「少しは楽しめた?」
「少しどころじゃないですよー! それに、こんなにお土産までいただいてしまって……申し訳ないです」
「いや、それはこっちのセリフ。うちの家族にあれだけぐいぐいされたのに、嫌な顔ひとつせずいてくれて、ありがとうね」
「とんでもない! とっても楽しかったです。えへへ。おじいさ……えっと、浩介さんにも会えて、嬉しかったですもん」
「ありがとう」
マンションのエレベーターから部屋までの廊下を歩きながら、改めて礼を言う。
祭りから戻ったら、紗那が『ありがとう!』と言うので何かと思いきや、たこ焼きを買ってきてほしいと伝えてあったらしい。
自分で買いに行けばいいものを、そういうところ不精だよな。アイツは。
しかし、羽織も羽織だ。
にこにこしながらソレを渡しただけでなく、おまけに、といちご飴まで手渡しており、ふたたび抱きつかれる光景を目にすることになった。
そんなに優しくしないでもいいんだが、彼女曰く『祐恭さんの妹さんじゃないですか』だそうなので、何も言えなかった。
着替えを申し出た彼女をやんわりと断り、先に玄関へ降りて、靴ではなく草履を差し出したところで帰ってきた、じーちゃんと里美さん。
きっちり羽織は言い直してくれたが、いい加減名前を呼ばせるのを改めてもらいたいものだ。
俺の彼女だぞ。まったく。
まあ、どこからもらったのかわからないが、土産にと持たされたいちご2パックを予想以上に彼女が喜んだので、それ以上は何も言わなかったが。
「やっぱり暑いな……。クーラーつけておいてくれる?」
「あ、はぁい。わかりました」
玄関ドアを開けると、流れを断たれていたせいで、むっと身体にまとわりつくような空気が心地悪い。
が、何の気なしに彼女を先に通すと、ふたつ返事でにっこりうなずいてくれた。
そういう素直さが、俺には必要なのかもな。
きっと彼女は損得勘定なんてせず、人の言うことを特に疑わず過ごしているだろうから。
ぴっちりドアを閉ざしていた書斎へ寄り道してから、リビングへ向かう。
キッチンへ入ると同時に電子音が聞こえ、案の定、彼女は俺に背中を向けたまま窓近くのエアコンにリモコンを向けていた。
「誕生日おめでとう」
「……え……えぇっ!?」
後ろから羽織を抱きしめ、耳元でささやく。
しばらくそのままでいてから腕を解くと、それはそれは驚いたように目を丸くして振り返った。
「なんでそれ……」
「なんで、はこっちのセリフ。教えてくれればよかったのに」
「ぅ……だって、なんか……催促みたいで、やじゃないですか」
「羽織らしいね。でも、俺はやっぱり当日祝いたかったな」
「っ……すみません」
「いや、謝るのは俺のほう。こんなに遅くなってごめん」
「そんなことっ!」
「いや、ホントに。ちゃんと事前に調べておくんだったって、今回ほど後悔したことはないよ」
孝之は、何の気なしに言ったんだろう。
いや、むしろアレは“知ってて当然”という口ぶりだった。
そうだろう。実際はそうであるべきだ。
きっと彼女は俺の誕生日の話も自宅でしただろうし、だからこそ……逆もしかりのはずだ、と。
反省しかないな。
彼女を大切にすると言ったそばから、いちばん大切で感謝すべき日をスルーしてしまっていたんだから。
「遅くなっちゃったけど、受け取って」
「えぇ!? い……いいんですか?」
「もちろん。大事な記念日なのに、当日言えなくてごめん」
「もぉいいんですってば!」
小さいながらも、少しだけ重量感のある黒い紙袋を差し出すと、慌てたように彼女が首を振った。
おずおずながらも受け取ってもらうことができ、少しだけほっとする。
って、早いか。
実際、気に入ってもらえなければ何も意味はない。
「開けてもいいですか?」
「もちろん」
ソファへうながし、隣へ腰かけてから深くうなずく。
真四角の箱。
丁寧にラッピングされており、しなくてもいいのについ、あのときの孝之の『怪我の功名』が蘇る。
「っ……これ……!」
「どうかな? ちょっと、センスに自信はないから……色とか形とか、結構悩んだんだけど」
袋とは真逆の、真っ白い箱から取り出されたシルバーの腕時計。
真新しさが漂う傷ひとつないブレスレットが、きらりと照明を反射する。
「すごいかわいい……っ! いいんですか? こんなにステキなものをいただいちゃって」
「そう言ってもらえてよかったよ。俺も、あのとき同じ気持ちだったんだから」
「ぅ……すみません。私のほうこそ、時期を考えてなくて……。ネクタイじゃ、この時期使わないのに……」
「いや、そうでもないよ。今度、同僚の結婚式へ参列しなきゃいけないから、そのときおろさせてもらおうと思ってる」
「ありがとうございます」
「それは、こっちのセリフ」
彼女が俺に贈ってくれたのは、ネクタイとハンカチだった。
当然ハンカチは翌日から使わせてもらったし、ネクタイは今言ったとおり。
彼女が俺を想い、選んでくれたシロモノ。
そこには何よりの気持ちがこめられているからこそ、苦笑した彼女へ手が伸びる。
「ウチにいるときは、置き場所決まってるからね。好きに使って」
「置き場所……ですか?」
「うん。まぁ、少し重たくて肩凝るかもしれないけど」
ちょうど真正面にあるパソコンラックへ視線を向けると、彼女が小さく声をあげた。
帰宅してすぐ、いつものクセですぐに時計を預けた場所。
真上に伸びた真っ白い耳を持つうさぎの置物は、重たそうに俺の時計を抱いていた。
「……いいんですか?」
「そのための場所、でしょ?」
開かれたままの箱から時計を取り出し、彼女の左手首を持ち上げる。
カチリと音を立ててブレスレットを留めたものの、やはりまだ余裕があった。
金具は一緒にもらってきたので、あとで調整すればいいだろうが、今はまだこれでいい。
似合えばいいなと期待して購入したものが、予想以上に気に入ってもらえて何よりも嬉しかった。
彼女にかぎっていえば、社交辞令なんてモノは存在しないからな。
「……ん?」
「えっと、なんか……大人っぽいなぁって」
まじまじと時計を見ていた彼女が、はにかんで笑った。
大人っぽい、ね。
確かに、こういうきっちりとした“時計”は、オフィスを彷彿とさせる。
が、彼女も社会人まであとわずか。
入学祝いを“俺”が渡したのかどうかは知らないが、ここまで喜んでもらえれば何よりも本望だ。
「ぽい、じゃなくて十分オトナだよ」
「っ……」
頬へ手を伸ばし、指先で触れてから包み込むように這わせる。
わずかに目を丸くしたのがわかり、だからこそ笑みが浮かんだ。
そういう顔をしてくれるこの子が、俺にとって子どもであるはずない。
どきどきさせられてばかりなんだから。
「今日は……このまま送らないから」
ゆっくりと顔を近づけ、口づける前にささやく。
ちょうど視線が落ちたとき、こくりと細い喉が動いて見えた。
期待してくれてる?
だとしたら、一層……どきどきするね。たまらなく。
引き留めたい、よりももっとずっと強くて欲望的なワガママゆえの言葉。
だが、彼女は口づける手前、言葉ではなく小さくうなずいて意志を示してくれた。
夜はこれから。
いや。俺たちの夜は、とあえて強調するべきか。
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