」
今回ばかりはさすがに絵里の言うことはもっともだなぁ、なんて思う。
げらげら笑いながらビールを呷るお兄ちゃんをたしなめる葉月は、やっぱり大変そうで。
ちらりと隣の祐恭さんをうかがうと、苦笑してはいたけれど、こういう雰囲気そのものがダメって感じには見えなくて、少しだけほっとする。
「ちッ……! しょうがないから食べてあげるわよ! てか! 私ももうこれ以上食べられないから、この具でラストね!」
「うわ、きったねぇ! お前だけ逃げんな!!」
「逃げてないわよ!! だから正々堂々と、アンタがとったこの具を食べてやるっつってんじゃない!!」
しっかり器を持ちながらお箸を構えた姿は、いつもの絵里そのもので。
きちんと背筋を伸ばしたあと、一瞬だけ目線を落として躊躇したように見えないこともなかったけれど、意を決したかのように――……大きなひとくち。
「――――!!?」
悶絶、って今のことを言うんだろう。きっと。
叫ぶ余裕もなく慌てて器とお箸を置いた彼女が、缶を握り締めて音を立てながら飲み下す。
中身はいったい、なんだったんだろう……。
今までもそれなりにすごい反応をしてきた絵里だけに、何も言わないあたり、“よっぽど”の何かを食べたことだけはわかるけど。
「……ッじらんない……」
「なんだった? お前何食ったの?」
ニヤニヤと意地悪そうな顔で田代先生が覗きこんだ――……途端、ギロリと音が聞こえた、気がした。
「馬鹿じゃないの!? てか、アレは具になりえないでしょ!? 死ぬから!!」
「ぶは! だからお前、何食ったんだって!」
「笑いごとじゃないわよ!! ただでさえ嫌いなのに、ホット!! てかもうね、何よアレ!! 腐ってる! 腐ってるわ!!」
「あーーー、わかった。お前、アレ食ったろ。バナナ」
「そうよ!! アンタ食べたことある? 知らないでしょ。キムチ味となんかよくわかんないくっさい味が混ざったバナナを食べたら、人間がどうなるか。……味わいなさい。同じ感覚を共有したほうがいいわ。そうよ間違いない」
「いいから続き食えよ。腐ってねーから」
「あ、ちょ!? 馬鹿かぁあぁあああ!! 誰がそんな『あーん』してくれとか言った!! しなくていいし! 馬鹿じゃないの!?」
「馬鹿はお前だ。ちょっと落ち着け」
「これが落ち着いていられるかぁああ!!」
ひぃいいい、と助けようにも助けられない切なげな悲鳴を聞きながら、やたらと楽しそうに笑う田代先生に何も言えず缶へ手を伸ばす。
でも田代先生、すごーく楽しそうだよ? なんて絵里に言えないよね。今は。
明日くらいになったら、教えてあげてもいいかもしれない。
それはそれは楽しそうに、生き生きした顔だった、って。
ふとそのときの絵里の怒った顔が想像できてしまい、小さく笑いがこみあげた。
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