「……じゃあ……」
「あ?」
「じゃあ、どうすればいいの?」
 しばらく、涙が溢れて声が出なかった。
 ようやく出たのも、私らしくない、くぐもったような変な響きを持った声。
 それも悔しくて、また彼をしっかり睨んでいた。
「どうやったら戻るの? ……っ……元に、戻るの……!?」
 答えを、知ってるんでしょ?
 わかってるんでしょ?
 だから、あんなふうに偉そうなことばかり沢山言ったんでしょ?
 ……聞かせてよ。
 どうしたらいいのか。
 わかったようなことを散々喋ってきたんだから。
 それくらい簡単なんだよね? 朝飯前なんだよね?
 だったら、教えて。
 やって見せてよ。
「…………っ」
 ……だけど。
 ぎゅ、と拳を握り締めたまま彼を見上げたら、小さくまた鼻で笑われた。

「ンなモン、自分で考えろ」

「ッ……な……!」
 とんでもない答えだと思った。
 だって、あんなに平然と自分の考えを押し付けるように喋ったのに。
 なのに……最後にはこんなふうに突き放すなんて。
 ……いったい、どこまでわかりかねる人なんだろう。
 行き場のない怒りが、また身体に篭る。
「答えなんかねぇんだよ。だからあれこれ動くんだろ? あがいてあがいて、手探りで求めるんだろ?」
「っ……でも、それは……!」
「人間、考えなくなったら……頭使わなくなったら、オシマイなんだよ。だから、考えて先を読んで動くんだ」
 まっすぐに見つめられ、言葉が出てこなかった。
 本当は、もっと沢山のことを言いたいのに。
 それは違う、とか。
 そうじゃない、とか。
 沢山沢山、言いたいことがあるのに。
 なのに――……。
「…………」
 何も、言葉が出てこない。
 ……それは、もしかしたら……お兄ちゃんの言ってることを、やっぱりどこかで『正しい』んだろうと思い始めていたからかもしれない。
「誰かのせいにしちまえばラクだよ。そりゃあな。でもお前、自分で言っただろ? 誰のせいでもないって。誰も悪くないって」
「……それは……」
「そしたら、黙って塞ぎこんでるワケにはいかねーだろ? 動かなきゃ何も変わんねぇんだぞ。何もしねーで好転なんざ、ありえねぇんだよ」
「………………」
 確かに、私が言った言葉だった。
 あのとき――……お兄ちゃんの顔を見ていたら、自然に出てきた。
 ……だって、責めるわけにいかない。
 本当に、そう思ったんだもん。
 お兄ちゃんのせいでも、彼のせいでも、あの子のせいでもないって。
 ……私のせいでも、ない……って。
 そう思ってた。
 思ってた、のに。
「早く気付いたヤツから救われるんだ。いつまでも塞ぎ込んでウジウジしてるヤツは、一生何も変わらない」
「………………」
 気づいたら、『私のせい』って思い込んでる部分があった。
 私がいけないんだ。
 私がせがんだから。
 私が引き留めなかったから。
 私がちゃんとしてなかったから。
 だから……祐恭さんは、私を私を忘れたんだ、って。
 いつの間にか、自分を責めて、すべてを背負い込もうとしていた。
 だけど――……お兄ちゃんの言葉を聞いて、なんてことを考えていたんだろうって……今になってわかった。
 大それたことなのに。
 ……そんな偉そうなこと思ったって、何ひとつと自分にはできないのに。
 なのに、ずっと気づいていなかった。
「お前。推薦で落ちたとき、大学諦めたのか?」
「……え……」
「違うだろ? もういっぺん、受験したろ?」
「……それは……! そう、だけど……っ」
「そしたら、わかンだろ? 諦めたらそこで終わりなんだ、って」
「…………」
「この世の中な、諦めが悪いヤツのほうが目標にまで手が届くんだ。一度足を止めたら、そこでいくら文句言おうと何しようと、先になんざ進まねぇんだから」
 黙ったまましばらく私を見ていたお兄ちゃんが、小さく息を吐いてから続けた。
 ……終わり。
 その言葉が、なんだかやけに重たく聞える。
 言ってることは、どれもこれも当たり前。
 だって、諦めたら本当にそこで終わりだから。
 先はないから。
 でも――……やっぱりその意見に反発する自分もいる。
 そんなんじゃない、って。
 そんなこと私はしない……って。
 そう思ってる……私もいる。
「歩けよ。……歩いて前に進め」
「…………」
「どんなに遠くたってな、諦めずに歩き続ければいつか辿りつけンだぞ」
 いつしか、お兄ちゃんの声が変わってきていたのに気づいた。
 優しいっていうか、なんだか……どこか、お父さんの雰囲気とカブる。
 お父さんは、私にもお兄ちゃんにも、決して怒鳴る怒り方をしなかった。
 どんなことでも、怒鳴ったりしないで、こんなふうに……まるで諭すように、目を見て話すんだよね。
 ……ヘンなの。
 お父さんとお兄ちゃん、タイプが全然違うと思ってたのに。
 なのに、なんで……こんなに似てるんだろう。
「………………」
 情けない、というのもある。
 でも、それと同時に悔しくも……あって。
「……っ……」
 俯いたままでいたら、乾いたはずの涙がまた溢れていた。
 頬を伝い、フローリングに置いたまま握り締めていた手の甲へ、ぽたりと落ちる。
 すると、ほどなくしてお兄ちゃんが部屋から出て行ったのがわかった。
 背中がドアをくぐったのを見て、一層涙が溢れてくる。
 …………何も、言い返せなかった。
 だって、彼の意見があまりにも正確だったから。
 ……どこかで……思っていたこと。
 でも、それを自分で肯定しちゃったら、いけないような気がして。
 許されないような……そんな気が、して。
 それが怖かった。
 自分だけ悪くない、って。
 自分は何もしてない、って。
 そう思い込むことで彼を裏切ってしまうような……そんな気もして。
 彼に忘れられたことで、これまでの自分すべてを否定されたような気もした。
 ……あの目が忘れられなくて。
 頭に焼き付いて、離れなくて。
 だからこそ、『私のせいだ』って思った。
 直感的に、私が悪いんだって思った。
 理由や直接的な原因は思い浮かばなかったけれど……それでも、そうに違いないって。
 だけど、そう思い込むことで、もしかしたら自分を守っていたのかもしれない。
 彼に忘れられたのは、私がいけないことをしたからだ、って。
 悪い子だったからだ、って。
 だから……忘れられても、仕方ないんだ、って。
 そう思うことで、彼に否定されたのには理由があるんだ、って納得しようとしていた。
 何もしてないのに忘れられたんじゃないんだ、って。
 私がいけないことをしたから、彼に忘れられてしまったんだ、って。
 …………嫌われる結果になったんだ、って。
 だって……理由があるのとないのとじゃ、全然違うじゃない。
 理由が何もないのに私だけのことを忘れられたなんて――……そんなの、つらすぎる現実だったから。
 受けとめるには大きすぎて、このままじゃ自分が潰れてしまうと直感したから。
「……ひっ……ぅ……」
 涙が、あとからあとから漏れてきて。
 手で拭うだけじゃ足りないほど、頬を濡らし続けていた。


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