あれからというもの、結局カフェで2時間ほど『あの客が銃で狙ってる』だの『この水には毒が仕込まれてる』だのという猿芝居が延々と続いていた。
 ていうか、アナタ店に入ってきたとき何も躊躇なくコップの水飲み干したじゃない。
 よく言うわ。ホント。
 ……で、現在。
 彼が突然『追っ手が来たから、店を出よう』と言い出したので、こうして公園を歩くふたりから距離を取りつつ尾行しているわけ。
「…………」
 本当に追っ手とやらが来ているのであれば、これほどひらけていてかつ、人通りのあまりない場所に来るのは間違いじゃないのかしら。
 身を隠すような場所はいくらでもあるし、それこそ木陰から銃で撃たれでもすれば、それでオシマイになると思うけど。
 店にいるとき、彼が言ってたのよ。

 『あの客は、読んでいる新聞に穴を開けて、そこから俺に銃口を向けてる』って。

 ……馬鹿ね。ホント馬鹿。
 でも、いざ現実で自分が言われると信じちゃうのかしら。
 あたりを気にしながら彼に肩を抱かれているアンジュは、いつ追っ手が来るのかと冷や冷やしているような――って、違うわね。
 あれは、ちょっと楽しんでる。
 きっと『追っ手なんて、彼がカッコよく追い払ってくれるに違いない! そうすれば、私はヒロインに……!?』みたいな。
 もしかすると、よくありがちな“さらわれる”パターンまで考えてるかもしれない。
 そう想像するに容易いほど、遠目でもよくわかるくらい彼女の瞳は輝いていた。
「危ないっ!」
「えっ!?」
「そんな、空から見える場所を歩いていたら、上空から狙われるじゃないか!」
「あっ、ご、ごめんなさいっ」
「ああっ! ダメだよ! 道の真ん中を歩いちゃあ! もっと端を歩かなきゃ!」
「そ……そうなの? ごめんなさいっ」
 ……あーあー。何これー。
 帰りたいー。
 帰りたいのよ、ものすごく。
 見ているだけで『うわ』と思うような内容なのに、ひたすら神妙な面持ちで言うことを聞くアンジュ。
 アナタ、意外と健気だったのね。
 ……って、また出た。
 実は、あのサングラスの彼に会って以来、どうも『意外』と言うのが口癖になりつつあった。
 ここ数ヶ月の間で急に使用頻度が増えたのもあるんだけど、先日ルイに笑われたのだ。
 自分じゃまったくわからなかったんだけどね。
「…………」
 まったく……どうしてくれるのかしら。
 コートといい、うつってしまった口癖といい……いろんな意味で、どうにかしてほしいわ。
「っ……!」
 公園内でも、殆どどころかまったく人通りのない場所。
 そんな、生い茂った木々が見下ろす細い道を歩いていたそのとき、急に足を止めた彼は、きょろきょろとあたりを見回してからおもむろにアンジュの両肩を掴んだ。
「アンジュっ。喉、渇かないかい?」
「……え? えっと……んー別にまだ、平気だけど」
「そう? でもほら、結構歩いたし」
「うーん……でも、さっきのお店でずいぶん飲んだでしょう? だから、今は……」
「そんなことないさ! それにほら、もしかしたら今日はこのあと水分を摂れないかもしれないよ?」
「えっ!?」
「だからさ、ね? あ! ほら、ちょうどいいところにベンチがあるじゃないか。すぐに買ってくるから、そこで待っててくれ」
「ええ!? あ、ねぇっ! でもっ!」
「いいから! 俺なら大丈夫だから!」
 きゅぴーん。
 急な展開についていけず、完全に置いてけぼりモードのアンジュを残したまま、彼は『俺に任せとけ!』とでも言わんばかりのポーズを取って歯を見せて笑った。
 ……何これ。
 そういうリアクションする人、これまで見たことなかったんだけど……漫画とかそういう類のものの見すぎなんじゃないかしら。
 オーバーって以前に、何かが違う。
 それこそ、次元がと言ってもいいかも知れない。
「…………」
 タタタッと軽快な足音で、彼は来た道を戻っていった。
 木陰に易々と身を潜めることができた私は、その後ろ姿を見ながらも、呆れてため息しか出てこない。
「……せんぱぁい……」
「何よアレ。ていうか、追っ手はどうしたのよ。追っ手は」
 木でできた古めかしいベンチに腰をすえると、隣に座っていたアンジュが抱きついてきた。
「でもでもっ、もしも本当に怖い人が来たらどうしたらいいんですか?」
「そのときは守ってもらいなさいよ。……なんせ、一流の諜報員なんでしょ? カレシは」
「うぅー……先輩ぃい」
 ベンチの背もたれへ腕を乗せ、ひらひらと手のひらを振る。
 アンジュが半泣きに見えるのは、どういう理由からだろう。
 彼氏が、思った以上に実はすごい人だったから?
 それとも、いつ敵に襲われるかわからない恐怖ゆえに?
 はたまた――。
「……ていうか、追っ手が潜んでる森に大事な彼女を置いていくなって話よね」
「そうなんですよぅ!」
 どうやら、アンジュが半泣きだったのはソレらしい。
 ま、気持ちはわかるわよ。
 全部の木陰は確かめられないし、嘘かホントかわからないけれど、そういう情報を与えられた以上気にするなってほうが無茶だもの。
「どうしましょう! もしもっ……もしもですよ!? もしも、ここに……今ここにっ、知らないこわーいイケメン殺し屋が来たら……どうしましょう!!」
「……知らないわよ」
「えぇー!? 先輩、どうするんですか! 殺されちゃいますよ!?」
「ていうか、なんでイケメンだと思うの? オジサンかもしれないじゃない」
「そんなことないですよ! 殺し屋っていうのは、昔からナイスガイなコワモテだって決まってるんですから!」
 私の冷めた視線を全身に受けながらも、身体ごとこちらに向きながらオーバーな手振りで力説するアンジュは、夢見る子羊と言ってもいいんじゃないかしら。
 むしろ、アレね。映画や、ドラマの見すぎ。
 現実世界じゃ、そんなにゴロゴロとカッコイイ捜査員や実は心根の優しい悪党なんているはずないんだから。
「……ま、何かあったら警察呼びなさい。私は帰るから」
「えぇー!? そんなぁ! 薄情ですよ! 置いて帰らないでください!!」
「だって、いい加減違うってわかってるんでしょ? アンジュだって。彼は絶対に違うわよ」
「うー……でも、でもぉ……」
「とーにーかーく! いい? 私は、オフを潰してまで茶番に付き合ったの。もう日も傾いてきたし、そろそろ帰ってもバチは当たらないでしょ?」
「せんぱぁい!」
「じゃあね」
「えぇえ!? 本当にですかぁ!?」
 肩をすくめてから立ち上がり、背中にあれこれと言葉を投げつけてくるアンジュを振り返らずに手だけを振る。
 ときどき『鬼』とか『悪魔』とかひどい言葉が聞こえたけど、すべて無視。
 別に、私だって本気で痛い目に遭えばいいなんて思ってない。
 だから、もちろん……このままあの子を放って帰ったりするわけない。
 でも、あえてそう突き放すようなことを伝えることで、アンジュに気付いてほしかった。
 コロッと騙されてしまうような子だからこそ、もう少しいいことばかりじゃなく、悪い展開も考えなきゃダメだ、って。
 転ばぬ先の杖って言うじゃない?
 アレを、今からでもいいから身につけてもらいたかった。
「んもう! エステルせんぱ――」
「お待たせ、アンジュ!」
「あっ……」
 ……来た。
 背後で聞こえた声で状況を察知し、そばにあった木の陰へ身を潜める。
 ふたりの様子をそっと覗くと、何やらストローが刺さったカップのひとつをアンジュへと手渡そうとしているところだった。
 もうひとつへは、彼が先に口づける。
 だけど、アンジュは先ほど『喉は渇いてない』と言ったこともあってか、両手で持ちながらも口はつけなかった。
「アンジュも飲んでごらん? おいしいよ」
「……うん……あの、でもね? 今は別に――」
「そういえばアンジュ。アンジュは、どんな部屋が好きなんだい?」
「え? ……お部屋?」
「そう。部屋」
 アンジュが口をつけるのを渋っているのを見てか、急に彼が話題を変えた。
 でも、なんの前触れもなく『どんな部屋が好き?』と聞かれても、答えようがないと思うんだけど……どうかしら。
 少なくとも私ならば、『は?』と露骨に表情を変えるはず。
 だけど、アンジュはまったく私とは違うものの考え方らしく、にっこり笑いながら顎に指を当てた。
「うーん……そうねぇ……お城かな?」
「お城?」
「うんっ。アンジュ、お城みたいなお部屋がいいなぁー」
 くらり。ああ、なんか急に眩暈が。
 ばたばたと手足をばたつかせながら『だって、かわいいの好きなんだもん』と笑った彼女を見ていたら、得体の知れない頭痛にいきなり見舞われた。


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