「でも、こんなふうに洗車スペースがあるのって、いいですよね」
「だね。まぁ……天気がいい休日だと、ごった返してるみたいだけど」
「へぇ」
ここは、マンションの敷地内にある洗車スペース。
1度に3台が洗車できるような作りになっていて、本当に広く取ってある。
まぁ……確かに、そこまで機能は充実してないかもしれないけれど。
でも、ちゃんと水道とホースが備え付けられているのは、すごい。
「孝之、洗車好きだろ?」
「……あー、好きですね。一時期、毎日のように洗ってましたよ」
「やっぱり」
洗車も後半。
ボンネットに付いた水を丁寧に拭き取っていた彼と並ぶと、苦笑を浮かべた。
……そう。
一時期、お兄ちゃんって本当によく車洗ってたんだよね。
しかも、決まって朝早く。
ウチのガレージは基本的にシャッターも付いていれば、屋根もある。
だから、一度洗ってしまっちゃえば、それなりにきれいなまま保てるんだけど……。
でも、だからと言ってもやり過ぎだと思うんだよね。
そんなとき、決まってお母さんと言ったセリフは『暇ね』だった。
「……アイツ、凝り性だからな」
「ですね。なんでも、最近またいいワックスが手に入ったとかなんとかって……」
「好きだなー、アイツ」
おかしそうに笑った彼が、ワックスを取り出して手に取った。
…………手……?
そんな光景が、私には少し不思議。
「……祐恭さん……スポンジとか使わないんですか?」
「ん? あぁ、このワックスはさ、手で溶かしながら塗るんだよ」
「へぇー」
初めて見る光景で目を見張っていた。
お兄ちゃんがやってるところは何度か見たことあるけれど、でも、手で塗ってることなんてなかった。
……っていうか、好きな割には結構……大雑把なんだよね。お兄ちゃんって。
うーん。
そもそもの性格の違いなんだろうとは思うけれど。
「…………」
ワックスを手にとって、塗って、そして布で拭きあげる。
この単純な作業の繰り返しなんだけど、祐恭さんはやっぱり真剣に取り組んでいた。
……真剣……だよね。本当に。
黙って立っていると、その背中にはちょっぴり声をかけづらいようなオーラもあったりして。
「……羽織?」
「え?」
まじまじと彼を見つめていたら、手招きされた。
……わ。
隣に行ってわかったけれど、ルーフの映り込みが……すごい。
……ワックスって、こんなに違うの……?
思わず、見てるだけで嬉しくなる。
「拭く?」
「……え……いいの?」
「そりゃあね。……まぁ、匂いがダメなら無理には言わないけど」
思ってもなかった言葉。
だって、ワックスなんてかけたことないんだよ? 私。
それなのに、一生懸命丁寧にやってる姿を見ていたら、やっぱり、その……あんまり手を出さないほうがいいんじゃないか、って思ったりしてたから。
思わず大きな反応をしてから彼を見ると、苦笑を浮かべてワックスをサイドに塗りこみ始めた。
確かに、独特の……というか、少し甘い匂いがする。
でも、この匂いは結構好きかもしれない。
「こっちから、こっちに拭いて」
「あ、はい」
実は、こうして指示されるまで拭く方向が一定じゃなきゃいけないなんてことすら、知らなかった。
……なるほど。
確かに、言われてみればさっきから祐恭さんはずっとそうしてたっけ。
「……これって……なんて読むんですか?」
「ん?」
拭き上げてから、横とか斜めとかから確認して拭き残しがないか最終チェック。
そのとき、地面に置かれていたワックスが目に入って、ついつい……手を伸ばしていた。
「ザイモールって言うんだよ」
「……ザイモール……?」
「そ。じーちゃんが、ディーラーから貰ったらしいんだけど……最近、洗車すらしてないんだよな。車」
「えぇええ……っ……!?」
「使わないから、やるよ……って。あっさり言われた」
思わず大きな声が出たけれど、それはやっぱり当然といえば当然じゃないだろうか。
彼のおじいさんこと、浩介さんというのは――……ご自宅に、フェラーリを2台所有している方で。
……そ……それなのに、だよ?
ワックスはおろか、洗車すらしないなんて……!
「そんな……私だったら、喜んで洗車するのに」
「そう思うだろ? ……でも、まったく見向きもせず。だから、大抵俺か涼が代わりに洗ってることが多いよ」
「……そうなんですか」
でも、わかる気がする。
そういえば、泥の跡なんかが付いたままになっているのを、見たことがあったような……。
……うぅ。
私だって、一緒にお手伝いしたいー。
だって、フェラーリだよ?
走ってるのを見ることはたまに……たまーにあるけれど、でも、間近で見れるだけじゃなくて洗車できる機会なんて、そうないもん。
「…………」
……すごい。
やっぱり、浩介さんってすごい人なんだと思う。
改めて、あのにこやかな微笑みの意味を知った気がした。
「このワックスだってさ、俺だったら絶対買わないような値段なんだよ?」
「うぇっ……そ……んなに、高いんですか?」
「高いんだよ、ホントに」
渋い顔でうなずいた彼が、ボンネットに回り込んでからワックスを伸ばし始めた。
……そのとき。
「…………道楽め」
「え?」
「いや、別に」
今、一瞬小さな舌打ちが聞こえたような気がしたんだけれど……。
「…………」
気のせい、だよね?
……そ……そうだよ。
まさかね。
彼が、そんなこと言うはずないもんね。
熱心にワックスがけしている彼を見てから、そう自分で納得しておく。
……自分のためにも。
「わー……すごいきれい」
「満足?」
「とっても」
彼とは反対側に回ってから、ボンネットを拭いていく。
しっかりと映りこんでいる、空と、建物と……そして、私。
……きれい。
まさに鏡。
「……えへへ」
彼に言われた通り、本当に満足。
だって、こんなにきれいになると……自慢だってしたくなっちゃうもん。
「……ん?」
そんなとき。
ふと、正面にいた彼の視線を感じて顔が向いた。
……でも。
「別に?」
にっこり微笑んだ彼は、首を横に振るだけ。
……。
…………?
今、確かに見てたと思ったのに、すぐワックスがけへ戻ってしまった。
……気のせい……かな。
さっきから何度か思ったことだけど、でも、今回はきっとそうだよね。
そう思い直して、また拭きに戻る。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
……おかしい。
やっぱり、彼の視線を感じる。
でも、顔を上げると、そこには笑顔で首を振る彼がいて。
…………むー……。
気になる。
とっても、気になる。
でも、その理由がわからない。
……だから、余計に気になるんだけど。
「…………祐恭さん」
「ん?」
「なんですか?」
手を止め、背を正してから彼を見つめる。
……ちゃんと教えてくださいね……?
そんな意味を、しっかりと目で伝えながら。
「いいこと教えてあげようか」
「……え?」
ワックスがけが終わったらしく、彼も背を正した。
ワックスの蓋を閉め、布を畳む。
……?
いったい、何を言うつもりなんだろう。
なんだか、すごく楽しそうな顔をしているのがちょっと気になるんだけれど。
「俺といるときは、ボンネットだけ拭いてくれればイイから」
「……え?」
言われたことの意味が、最初はまったくわからなかった。
――……だけど。
「……っ……な……!!」
彼の、さりげないジェスチャー。
それで、すべてが明るみになる。
胸元、気づいてた?
まるでそう言わんばかりに、彼が自分の胸元へ親指を突き立てたのだ。
「なっ……な……っ……!」
「我ながら、ベストポジションだったな」
「祐恭さん!!」
「かわいいの着けちゃって。……ま、次からは気をつけたまえ」
ぎゅうっと両手で胸元を押さえた私を見てから、彼が楽しそうに笑った。
……くぅ……っ。
まさか、見えてるなんて。
っていうか、言ってくれればいいのに!
なのに、黙って見てるなんて……!
「えっち!」
「役得と言ってほしいね」
「もぅ……っ……違うもん!」
赤くなった顔のまま彼に駆け寄り、軽く背中を叩く。
すると、くすくす笑いながら、キーを取り出して――……。
「……え……」
「コレあげるから、機嫌直して」
「っえ……!?」
私の手を取って、そこにキーを置いた。
「えっ……え!? 祐恭さ……!」
「エンジン。かけていいよ」
「でもっ……!」
手を握ればそこには、マツダのマークが入ったこの車のキーがあって。
シンプルながらもしっかりした重みのあるキーリングもあいまって、一層存在感があった。
「…………」
戸惑いながら彼を見ると、簡単に手を洗ってからこちらに歩いて来た。
そして、運転席のドアを私に向かって開けてくれる。
……まるで、エスコートさながら。
主のない運転席が、やけに大きく見える。
「……いいの?」
「もちろん。だから、あげたんだろ?」
内心、心臓はもうばくばく。
だって、なかなかエンジンをかける機会ってないんだもん。
でも、彼と付き合うようになってから……何度かあったかな。
それは、どれもこれもこんなふうに彼の善意から得られた機会ばかり。
「…………わ」
恐る恐る運転席に乗り込んでから、キーを差し込む。
当然だけど、カチッと気持ちよくはまる鍵。
まだ回してすらいないのに、なんだか嬉しい。
「……っ」
ゆっくりと、キーを……回した途端。
電気系統が動きを見せ、そして――……。
「っわ」
エンジンが、かかった。
独特の震動と大きな音。
……これ……やっぱり、駄目……かもしれない。
「……羽織?」
「え……?」
「どうした?」
顔を伏せたのが、彼には気になったんだろう。
でも、ゆっくりと顔を上げたら……彼は瞳を丸くした。
……そうなると思う。
だって、私……すごい笑顔なんだもん。
「なんか……すごく嬉しい」
「そういや、前もそんなこと言ってたな」
「だって! なんか……こう、独特なんですよね。気持ちいいっていうか、自慢……っていうか」
「なるほどね」
ドアに腕をかけて中を覗き込んでいる彼が、おかしそうに笑った。
……はー……。
やっぱり、何度味わっても気持ちいい。
車が好きな人って、こういう瞬間とかも好きなんだろうなぁ。
「免許、どうする?」
「……え?」
「車好きなんだし、早めに取ったら?」
「んー……」
確かに車は好き。
多分、すごく。
……だけど……。
「私……できるのかな……」
「大丈夫だって。最初は誰でもエンストするんだから」
「……うぅ」
普段彼の運転を見ていると、それはそれはスムーズで。
エンストなんてもちろんしないし、車庫入れも縦列もなんでもこいってくらいに運転してる。
……だから、余計に自分じゃちょっと……って思うのかもしれない。
ギアチェンジだって、クラッチワークだって、何もかもいっぺんにやらなきゃいけないことが多すぎる。
…………できないだろうなぁ、きっと。
運転イコール彼の専売特許みたいな感じに思っているから、余計そうなのかもしれない。
「当然、マニュアルで取るよね?」
「え……!?」
一瞬、鋭い瞳が見えた。
……あ……あぅ。
もしかして、『やっぱり無難にオートマのほうが……』なんて思ったのが、わかったんだろうか。
「あは……あはは」
慌てて手を振り、笑みでごまかす。
だけど、やっぱり彼はそう簡単に『だよね』とは言ってくれなかった。
「練習で、この車貸してあげるよ」
「えぇえ!? そっ……そんな! とんでもない!」
「なんで?」
「だって、傷とか付けたりしたら……っ……」
さらりと提案された言葉に、思いきり首を横に振る。
ただでさえマニュアルでの運転に不安を抱いている私が、教習所に行って基本的な部分を学んだからといって……一朝一夕でできるようになるはずもなく。
……怖い。
せっかく、彼が大切にきれいに乗っているこの車に傷をつけてしまうんじゃないかってことが。
「大丈夫だって」
「……でも……」
「そのときは、身体で返してもらうから」
「えぇええっ……!?」
笑顔の秘密は、そこにあったらしい。
にっこり微笑んだかと思いきや、まさかそんな言葉が出てくるなんて。
……明らかに、冗談だろうとは思う。
…………じょ……冗談ですよね?
心なしか、そこには悪意なんてものが感じられないような笑みしか見えないんだけど。
「ミニスカートで華麗に乗り回して、しかも中から颯爽とかわいい子が降りて来たら、カッコイイと思うけどね」
「……でも……」
「イイ女だと思うよ? ……俺のだけど」
「…………うぅ」
にっこりと笑いながらルーフを叩いた彼の眼差しは、私をまっすぐ見つめている。
……い……今のは、何か反応したほうがよかったのかな。
にこにこと微笑んだ姿がちょっぴり怖くて、曖昧な笑みしか出てこなかったんだけど。
「せっかくだし、夏休みにでも取りに行ったら? ……まぁ、多少は混むかもしれないけど」
「……ですか?」
「そりゃあね。……でもいいよな、学生は。なんだよ、休みが2ヶ月って」
「……う。そう言われても……」
あわわ、とばかりに何も言えない。
だって、その……い、一応ね?
そう仰る祐恭さんだって、昔はそうだったわけで。
……でも、確かにちょっと思う。
随分長すぎる休みだなぁ、って。
なんで、大学生の夏休みってこんなに長いんだろう。
短期留学とかする人のためとかなのかな?
「それじゃ、クラッチべったり踏んで」
「……え?」
「クラッチ。……どれかわからないなんて言わないよね?」
「え……えっと……それは、まぁ……」
シートに座ったままでいたら、彼がまた運転席を覗き込んだ。
人差し指で箇所箇所を示し、私を……見る。
…………。
……え……ええと……。
これって、もしかして……もしか、するんですか……?
彼を見たまま、ほんのりと汗が滲む。
「クラッチ、最後まで踏み抜かないでギア入れると壊れるから」
「えぇ!?」
「……まぁ、そこまで怖がらなくても大丈夫だけどね」
クラッチを見つめたままでいたら、とんでもない言葉が聞こえた。
……こ……壊れる……の? ギアって?
…………うわぁ。
やっぱり私、駄目かもしれない。
だって、怖いじゃない?
こ……これ、祐恭さんの車なんだよ?
だもん、やっぱり――……。
「平気だって、そんな簡単に壊れないから。……ほら。踏んで。べったり」
「…………でも……」
「大丈夫。ちゃんとサイド上がってるから」
「……うー……」
ぴ、と彼が指差した先には、確かにサイドブレーキがあった。
……でも……確かに、その、まぁ……そうなんだけれど。
理屈はわかってるんだけど。
やっぱり、頭はその……追いつけない。
いいのかな、って思いがものすごく大きく最初にあって。
「…………うぅ」
彼をもう1度見たら、深くうなずかれた。
そこで、ゆっくりと……本当に、本当にゆっくりと、徐々にクラッチを踏んでいく。
――……すると、音が静かになった。
何のってもちろん、エンジンの。
「じゃ、次はギアね」
「え! ほ……ほんとにですか?」
「もちろん。入れ方、わかる?」
「……あんまり」
情けない顔で、情けない言葉が漏れた。
でも、だって!
確かに普段彼の運転を見てはいるけれど、だからといってすぐに動けるかと言われればそうじゃない。
すると、くすくす笑いながら、彼がギアを指差した。
「そこに、1から6まで数字が書いてあるだろ?」
「……ですね」
「1ってのは、そこから左に倒して、前に入れた状態ね」
「…………」
「だから、今の状態から上に入れると、3。下に入れれば、4」
「……なるほど」
一応、わかったとは思う。
……や……あの、でもね?
でも、だからといって……い……弄ってもいい、のかな……。
だって私、まだ免許はもちろん、教習だって受けてないのに。
「……いいんですか……?」
「大丈夫だって。ほかに人いないし、一応はここ敷地内だし」
…………それは……そうなんだけど。
うーん。
でもまぁ……い、1回だけなら。
ギアを入れるだけなら、いい……のかな?
別に、走るわけじゃないんだし。
「ひとつだけ。絶対にクラッチから足を離さないこと。……いい?」
「う。わかりました。……えっと……じゃあ、ずっとこのまま踏み抜いてればいいってこと?」
「そ」
ギアに手を置いたとき、彼が小さく忠告した。
それにしても、まさか自分がこんなことをする日が来るなんて。
あまりに急な展開で、やっぱりたまらなくドキドキしてるのがわかる。
……左に倒してから、上に……だよね。
ゆっくり、ゆっくり……だけど、気持ち以上に力が入っていた。
「…………」
「……入った?」
「入り……ました、よね」
「だね」
別段、何か目に見える変化はなかった。
……でも、手ごたえが違う。
確かに、きっちり固定されているというか……納まってるというか。
「それじゃ、クラッチ踏んだままで次はセカンド」
「……下?」
「そう。下」
ギアに手を置いたまま彼を見上げると、微かな笑みを浮かべながらうなずいた。
……なんか……嬉しい。
でも、やっぱりどきどき。
緊張と嬉しさで、相乗効果って感じがする。
「…………」
「サード」
「…………」
「……多分、それは5」
「え!?」
がっくん
「はわっ……!?」
言われた通り、ギアをあちこち入れ直していた――……まさに、その最中。
いきなり、ものすごい衝撃に襲われた。
……え……。
え、え、っ……ええええ!!?
「……あー……あ」
ものすごく低い、そして長い悲哀の声が聞こえた。
弾かれるように彼を見上げ……るまでもなく。
自分が今、何をしでかしたのかがハッキリわかった。
「あ……あっ……!?」
「……あーあー。……あー……あー」
「あ……あああ……っあ……あーーっ!?」
エンスト。
絶対やるなと言われていたのに、つい、クラッチから足を離してしまったのだ。
……しかも、見事なまでに、ぱっと。
一瞬で。
全然、躊躇せずに。
「ごっ……ごめんなさい……! ごめんなさい、ごめんなさい!!」
「……あーあ。あっぶねーな……」
「ごめんなさい……っ!」
ぎゅうっと両手を握り、彼に何度も頭を下げる。
……すっかり、さっきまでとは雰囲気が変わってしまった車。
先ほどまでのエンジンの震動はまったく感じられず、前のパネルには幾つもの灯りが付いていた。
……恐らく、エンストを示すものもあるんだろう。
それっぽいマークが見えて、眉が寄った。
「じゃ、まずクラッチ踏んでからギア抜いて」
「……え……?」
「クラッチ」
「あっ……はい」
言われた通りに、慌ててクラッチを踏み抜く。
……ギア。
入ったままになっているそれを、元に……戻して。
「クラッチ、離していいよ」
「……いい……んですか?」
「うん。もうギア入ってないからね」
恐る恐る彼を見上げると、深くうなずいてくれた。
……しかも、ほんのりとした笑みを見せながら。
「ギアの入れ間違いは仕方ないって。教習すら受けてないんだから」
「……けど……」
「ま、クラッチから足離したってのは、マイナスだけど」
「…………ごめんなさい……」
くすくす笑いながらの言葉にも、しゅんと俯いていた。
……だって、本当にショックだったんだもん。
自分が今、やってしまったことに対して。
「……本当に、私にできるのかな……」
ぽつりと本音が漏れた。
弱気って取られても、仕方がない。
……だって、エンスト。
さっきの衝撃が未だに身体に残っていて、少しだけ手が震えている。
――……でも。
「……あ……」
「できるよ、絶対。……俺が言うんだから、間違いないだろ?」
彼の大きな手が、頭を撫でてくれた。
大丈夫。
そんな彼の言葉が、伝わってくるみたいで素直に嬉しくなる。
「……ね?」
ドアに腕をかけたまま覗き込まれて、ほっとしたのと嬉しさとから顔が緩む。
「がんばります」
うなずいたとき、確かな言葉が自分から漏れて。
それもやっぱり嬉しかった。
彼の表情は逆光だったこともあってか、やけに印象的だったんだよね。
「……車、きれいになりましたね」
「だね」
キーを抜いた車から降りて、フロントに回る。
今の天気は、曇天。
だけど、すごくキラキラしてて、明らかに艶と光沢があるのがわかる。
……なんか……すごく嬉しい。
自然と、にんまり顔が緩んだ。
「明日はそれじゃ、江ノ島行こうか」
「えっ!?」
「いろいろがんばった、ご褒美ね」
思いがけない言葉が聞こえて、瞳が丸くなった。
にっこりと微笑まれ、じわじわと実感が身体いっぱいに広がり始めたのは……少し、あと。
「やったぁ……!」
まるで、小さな子みたいだったかもしれない。
でも、本当に嬉しかったんだもん。
……覚えててくれたんだ。
昨日の夜、テレビを見ながらさりげなく言ったことを。
「江ノ島水族館、行きたいんだろ?」
「行きたいです!」
「じゃ、明日ね」
「はいっ!」
きびきびと答え、笑みを押さえるように頬に手を当てる。
……やったぁ……!
行けたらいいなと思っていたことが、こんなに早く実現するなんて。
でも本当は、連れて行ってもらえるというのも嬉しいんだけれど、彼がその言葉を覚えていてくれたというほうが嬉しかったりする。
……だって……だって、本当に特別。
顔が緩みっぱなしで、どうにもならないほど……笑顔が張り付いちゃうんじゃないかってくらいに。
「それじゃ、明日ね」
「ん。……楽しみ」
髪を撫でてくれた彼を見上げ、満面の笑みで大きくうなずく。
すると、彼もどこか満足げに笑ってくれた。
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