「ただいまー……あれ?」
 まだまだ日は高い5時過ぎの我が家。
 さすがにまだこの時間には、誰も帰ってない――……と思ったんだけど、葉月はまっすぐに帰ってきていたらしい。
 靴もあったけれど、それ以上に、今朝とは違う玄関の様子に思わず靴を脱ぐのも忘れていた。
「おかえり。どうしたの?」
「これって……」
「ふふ。笹飾り」
「だよね。え? なんで?」
 そう。
 とっても小ぶりではあるけれど、小さな飾りを幾つも下げた笹飾りが、花瓶に生けられていた。
 いつもこの場所には、庭に咲いている花が生けられている。
 今朝までは確かに、真っ白いフヨウが飾られていたはずなのに。
「七夕は、ちょっといろいろ……忙しくてできなかったから。その代わりに旧暦でやろうかなって思ったの」
「……旧暦」
「うん」
 確かに、今週末には旧暦の七夕になる。
 そういえば、昨日見たニュースで、もうじき仙台の七夕だって言ってたっけ。
 夏休みに入ってすぐに始まった、集中講義。
 今日も朝から初等学科の学生たちは、皆一様に化学の講義を受けていた……はず。
 私は少なくともそうだった。
 ちなみに、これは明後日まで続く。
 ……大学生って、勉強いっぱいあるんだよね。
 もちろんだけど、夏休み中の課題も結構出ている。
 9月末までのあと1ヶ月半の休みの間に、やらなきゃいけないことは実は結構あるみたいだ。
「短冊もあるんだけど、どう?」
「え……いいの?」
「もちろん。お願いごと書いてね」
 リビングへ入ると、テーブルには色とりどりの短冊が置かれていた。
 それと同じく、なんだか今では懐かしい気さえする、折り紙も。
「……あ。ねぇ、葉月。もしよかったら、これ……ちょっと貰ってもいい?」
「え? もちろん。あ、もしかして……瀬尋先生のお家に行く?」
「う。ど……してそれを」
「ふふ。だって羽織ったら、とっても嬉しそうな顔して言うんだもん。そういう顔するときは決まって、瀬尋先生のこと考えてるなぁってわかるよ?」
「っ……うぅ」
 あまりにも図星過ぎて、どう反応していいかわからない。
 だけど、絵里と葉月が違うところは、それ以上追求せずににっこり笑って『よかったね』と言ってくれるところだ。
「それじゃ、笹も少しわけてあげるね。よかったら、瀬尋先生のお宅でもふたりで飾って」
「いいの!? ありがとうー!」
「ふふ。ただ、瀬尋先生に許してもらえなければ、難しいけれど」
「ううんっ、きっと大丈夫だと思う。えへへ……嬉しいー! ありがとう!」
 くすくす笑いながら『いいえ』と首を振った葉月に、再度感謝の気持ちを込めてぶんぶんと両手を掴む。
 七夕なんて、そういえばずっとやってない。
 去年だって……七夕は、付き合ってすぐのころだから、特に一緒に何かをしたりしなかったんだよね。
 当然、平塚が祐恭さんの出身地だとは知らなかったし、七夕祭りへ行くようなこともなかった。
 ……でも、ねだったところで一緒に行ける場所ではないんだけど。
 去年、ぽろりとその話をしたら『人がやたらといて、とてもじゃないけど雰囲気を楽しめない』と、まったくもって好意的な反応じゃなかったから。
 とはいえ、まぁ、私もその意見には賛成なんだけど。
 お祭りを味わいたいなら、冬瀬のおまつりでも十分だもん。
「あ。夕飯、手伝うよ」
「いいのよ? そんな。気にしないで」
「ううん、ほら、時間が合ったときじゃないと一緒に作れないでしょ? あ、えと……邪魔だったらやめとくけど」
 キッチンへ戻った葉月をカウンター越しに見ると、一瞬目を丸くしてからくすくす笑い出した。
 う……私、そんなにヘンな顔でもしてたのかな。
「もう、邪魔なわけないじゃない。それじゃ、手伝ってくれる? 今日はかき揚げと冷たいおうどんにしようと思うんだけど、酢の物をちょっと添えたいの。どうかな?」
「おいしそうー! 私、葉月の作る天ぷら好きなんだぁ」
「ありがとう」
 といっても、もちろん私だけじゃない。
 お兄ちゃんも、お母さんも、そしてお父さんも、葉月のごはんはしっかり食べる。
 特に文句もなく、むしろ『もう終わり?』みたいな声も出るんだよね。
 人間、やっぱりおいしいものを好むのは当然の摂理みたいなものらしく、以前は『減らしてあげよう』と言っていた葉月の料理分担だけど、結局はまた戻りつつある。
 お母さんのごはん、最近食べてないなぁ。
 もちろん仕事で遅くなっちゃうってときもあるんだけど、それ以上に、なんかこう『あら、今日はこれ? 楽しみー』とキッチンを覗いてはにこにこリビングへ戻る後ろ姿をよく見かける気がする。
 でもまぁ、後片付けは私かお母さんだから、作業としてはトントン……にならないけどね。どうしても。
「あの天ぷらの作り方、もう一度教えてくれる?」
「もちろん。瀬尋先生に作ってあげてね」
「……う。プレッシャーだなぁ……」
 何度か聞いたものの、いざ私が天ぷらをやろうとするとみんなが『待った』をかけるんだもん。
 だからこれまで一度も、実践できてない。
 ……とほほ。
「それじゃ、今日は羽織が揚げてみたら?」
「えぇ……!? そっちのほうがプレッシャーだよ!」
「大丈夫。きっとうまくいくから」
「そうかなぁ……。ん、わかった。じゃあ教えてね」
「もちろん」
 常温に戻してあった卵に手を伸ばした葉月が、大きくうなずく。
 こういう前向きな発言が多ければ多いほど、自信に繋がるんだって。
 この間の講義で、講師の先生がそう教えてくれた。
 ……どうしても私はマイナス発言が多いけど。
 そのあたりも、たくさんの人と過ごすことで少しずつ変えていければいいなと素直に思う。


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