「……ち。平等の量残しとけっつの」
「ごめんね、ふたりがあまりにもおいしいって食べてくれるから……」
「だからって少なすぎだろ! 俺だって食いたかったっつの」
「じゃあ、また今度作るね」
「ったく」
 男性陣が戻ってきたのは、私たちが食べ終えてさらにおかわりをちょこっとずつもらったすぐあとだった。
 ……ごめんね、お兄ちゃん。
 できたてのほかほかチーズケーキがあまりにも濃厚でおいしくって、ついついねだっちゃったんだよね。
 残ったチーズケーキは、1/3程度。
 でも、田代先生と祐恭さんはそれぞれ少しずつもらっていたから、お兄ちゃんの取り分としては私たちより大きいはず……なんだけど、ね。
 誰もそこを言わなかったのは、いろんな配慮でもあったのかもしれない。
「でも、すごいねー。こんなに大きな魚が釣れるんだ」
「ま、天然じゃねーからな。誰でも釣れるとこがいいんだろ」
 まじまじと、バケツではなくテーブルの上にいるというよりは“ある”ニジマスを見下ろすと、お兄ちゃんが肩をすくめた。
 見下ろせる、これ。
 すでに下処理が済まされたどころではなく、おいしそうな“ニジマスの塩焼き”。
 生のままは持ち出せないらしく、釣ってすぐ焼いてもらったんだって。
 まだあつあつで、田代先生からもらって食べようとした絵里が『あっつ!』と口を押えた。
「釣りなんて、久しぶりにやったよ」
「私、行ったことないです……多分。もしかしたら、小さいころ行ったかもしれないですけど」
「じゃあ、今度行ってみる? 冬瀬の近くにも釣り堀あるよ」
「そうなんですか!? 行きたい!」
 マグを両手で包んだ祐恭さんを見ると、柔らかく笑ってからうなずいた。
 この近さでこういう反応をもらえるのは、やっぱり嬉しい。
 触れてもらえたらもっと嬉しいけれど――って、私こんなことしか考えてないなぁ。
 不謹慎とはまたちょっと違うと思うけれど、なんだかそういうことばかり望んでる子みたいで、ちょっぴり恥ずかしい。
「それにしても……」
 少しずつ日も傾き始めたとはいえ、まだまだ明るい夕方。
 ようやく空の色が少しずつ薄らいできたからか、あたりからはキャンプ特有の炭の匂いが漂い始めた。

「このビールの量はおかしいんじゃない?」

「いや、普通だろ」
「そーそ。むしろ足りないくらいっすよね」
 きらり、と一瞬絵里の瞳が光った気がする。
 言うまでもなく、視線の先にはビールが1箱。
 1箱って……何本入りだっけ、なんて見るまでもなく絵里が『じゃあひとり8本も飲むわけ!?』と叫んでいたから理解できちゃった。
「まぁ、3人なら飲めちゃうよね」
「そうなんですか?」
「うん。俺はそこまでじゃないけど、純也さんはいけるクチだし。孝之も、弱いだけで結構飲むでしょ?」
「……そうでしたっけ」
「ん。量は飲めちゃうから不思議だね」
 小さく笑った祐恭さんにつられて葉月を見ると、くすくす笑いながらうなずいた。
 ああ、そうか。普段というか、酔っぱらったお兄ちゃんをよく知らないのは私だけなんだ。
 それはそれでいいというか、別に知りたい情報でないのは確かなので、同じく苦笑にとどめておく。
「…………」
 買い物に行ったんだなぁ、とは思ったけれど、思い出したことは口にしないでおく。
 さっきの祐恭さんの表情を思い出したのが、いちばんの理由。
 困ったような顔をされるのは、やっぱり嫌だ。
 できることなら、今みたいに穏やかに笑っていてほしい。
「ん? どうかした?」
「あ、いえ。なんか……お腹すいちゃって」
「それならぜひ、俺の獲物を食べてもらいたいね。温かいうちがおいしいよ」
「いただきますー!」
 思ってたこととは違うセリフが出たけれど、彼がいたずらっぽく笑ってくれたのが素直に嬉しくもあったから、それは内緒。
 竹でできた丈夫な串に刺さったニジマスを差し出され、『いただきます』と小さく笑みが漏れた。
「しかしま、絵里ちゃんも物好きだよな」
「む? なんれれふか?」
「……食ってから喋れ」
 葉月へ串を渡しながらお兄ちゃんが肩をすくめると、田代先生が絵里をたしなめる。
 あ、その顔なんか嫌なこと言うつもりでしょ。
 そういうところだけはわかっちゃうから、兄妹ってなんだかなぁと思うけど……もしかして、私のことも次に何を言うかわかるのかな。
 だとしたら、もう少しポーカーフェイスの練習でもしたほうがいいかもしれない。
「羽織なんてキャンプ初心者どころじゃねーのに、よくもまぁこんな企画思いついたなと思って。いや、別に楽しいからいいんだけど」
「んー、なんかみんなで一緒に盛り上がりたかったんですよねー。となると、夏の風物詩といえば海か山かなと思って。だったら、今年は山イコールキャンプイコールバーベキューもありじゃない? ってなったんですよ」
 ぺろりと平らげたらしく、さっきまで半身残っていたニジマスはきれいに骨だけになっている。
 さっき一緒にお代わりしたとは思えない、食欲。
 対して、私はようやく半身のさらに半分をいただいたところ。
「……あ。ちょっと待ってね」
「ワリ」
 どうして葉月が動いたのかわからなかったけれど、どうやらお兄ちゃんがウェットティッシュみたいなものを探したことに気づいたから、らしい。
 ……すごい。
 確かに、ちょっときょろきょろしたし、指先を気にするような仕草はあったけれど、そこまでわからなかったなぁ。
 当然のようにリビングへ戻った葉月を見て、絵里が小さく『もはや熟年夫婦だわ』とうなずいたのが気になったけれど。
「だから、今年は本当によかったです」
「何が?」
「だってほらぁ、孝之さんちょっぴり誘いにくいじゃないですか」
「……俺?」
「そーですよ。だって彼女さんとか知らなかったし」
「そりゃそーだろーよ。絵里ちゃんが知ってたら、逆に驚くけど。俺」
 こそこそっと声量を落としたのは、葉月への配慮だろう。
 でも、絵里が言うのも無理はない。
 私だって、今までお兄ちゃんの彼女なんて人は見たこともなかったし、家にくるのはいつも男友達ばかりだったから、『きっと彼女なんていないんだろうなぁ』くらいにしか思ってなかった。
 でも、絵里は違ったんだよね。
 いつだったか『あんたはホントお子ちゃまね』なんてため息をつかれたことがあった気もする。
「もしですよ? 当時私たちと一緒に行きませんかーって誘ったとしても、孝之さんひとりじゃつまんないっていうか、なんか、複雑じゃないですか?」
「いや、そこは別に。4人とも知った顔だし、全然気兼ねないけど」
「そうですか?」
「もちろん。つーか、むしろ今までだってどんどん声かけてくれて構わなかったし」
「えぇえ、そうだったんですか? やだもー、なんだーぁ」
「ま、今は葉月がいるから大っぴらに誘われてんだな、ってのはわかったから、それはそれでありがたいけど」
「ぬふふ。孝之さん……いんや、たっきゅん! その顔、保護者ヅラしたいけない男の匂いがします」
「ごほ!!」
 お兄ちゃんが肩をすくめた途端、絵里がものすごくいたずらっぽく笑った。
 そのせいか、はたまたセリフのせいかはわからないけれど、タンブラーを煽ったお兄ちゃんが盛大に吹き出し、お茶とおぼしき液体がTシャツへ伝う――のを、戻ってきた葉月が慌ててタオルを取りに舞い戻った。
「お前は……ッ! なんだ! いつ飲んだ!? えぇ!? 正直に言え!!」
「やぁねー何も飲んでないってば。ああ、しいていえば、さっき葉月ちゃんお手製のジンジャエールは飲んだけど、アレって別にお酒入ってないでしょ?」
「え? さすがにノンアルコールだよ」
「ほらね」
「ほらね、じゃねーっつの!」
 相変わらずむせているお兄ちゃんを懸命に拭いてあげてる葉月の姿は、ああやっぱり夫婦みたいだなぁ。
 きっとこの先何年経っても、お兄ちゃんはこうして葉月に世話を焼いてもらうしかないんだろう。
 田代先生を見下ろすように鼻で笑った絵里を見て、祐恭さんは苦笑を浮かべていたけれど、もしかしなくてもお兄ちゃんと絵里どちらの行動に対してもなんだろうなぁ。
 でも、この6人でいると本当に飽きることもないし、つまらないなって思うことも絶対にないから、好きでたまらない。
 ほかのグループよりよっぽど盛りあがっている声を聞きながら、やっぱりつられていつしか笑い出していた。


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