「祐恭君、なんか今日機嫌いいね」
「え……そうですか?」
「うん。それこそ、鼻歌出そうじゃない?」
「ぶ! 純也さん、ちょ……腹痛いっす」
「あはは。ごめんごめん」
今日はようやくと言っていいほど待ち望んだ、金曜日。
いつも、昼は時間を決めずに学食へくるものの、たいてい孝之と純也さんがいて、相席になる。
もう、ずっとこの光景は変わらず、今では誰かが欠けると違和感すら覚えるほどになった。
盛大に噴き出した孝之は、どうやら今日は葉月ちゃんの手作り弁当らしい。
いかにも手作りという雰囲気が、わっぱの弁当箱にしっかりと漂っている。
………手作りか。
月曜以来、彼女には会えていないのだから、手作りの何かを食べる機会があるわけもなく。
エネルギー切れ寸前、てやつか。
当たり前のように箸をつける孝之を見て、ほんの少しだけ羨ましさが顔を出す。
「いや、別に……何かがあったわけじゃないんですけど」
「羽織が泊まりいく、とかつってたのと関係あんだろ?」
「…………」
「なんだよ」
「……デリカシーのないやつ」
「うるせーな! つーか、お前と俺の間にンな言葉存在しねぇだろーが」
箸を持ったまま、ついつい瞳が細まる。
いつもより表情少な目なのは仕方がない。
お前が、俺の前でそんな幸せそうに弁当を食べるからだ。
「へぇ……なるほどね。そりゃー羽織ちゃんが機嫌いいのもわかるわ」
「え? 会ったんですか?」
「まさか。絵里に聞いたんだよ。今週は、講義も教習もはりきってる、って」
「っ……」
にっこり笑いながらうなずかれ、ふいに彼女の笑みが浮かぶ。
もともと、何事に対しても真面目で一生懸命なのは知っているが、もしかすると……今週のその頑張りは、俺と同じ理由なんだろうか。
なんて、考えるまでもないはず。
……まいったな。
人前――……少なくとも、このふたりの前ではしちゃいけない顔になりそうだ。
「いやー、いいね。そういうの」
「そう……ですか?」
「うん。なんかこー、初々しくてさー。見ててすげぇ楽しい」
頬杖をついてにまにまと笑われ、なんだかとても居心地が悪い。
のと同時に、なんともいえない気分になる。
少なくとも、目の前のふたりは以前までの俺たちも知っている人間。
それらがこぞって口にする言葉は、どうしたってわだかまりにもなり、実は気にもなっている。
『前までの俺はどんなだったんだ』
これは、いつなんどきも頭に浮かぶもの。
家にいるときも、学内で仕事しているときも、つい考えそうになる。
決して答えは出ない。
だからこそ、俺じゃない人間から『ああだった、こうだった』と言われても、つい反発してしまう。
そんなはずない、と。
まさか俺がそんなことするわけが……と。
……信じたくないだけなのか。
それとも、負けたように感じて嫌なのか。
…………負けた、か。
自分自身のことだろうに、馬鹿馬鹿しい。
「ま、初々しいってとこに関しちゃ同意しますけど」
「やっぱり?」
「前までのべったべたさがなくて、正直安心っつーか……なんだろ、それとはちょっと違うか。ま、どっちにしろスッキリはした」
「…………」
相変わらず、わかりやすいというよりは性格が悪い顔だな。
にやりと上がった口角を見て、言いかけた言葉が失せる。
……本当に兄妹か。
いや、むしろキレイにわかれたと言うべきか。
「あ!? ちょ、おまっ……っざけんな!!」
「うまいな、これ。さすが葉月ちゃん」
「何してんだよ! 馬鹿か!!」
置かれた弁当箱の中から、腕を伸ばして取り上げたのは鮭のフライ。
タルタルソースがしっかり乗っていて、絶妙な味のバランスに彼女らしさを感じる。
「ごちそうさま」
「っく……信じらんねぇ。サイテー。サイアクだぞお前」
「なんとでも」
肩をすくめ、食べ終えた食器をトレイごと持って立ち上がる。
その顔を見れただけで、まぁよしとするか。
純也さんが肩を震わせながら『どっちもどっち』と言っていたのは気になったが、足は止めないことにした。
「…………」
どうしたって足は軽い。
いつもとは真逆の反応に、我ながら正直だなと苦笑が浮かぶ。
家までの路が、これほど待ち遠しいと感じたのはいつぶりか。
……まぁ、彼女がいてくれる土曜の昼も同じような反応ではあるんだが、少なくとも今日はこれまでとは違う。
なんといっても――……泊まり。
どうしたって、そこを思えば頬が緩みそうになる。
まずいな。
『練習』を口にした自分が、ウソだとバレそうだ。
「ただいま」
玄関の鍵を開ける音さえ、いつもより軽く聞こえた。
どうやら、自分は相当単純にできているらしい。
「おかえりなさいっ!」
パタパタと音がして、廊下の角から彼女が迎えにきてくれた。
いつもより、エプロン姿がやたら目につくのはなぜか。
満面の笑みで迎えられ、心の奥がうずく。
「すごい、うまそうな匂いがする」
「ホントですか? えへへ。今日は天ぷらなんですよー」
「へぇ」
香ばしいというよりは、まさに食欲をダイレクトに刺激される香り。
仕事中はおろか、帰宅中も大して腹は減ってないと感じていたのに、着いた途端の自身の変化に笑うしかなかった。
「……? なんですか?」
「いや……なんか、ね。つい」
「つい?」
「……嬉しくて」
「っ……」
彼女のこういう素直な反応が、たまらなく好きだ。
たったひとことでさえも、敏感に反応してくれる。
だから、期待する。
いろんなことを――……それこそ、もっと先まで。
「……えへへ」
ついつい手が伸び、引き寄せるようにしながら廊下を進む。
キッチンへ近づくにつれて、うまそうな匂いはさらに強くなった。
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