「祐恭さん……っ」
リビングから上がった階段の、右奥の部屋。
そこが、今日男性陣が使うことになっている部屋だ。
本来はシングルベッドがふたつあるみたいなんだけど、今日はエクストラベッドも入れてもらっていて、大人でもさほど不自由なく眠れるとのことだった。
といっても、同じ造りになっているであろう私たちの部屋を見ての感想というだけで、実際にこの部屋の中を見たわけじゃないから、もしかしたら少しは違っているかもしれないけれど。
控えめなノックを2度した。
小さくだけど、名前も呼んだ。
でも……でもやっぱり、返事がない。
眠ってしまっているだけならいい。
朝だって早かったし、それこそいろんな活動もしたから体力的にも疲れてるだろうと思う。
だけど。
だけどもし、お兄ちゃんが言うように、ひとりきりで倒れていたりしたら?
なんらかの体調不良があったら……?
そう思ったら、瞬間的にあの病院のベッドにいた彼を思い浮かべてしまい、ぞわりと鳥肌が立った。
「祐恭さんっ、開けますね!?」
涙がうっすら滲んで、慌ててまばたきで弾く。
厚い木の扉は、ノブをひねるとちょっとだけ重たかった。
でも――……開けると、部屋の電気がつけっぱなしになっていて、廊下と変わらぬ明るさにほんの少しだけほっとする。
「……祐恭さん?」
部屋の作りは、やっぱり私たちのところと同じだった。
ただ、荷物がいろんなところに置いてあって、雰囲気はまるで違う。
でも、そのおかげでどのベッドを誰が使うかはわかるけれど。
「…………」
いちばん右端のベッドに、彼はいた。
仰向けで横になったまま、目元を腕で覆っている。
うるさくなってしまわないように気を付けてドアを閉め、そっと近づくと、ふいに腕が動いた。
「あ……ごめんなさい、起こしちゃいました?」
「ん、いや……寝てたわけじゃないんだけど」
「じゃあ具合が悪いんじゃっ……」
「あー、ううん。それも平気」
ぐっと伸びをした彼に慌てて近づくと、緩く笑って首を振った。
床へ膝をつき、そっと顔を覗き込む。
眼鏡をしていない表情が、普段と少しだけ違って見えた。
ちょっとだけ眠たそうだけど、顔色は悪くないし、きっとそんなに酔ってはない。
「あ……」
「大丈夫だよ。ごめん。ちょっと眠いなーと思っただけなんだ」
さらりと髪を撫でられ、すぐここで笑った彼に改めて安堵する。
まどろんでいるようにも見えるけれど、雰囲気が柔らかいのはお酒の影響かもしれない。
髪を弄る手つきが優しくて、少しだけどきりとした。
「心配した?」
いつもと違う、まるでからかうかのような声に、ちょっとだけ目が丸くなった。
でも、素直にうなずいたのを見て、目を丸くしたのは祐恭さんの番。
手をついて身体を起こし、ベッドへ腰かける。
「……何かあった?」
「あ、ううん、違うんです。お兄ちゃんが、わざと変な言い方したから……」
「孝之が?」
「祐恭さんが部屋に戻ったっきり出てこないって……倒れてるんじゃないか、って」
「……アイツは……」
そっと彼の膝へ手を置いてから見上げてみると、眉間に皺を寄せてため息をついた。
ほんのりと色づいているように見える頬は、きっとお酒の余韻だろう。
うつむいたことで少しだけかげり、表情が違って見える。
「でも、よかった……」
ひとりごとにすぎないセリフ。
だけど、両手を床に落として小さくつぶやいた途端、ふいに彼の手のひらが頬へ触れた。
「心配してくれたんだ?」
「っ……もぅ。当たり前じゃないですか」
「それは――俺だから?」
「え……?」
「俺のこと、特別に思ってくれてる?」
さらり、ともう片方の大きな手のひらが髪をすくう。
窓が開いているらしく、ときおり涼しい風が頬を撫でた。
でも、今はそっちよりも、彼の手のひらの熱のほうがよっぽど大きくて、まっすぐに向けられた眼差しのほかに意識は向きそうにない。
「祐恭、さん……」
こくり、と喉が動いたのを気づかれただろうか。
とくとくと鼓動が少し速まって、ちょっとだけ息苦しい。
どきどきする、この感じは好き。
目の前に彼しかなくて、全身すべてで彼を感じている自分は、きっと誰よりもしあわせな人間だ。
「……ふ……」
ゆっくりと目の前がかげり、柔らかな唇が触れると濡れた音がして、身体がかぁっと熱くなる。
まるで確かめるかのように唇を舐められ、そのたびにぞくぞくと背中が粟立った。
「俺だけのものになって」
ゆっくりと息を吐きながらささやかれ、胸がぎゅうっと締め付けられる気分でいっぱい。
どきどきしてるの、きっと伝わってる。
まるで大切なものに触れるかのように頬を撫でた指先が、耳たぶに触れてちりちりと熱を帯びる。
きっと今、すごく変な顔をしてるだろう。
だけど、笑ったりしないで優しく見つめている彼のまなざしは、ひどく愛しげでたまらず唇を噛んだ。
「私はもう、祐恭さんだけの……」
「じゃあ」
まっすぐに目を見てつぶやくのが気恥ずかしくて、ほんの少しだけ視線が落ちた。
途端、少しだけ低く強い声音がして顔を上げると、いかにも男の人らしい顔つきに思わず目を見張る。
「そう実感させてくれる?」
熱っぽいまなざしで見つめられ、喉が鳴った。
もしかしたら、戸惑った顔でもしてしまったんだろうか。
わずかに瞳を細めた彼が、『まいったな』と小さくささやいた気がした。
「あ、わっ……!」
へたん、と床へ座り込んでいたものの、両腕を引いて器用に立ち上がらされた――と思いきや、ふかふかのベッドへ倒された。
倒された、の。
というか……押し倒された、というか。
ベッドが少しだけ軋み、顔のすぐ両側へ手をついた祐恭さんが見下ろしている。
照明を背にして少しだけ陰った表情が、いかにも扇情的で、男っぽくて、どきどきがやまない。
ついクセのようなもので両手を胸の前で合わせると、わずかに瞳を細めた彼が、指先で前髪を払ってくれた。
「羽織」
「っ……」
何度となく呼んでもらえた名前なのに、すごくどきりとした。
息を含まれていたからかもしれない。音が違ったのかもしれない。
でも……きっと違う。
まるで、“欲しい”って言われたような気がしたから、だ。
「……あ……」
まさに声が漏れ、ひくりと肩が震える。
どこまで欲しがっていいのか、求めていいのか、自分でも悩んだことはあった。
でも、でも……これって……そう、だよね。
祐恭さんに、欲しいって思ってもらえたってことだよね……?
つつ、と指先が耳元から首筋、鎖骨を滑るように降りてきて、くすぐったいだけじゃない声が漏れてしまいそうだった。
「っ、祐恭さんっ……あの、でもここ……っ」
「平気。俺の場所はここだから」
「……え……?」
「俺がここにいる。羽織もここへ来た。それを知ったら、わざわざ邪魔しないでしょ?」
顔が近づいて慌てて首を振るも、目の前で笑った彼はそのまま触れるだけのキスをした。
だけど、言っている意味がよくわからず、寄った眉は戻らない。
すると、小さく笑った彼が耳元へと唇を寄せた。
「純也さんたちが風呂場にいるって知ってて、わざわざ見に行ったりする?」
「っ……」
「孝之がここを教えたなら、ヤツはまず来ない。違う?」
「……そ、れって……」
「ある意味、共同戦線みたいなモンだね。酔っ払いの」
ぺろりと耳朶を舐められ、ひくりと身体が震えた。
どこか楽しそうな声に聞こえるのは、気のせいじゃない。
おずおずとそちらを見ると、口元には楽しげな笑みがあった。
「さっき、ナンパされかけたんだって?」
「え?」
「楽しそうにスタッフとしゃべってた、って聞いたけど。違うの?」
今の今までと声が違って、私も全然違う声が出た。
というか、身におぼえがない……とは言わないけれど、どうして知ってるんだろうっていう素直な驚きのせい。
だってあのとき、いくら待っても誰の姿も見えなかったのに、なんでそんなに詳しく知ってるんだろう。
これじゃまるで――。
「せっかくの夜なのに寂しがってるんじゃないか、って……しばらくしてから行ったんだけどね。予想に反して3人とも楽しそうだったから、残された俺たちはどうしたと思う?」
「それって……」
「あれから何本飲んだか、正直覚えてないんだ。俺」
「ッ……」
「多分、純也さんと孝之もそうじゃない? 気づいたら空き缶しかなくて、さすがに片付け始めたんだから」
まったく逸らすことなく見つめられ、こくりと喉が動いた。
何も隠れるものがないんだから、彼の目にも入っているはず。
つつ、と弄るように首筋を撫でられ、小さく声が漏れそうになる。
「酔っ払いはタチ悪いって、知ってる?」
「……祐恭さんは、酔ってないじゃ……ないですか」
「へえ。そう見える?」
語尾がしぼんでしまったけれど、こくこくうなずいて意志表示。
なんだろう。
今の彼は、普段と違って少しだけ感情的になってる気がする。
ううん、気がするよりもっと強い推測だけど、怒ってる……に近いかもしれない。
ああ、そうか。
冗談めいたことを言っているのに、決して目が笑っていないからそう感じるんだ。
「酔ってるよ」
すぅ、と瞳が細められた。
たちまち、どくりと心臓が大きく鳴る。
「だから――何するかわからないけど、いい?」
「っ……」
はあ、と大きく息を吐いて、ぎゅうっと抱きしめられた。
体重をかけられ、少しだけ息苦しさを覚える。
でも、こんなに抱きしめられて、嬉しくないはずない。
ああもう……絶対、今私がどきどきしてるのは身体越しに伝わっているはず。
「ずっと、こうしたいって思ってたのは本当」
それは酔ってるからじゃないよ。
吐息交じりに囁かれて、耳元がくすぐったかった。
「羽織は望んでなかったかもしれないし、俺がこうしたがってるって知ったら、がっかりされるかもしれないけど。それでも、今日まではそれなりに我慢してたんだ」
まるでぽつぽつと吐露するかのようにつぶやかれて、胸の奥がじんと熱くなった。
ちょっとだけ苦しいのは、嬉しい証拠。
祐恭さんがそう思ってくれていただけじゃなく、私に伝えてくれた。
それがどれほど嬉しくてたまらないものか、彼はまだ知らない。
だから――今度は、私の番。
ひとつひとつ、自分の正直な想いを伝えて、彼にも知ってほしかった。
私が今まで、どう思っていたかを。
「……私だって……」
情けないけれど、わずかに声が震えた。
とくとくと早い鼓動のせいでもある。
だけど、それだけじゃない強くてちょっぴり恥ずかしい想いのせいであるほうが大きい。
「私、だって……祐恭さんの特別に、なりたかったです」
まっすぐ見つめてつぶやいた途端、彼が目を見張った。
ああもう、恥ずかしいというより、どうしたらよかったんだろう。
やっぱりこんなこと、言わないほうがよかったのかな。
こんなこと言い出す子だって知って、もしかしたら幻滅しているかもしれない。
でも、言ってしまった以上取り返しはつかないから、だったらいっぺんに言いきるのも手だろう。
「祐恭さんだから……だから私、ずっと……んっ!」
やっぱり恥ずかしくて視線が落ちたものの、ふいに顎を上げられたかと思いきや、むさぼるように口づけられた。
躊躇なく舌が這入りこみ、あたたかい感触に身体が跳ねる。
「んん、んっ……んぅ」
角度を変えて何度も口づけられ、次第に頭がぼうっとしてきた。
この感じ、好き。
祐恭さんでいっぱいになってるのがわかるから、しあわせで、もっともっと欲しくなっちゃう。
「ごめん」
「っ……え……?」
「優しくできる保障ないから、先に謝っておく」
少しだけ苦しげに、少しだけ苛立たしげに。
低い声が耳元で聞こえたかと思うと、ぎゅうっと強く抱きしめられた。
「……まいったな。ホント、歯止め利かない」
ひとりごとのようなセリフが聞こえた次の瞬間、ふたたび強く口づけられた。
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