「……なんだか……変な感じ」
 ぺたんとフローリングに座ったまま天井を見上げて、どれくらい経っただろう。
 祐恭さんと一緒に暮らし始めて、もう、1ヶ月が経った。
 ……ううん、もう少し沢山。
 でも、私の中では『まだ』なのかもしれない。
 だって、今日みたいに別々の時間をすごすっていうのが、慣れないんだもん。
 今までは、別々で当たり前だった。
 だからこそ、こうして一緒にいられることが『当たり前』になり始めたら、すっかりそれに慣れてしまって。
 離れることが、今までの比じゃないくらい寂しくてたまらない。
 ……それだけ、自分が我侭になった証拠なんだよね。
 そう考えると少し、切ないけれど。
「……あ」
 遠くから聞えてきた、独特の音。
 洗濯が終わった合図だ。
 今日は、彼がお兄ちゃんと出かける日だから、家には私ひとりだけ。
 本当なら、絵里や葉月を誘って、一緒に出かけてもよかったかもしれない。
 でも、そうは思わなかった。
 結局は、これまでやろうと思いつつもなかなかできなかった場所の掃除や、冬の洋服やベッドカバーなんかの洗濯で時間がすぎてしまって。
 ……気づいたら、13時をとうにすぎた今もまだお昼を食べてなかった。
 祐恭さんたちは、もう食べたのかな……。
 どうしたって、想うのは彼のことだけ。
 離れているから、こうして想うしかできないけれど……でも。
 それでも、彼はまたここに帰って来てくれる。
 きっと、『ただいま』って笑顔を見せてくれながら。
「えっと……次はじゃあ、畳んでから……あ。クロゼットも片付けなくちゃ」
 ぼんやりしたままだった自分に気づき、ゆっくり立ち上がってから洗面所へ向かう。
 ……沢山洗ったけど、ちゃんと乾いてるのかな。
 ふとそんな心配をしながら、キッチンに――……差しかかった、ときだった。

 ガシャンッ……!

「っわぁ!?」
 いきなり、背後で大きな音がした。
「なっ……え……!? な……何……?」
 ドクドク脈打つ鼓動を押さえるように胸に手を当て、恐る恐る振り返る。
 部屋にいるのは、私ひとり。
 家にいるのも、そう。
 ……しかも、明らかに音がしたのは、今、自分だけが通った場所。
 だって、何に触ることもなかったんだよ?
 ただ、ゆっくりと歩いただけ。
 そこまでの大きな振動なんて生まれるはずもないのに、いったいなんだろう……? と、少しだけ怖くもあった。
「……え……?」
 床にあった、見慣れたもの。
 それは――……大切な……大切な、彼の、腕時計。
 それが、今までなかった床の上にころんと横たわっていた。
「……っうわぁ……大丈夫かな……」
 この時計は、彼がおじいさんである浩介さんに貰ったもの。
 とてもじゃないけれど、安くなんかない。
 仕事に行くときはいつもはめていて、そうじゃない日はいつも――……。
「……あれ……?」
 パソコンラックの上には、うさぎの置物が立ったままだった。
 去年の夏、彼が京都に出かけたとき、お土産に買ってきてくれたもの。
 一見ただの置物に見えるけれど、実は底の部分にぜんまいがついていて、オルゴールになっている。
 ……あまりにもかわいらしいから、どうしてこれにしたんですか? って聞いたんだよね。
 そうしたら、彼は笑いながら――……教えてくれたっけ。

 これを、こうするため。

 そう言って、時計をうさぎに……かけた。
 彼と、私。
 それぞれに見立てた、一種のミニチュア。
「…………」
 どうやって、時計だけが落ちたんだろう。
 うさぎが横に倒れたんなら、わかる。
 ……でも、違う。
 横になってない。
 でも、時計だけ。
 …………なんで……?
「ッ……!」
 怖さと、不気味さと。
 そんな嫌な気持ちにさいなまれながら、時計を拾い上げ――……ようとしたとき。
 いきなり、携帯が大きく鳴った。
 流れているのは、お兄ちゃんが好きな曲。

 ……え、お兄ちゃん……から……?

「っ……!」
 時計を握りしめたまま、慌てて携帯を取る。
 違うよね?
 私が考えてるようなことじゃないよね……?
 でも、だとしたら……どうして?
 なんで、祐恭さんじゃなくて――……お兄ちゃんから、電話があるの……?
「もしもしっ……!?」
 全身に、嫌な感じがまとわりついて離れない。
 嫌だ……っ……! 何事もありませんように。
 だって、そんなはずないんだから。
 彼はさっき――……笑って、出かけて行ったんだから。
 だから。
 ……違うよね?
 そうであるはず、ないよね?

 『今から、支度して下まで降りて来い』

「……え……?」
 どくどくと身体全部が嫌な音を立てていて、鼓動がやけにうるさくて。
 だけど…………聞こえた声は、いつものお兄ちゃんと違っているように聞こえた。
 ……嫌、だ。
 だって、少しだけ……切羽詰ったような声だから。
「……なんで……?」
 自分の声が掠れているのがわかる。
 携帯を持っている手も、震えているのが見える。
 ……嫌だ。
 嫌だ、嫌だ……っ……!
 そんなことあるはずない。
 だって、だって――…………!!
「なんでそんなこと言うの? ……ねぇ何……? ねえ……ッ……何かあったの……!?」
 やだな。そんなはずないじゃない。
 違うの。
 きっとお兄ちゃん、私をびっくりさせようとして――……。

 『……準備してこい』

 しばらく黙っていた彼が、言う。
 支度。
 準備。
 それはいったい、なんの?
 だけど――……その答えを貰うよりも先に、ひとつだけわかったような気がした。

 ものじゃなくて、気持ちの準備をしてこい。

 たったひとこと、そう言われたみたいな……そんな、意味に聞こえて。

 ――……奇しくも今日は、彼と暮らし始めてから初めて別々の時間をすごした日だったと、あとになって知ることになった。


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