まさに、アンジュパワー炸裂ね。
 自分とはあまりにも違いすぎて、眩暈どころか一瞬トリップした気すらした。
「……そう……。アンジュは、お城が好きなんだ」
「うんっ。だぁーい好き! ほらぁ、大きなベッドにふりふりのカーテンが付いてるのあるでしょ? ああいうの、女の子はみんな大好きなの!」
 喋りすぎて少し喉でも渇いたのか、アンジュはストローに口づけてから満足げに笑った。
 …………まぁ、ね?
 木にもたれながら半分流してはいたんだけど、そこにはちょっとだけうなずきかけた。
 確かに、天蓋つきの大きなベッドは、ある意味特別じゃないだろうか。
 これまで撮影で一度だけ味わったことがあるけれど、あのときは本気で半分寝てたもの。
 もっとも、ベッドシーンがない撮影だったから、気軽に寝れたんだと思うけれど。
「……それじゃあ、お城に連れてってあげる」
「え?」
「今の仕事が終わったら、ふたりで旅行に行こう」
「ホント!? ね、ねぇっ、ホントにホント!?」
「ああ、もちろん。本当だよ」
「わぁーい! やったぁ!」
 もしも今アンジュが立ち上がったら、ぴょんぴょんと両手を挙げて飛び跳ねたに違いない。
 さすがにベンチに座ったまま飲み物を飲んでいたから、それはしなかったけどね。
 ……うーん。
 でも、なんか妙なのよね。
 さっきまでの――ほら。
 飲み物を買いに行くまでの彼と違って、妙に落ち着き払っているというか。
 あのときまではしきりにあたりを気にしたり、わざとらしく妙なことを言ってアンジュにイチイチ指図していたのに、今は皆無。
 それどころか、余裕めいた表情でアンジュをじぃっと見つめたまま。
 …………? いや、違う。
 違うわ。
 彼が見ているのは、アンジュだけど……アンジュじゃない。
 彼女の、口元。
 ……そう。まさにストローのあたりだ。
「っ……まさか!」
 ざわ、と風で木々が音を立てたのと同じように、心がざわつく。
 あの顔。
 あの、イヤラシイ口元。
 もしかしたら……もしかしたら!!
「アンジュっ!!」
「……う……ん……?」
 アンジュがストローから口を外した途端、とろんとした瞳をこちらに向けた。
 マズい。
 あんな顔、普段の彼女はしない。
 妙に色気たっぷりで、少しだけだるそうで……眠たげで。
 もしかしなくても、飲み物に何かしらの手が加えられたのは確かだ。
「なっ……なんだお前は!」
「それはこっちのセリフよ!! 彼女をどうする気!?」
 アンジュへ駆け寄るのと、彼が立ち上がるのとは、ほぼ同時だった。
 すでに、張本人のアンジュは意識が朦朧とするのか身体の自由が利かないのか、くてんとベンチへもたれてしまっている。
 もう一度声をかけようとしたもののその視線は虚ろげで、サッと血の気が引いた。
「彼女に何をしたの!?」
「フン。お前に関係ないだろう?」
「あるわよ!!」
 今一歩、というところで彼女に手を出すことができず、もどかしさから語調が荒くなる。
 無理矢理男に引き寄せられた肩が、普段も細くてこころもとないのに、今はさらに儚げにうつる。
 ……壊したりしたら、承知しないから……!
 キッと男を真正面から睨みつけて背を正すと、一瞬、怯むような表情で喉を動かした。
「……ないくせに……」
「何……?」
「自信も度胸もないクセに、生半可なこと考えつくんじゃないわよ!!」
「なっ……!? なんだと!!」
 瞳を細めてさらに鋭く睨み、吐き捨てるように続ける。
 演じようなんて気持ちは、これっぽっちもなかった。
 だけど、目の前の男の反応を見ていたら、自然に身体が動き出す。
 ……いける。
 この人ならば勝てる。
 もちろん警察に連れ込むのがベストだけれど、もし今何かしらの武器を持っていたら、さすがに敵わない。
 でも、せめてアンジュだけは。
 彼女だけは、なんとしても取り返したい。
 突然私が現れたことで、ひどく動揺を見せている今ならばきっと大丈夫。
 この状況を“私”の技量で変えてみせる。
「許さない。……アンタだけは絶対に許さない」
 ザッ、と大きく一歩踏み出すと、アンジュを無理に立たせて抱き寄せていた腕が、びくりと震えた。
 動揺してることが相手にバレたら、おしまいよ?
 でも、そんな彼を見てさらに『勝機がある』と強く思えた。
「女心を弄んだうえに、得体の知れないモノまで使って……! アンジュに何かあったら、ただじゃおかないわよ!!」
「くっ……!」
 声量と気迫だけなら、私のほうが明らかに勝っている。
 これまでの数年間とはいえ、小さいころから鍛えられてきたんだ。
 場数だって違えば、それなりの心得だってある。
 どういう理由で彼女を陥れようとしたのかはわからないけれど、でも、悪いヤツに変わりない。
 ……恋に恋する乙女の気持ちを踏みにじるなんて、間違いなく悪党よ、悪党!!
「絶対許さない!!」
 瞳を細めてさらに一歩踏み出すと、たじろぐように彼が一歩後ろへ退いた。

「……あの。すみません」

「っ……え?」
「なっ……なんだ、貴様は!!」
 まさに一瞬の出来事だった。
 アンジュを抱えた彼を真正面から見ていた私でさえ、何が起きたのかわからなかったほど。
 どこから現れたのかわからない人影が、彼のすぐ後ろに立っている。
 ……え、いったいどこから来たの?
 そもそも、ずっと彼に対していた私でさえ、どこから出てきたのか見えなかった。
 たとえ彼の後ろの道を誰かが歩いてくれば、見えないわけがないのに。
「……?」
 何かしら。動きが妙ね。
 思わず眉を寄せて眺めてはいたものの、ふとした瞬間、この光景が何かとダブった気がした。
「ええと、道をお聞きしたいのですが」
「何ぃ!? ンなモン、よそで聞け!」
「まあまあ、いいじゃないですか。えーと……地図はどこにあったかな」
 がさごそとジャケットの外ポケットや内ポケットを漁るその人は、声からしてどうやら男性らしい。
 でも、目深に被ったキャスケットのせいで、その顔を見ることができない。
 あー……コレよ、コレ。
 この光景。
 これを昔どこかで見た気が……ていうか“昔”と表現することさえしっくりこないほど、最近といっていいくらいのときに。
「あぁ、あったあった」
「……?」
 内ポケットを探っていた彼が、そう言って手をとめた。
 ――瞬間。
 彼の口元が、まるで笑ったように見えた。

 プシュ

「んがっ!? ……ふ……」
「っ……!」
 懐から取り出したスプレーのようなものを、彼がいきなり噴射した。
 すぐ近くではないものの、反射的に口と鼻をブラウスの袖で覆う。
 見れば、噴霧したその人も、ハンカチのような布で口元を押さえていた。
「あ」
 ふ……と一瞬よろめいた男が、力を失って顔からベンチへと突っ伏した。
 相当派手な音がしたにもかかわらず、言葉ひとつ発しない。
 その様子から、今吹きつけられたモノが相当の威力を持っているとわかる。
「アンジュ!!」
 男が手を離した隙に、突然現れたその人がアンジュをしっかりと支えてくれていた。
 だけど、怪しいことに変わりないうえ、いきなり有無を言わさず男をこんな目に遭わせたのだ。
 どうしたって『いい人』だと断定できるはずがない。
「大丈夫ですよ。すぐ、目を覚ますでしょう」
「っ……!」
 その、喋り方。そして――声。
 何よりも先に脳の深い部分が反応したらしく、ぴくりと身体が跳ねた。

「こんにちは、エステルさん。……またお会いしましたね」

「アナタ……!」
 キャスケットを脱いだ彼は、見たことのあるサングラスをかけたまま、口元を緩めた。
「奇遇ですね。こんなところでお会いするとは」
「奇遇じゃないわよ、奇遇じゃ!! またアナタなの!?」
「それは、こちらも同じですよ。まさか、一度ならず二度もお会いするとは。よほど縁があるんですね」
「いらないわよ、そんなモノ!」
 アンジュを奪うように抱きしめて彼を睨みあげると、まるでこの前私がやった“降参”のように両手をこちらへ向けてゆるく首を振った。
 アンジュは、瞳を閉じたまま安らかに寝息を立てていることから、睡眠薬か何かだったんだろうと察しは着いた。
 彼が言うことすべて信用できるとは思わないけれど、でも、命に別状がないようで本当に安心した。
 ……それにしたって……!
「なんでこんなところに、アナタがいるのよ!」
「理由ですか? ……そうですね。この彼を成敗に、とでも言えばいいでしょうか」
「はあ?」
 相変わらず、何を考えているかつかめない表情に信頼度が右肩下がり。
 どの新聞にも、一切情報が出なかった人がまた、私の目の前に確かに存在している。
 ……写真でも撮って出版社に送りつけたら、ものすごいスクープになるんじゃないかしら。
 …………。
 まあ、彼らの場合はその写真どころか出版社ごと何かしら手を下しそう……などと考えてしまい、怖い想像で一瞬時間が止まった。
「…………」
 とにかく、油断できない人に変わりはない。
 それが、彼らだ。


ひとつ戻る  目次へ  次へ