「悪いな、せっかくの休みに」
「まったくだ」
「……お前、そーゆーなよ。あいさつだろ? あいさつ」
「なら、言うなよ」
 そもそも、悪いなんて思ってないだろ? お前。
 眉を寄せた孝之を見ながら、思わず苦笑が漏れた。
 ここは、駅前の大通り。
 市営駐車場に車を停めて、ぶらぶら歩く――……男ふたりの休日の昼。
 なんつー組み合わせなんだ恐らく互いに思いつつも、利害が一致している以上は何も言えないのが悲しいサガか。
「ま、お前のためじゃないからな」
「あーそーかよ。そりゃどーも、ご丁寧に」
 口ではそう言いながらも、当然のように口調はそう言っていなかった。
 ついでに、その表情も。
 どこかヤレヤレといった感じをしっかり持っていて、ただ苦笑しか浮かばない。
 孝之が、こう言うであろうことは当然ハナからわかっている。
 だから、敢えて言ったワケだ。
「俺も、葉月ちゃんにはいろいろと世話になってるからな」
「……なんだよ。いろいろって」
「別に」
 聞きたいなら、もっとちゃんと聞いてくればイイだろ?
 『なんだそれ』と眉を寄せた孝之を見ながら、小さくため息が漏れる。
 いつも、こうだ。
 どうせなら、もっと俺みたいに大っぴらに言っちゃえばいいのに。
 そもそも、どうせ態度では示してるんだし、すべてが今さらだとは思うんだが……言った所で、コイツが認めないだろうことはわかってる。
 だから、援助してやらないワケだが。
「……あー……。やっぱ、アレだな」
「どれだよ」
「いや、ほら。……なんかさー、やっぱ、こう……このテの店に男ふたりで入るっつーのは、結構……きちーな」
「だったら呼ぶな」
「しょーがねーだろ? 俺だって、迷ったんだから」
 孝之が向かった先は、駅前でも目立つ部類に入るガラス張りの店。
 遠くからでも目立つこの建物は、市内でも有数の宝飾品店だ。
 海外ブランドに押されつつある、日本国内の消費数。
 それでも、この店だけは純日本製をモットーにしており、だからこその需要もあった。
 生粋の、和名ブランド。
 だが、海外での需要も最近は増えているという。
 ……なんて、じーちゃんが言ってたっけな。
 若い妻への趣味がこうじての筆頭株主が、かく語っていたことをふと思い出した。
「大丈夫だって。葉月ちゃん、似合うから」
「……あのな。そーゆー話をしてるんじゃねーんだよ」
「そうなのか?」
 わかってはいるが、一応言ったまで。
 腕を組んだままウィンドウの中にあるジュエリーを見ながら、そっけない返事をする。
 ……ま、俺も迷うけどさ。
 というか、正直俺もひとりでこのテの店に入ったのは、過去に一度しかない。
 将来にはまだ増える可能性もなくはないが、今のところはアレだけ。
 あの、模擬とはいえ挙式を控えた新郎の如き思いで足を踏み入れた、あのときだけだ。
「……はー……何がいいかな」
 珍しく気弱な声が聞こえて、思わず孝之を見ていた。
 ガラス張りの大きなウィンドウの中には、値札がすべて外されている装飾品ばかり。
 ……でもま、コイツの場合は値段云々じゃねーんだよな。
 元来、これといってセンスが悪いワケじゃない。
 だが、自分が知っている限りでは、コイツがこんなふうに自分を表す何かを贈ろうとしたのを見るのは、これが初めて。
 だから、ここまで悩むというのもわかる。
 何よりも、贈ろうと考えている相手は――……誰よりもコイツを1番想ってくれている奇特な子で。
 きっと、あの子ほどの女性はあとにも先にも彼女だけだろうな。
 いつも自分をあと回しにしてまで誰か為に、と動く姿を知っているからこそ、自分も『ならば……』と足を運んだんだ。
 ……せいぜいお前は、もっと悩むんだな。
 腕を組んだまま1歩下がって孝之を眺めながら、思わず笑みが浮かんだ。

「あおいッ……!?」

「っ……!」
 まるで、何かを切り裂くような。
 そんなすさまじい迫力を持った声が、背後で大きく響いた。
「な――ッ……!」
 反射的に振り返ると同時に、身体が――……先に動く。
「……あ? っ……おい……!」
 孝之は、気づかなかったのかもしれない。
 ……当然だ。
 アイツは、ガラスの中にあるモノを見ていたんだから。
 大切なあの子を想って、大切なあの子のために……って、懸命に選んでいたんだから。
「ちょっ……待てよ! 祐恭!!」
 すぐ、後ろ。
 自分の後ろに歩道橋があったと気づいたのは、声が聞える少し前。
 本当に、コンマ数秒という差だったろう。
 天気のよさもあって、俺はふと……ガラスを見ていたんだ。
 そこに映り込む青い空と、そして――……大きな歩道橋を。
「……く……っ!」
 遠かったワケじゃない。
 かといって、近かったワケでも。
 ……それでも。
 俺は、それでもやっぱり反射的にそちらを振り向いたから。
 理由なんて、沢山ある。
 目に入ったモノすべてがそうならば、聞えた言葉もそう。
 だが、瞬間的に反応した理由はと聞かれれば、後者のそれが強い。
 諦めているような、絶望的な悲痛な声。
 名前。

 あおい。

 俺にも関係のある名前で、こうも身体が先に動いたのかもしれない。
「ッ……!!」
 目に入る光景。
 それはあまりにもスローで。
 ひとコマひとコマを、確実に刻んでいく。

 走れ。

 誰かに言われたワケでもない。
 何か聞えたワケでもない。
 それでも、咄嗟に頭が働いたんだろう。
 何をどうすべきか……よりもまず先に。
「祐恭!!」
 孝之も、見ただろうか。
 愕然と手を伸ばし、半ば自身も落ちかけながら叫んでいる母親と――……そして、階下にいる俺に向かって背を見せている幼い女の子を。
 明らかに不自然な格好。
 だからこそ、瞬時に判断がついた。
「ッ……!!」
 数段飛ばして駆け上がり、腕を開く。
 あと、少し。
 ……いや。
 その言葉は正確じゃなかった。
「く……ッ!!」
 どんっと強すぎる衝撃が身体全部に来た。
 重さよりも、痛み。
 普通の状況と違い、考えられない重さがぶつかって肋骨が軋む。
 ――……だが。
 判断を誤ったんだろうか。
 それとも、自身を過剰に買かぶりすぎたのか。
「……ッ……!!」
 大きく、強く、長く。
 しなるように、腕を伸ばす。
 上に。
 もっと、上に。
 できることならば――……せめて、あと数cmでよかったのに。

 手が、届かなかった。

 わずか5cmにも満たない、手すりまでの距離。
 それがすべての分かれ目になったのは、明らかだった。

「祐恭――……ッ……!!」

 遠くで、聞えた声。
 ……遠く……?
 そんな距離じゃない。
 アイツは、俺と同じ場所にいたんだ。
 それに、アイツは元々俺なんかよりもずっと、長けてる。
 頭も、身体も。

 ――……なのに、なんでそう思った……?

「っ――……!!」
「……!!」
「……ッ……!?」
 黒いというよりも、白い中。
 その中で、衝撃と、音と、声と。
 いろいろなものがあったような気がした。
 ……だが、ひとつだけ。
 はっきり記憶に残っているのが、たったひとつだけあった。

 天地が、かえった。

 確かだったのは、青空と黒い地面。
 だが、なぜかその長い階段が、空へ空へと伸びているようにしか俺には見えなかった。


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