「ここにいらっしゃるということは、すでにエステルさんもご存知なのだと思いますが……彼はこのような手口で、いくつもの詐欺行為を働いてきたんです」
「……詐欺?」
「ええ」
ちらり、と突っ伏した格好から微動だにしない彼を見下ろす視線は、ひどく冷たいもののように見えた。
口調とは、まったく違う。
凍てつくような……すべてを薙ぎ払うような、鋭い瞳。
横を向いた瞬間、わずかにサングラスの端から見えた彼の眼差しに、そんな印象を抱く。
「……けど、ただ詐欺を働いただけなら、警察で十分なんじゃないの?」
ぎゅ、とアンジュを抱きしめながら彼を睨むと、一瞬瞳を丸くしてから、またおかしそうに笑われた。
……それ、なんかイヤなのよね。
私にとってよくないことを言われる前触れのような気がして、若干腹が立つ。
「さすがは、エステルさん。鋭さは健在でしたか」
「誰だってわかるわよ、そんなこと。あのね。アナタたちが何をする組織なのか知らないけれど、聞きたいことがたくさんあるの」
「聞きたいことですか?」
「そう!」
吠えるように叫び、真正面から捉えられた視線に負けてしまわないよう、奥歯を噛み締める。
彼らと会ってから今日まで、ずっとずっと考えてたんだから。
あの新聞を読んで大きく膨らんだ、たくさんの謎について。
「この前のこと。新聞で読んだわ」
呼吸を整えてから切り出すと、わずかに彼が反応した気がした。
「だけど、どんな新聞を見たところで、アナタたちに関する記述なんてひとつもなかった。すべて“警察”という言葉に置き換えられて」
どんな言葉で反論されても、自信がある。
結構な時間をかけてその日発行された新聞に目を通して確認したんだから、“絶対”と言ってもいい。
――にもかかわらず、私がいくらまくしたてたところで、彼は表情を一切動かさなかった。
「アナタたちは何者なの? 警察とどういう関係? こんな男ひとり、警察が動けばすぐに捕まったはずよ」
「そうですか?」
「素人の私でさえ彼に噛みついたんだから、そうでしょう!」
あっけらかんと言い返されたのが頭にきて怒鳴ると、『そうでしたね』と笑いながらうなずいた。
……そうでしたね、って……ということは、もしかしなくてもやっぱり――。
「アナタ、いつから見てたの?」
「いい質問ですね」
「答えて!」
笑みを浮かべている彼へ一歩近づくと、視線を私から逸らし、微かに口元を動かした。
「ッ……!」
「いつからだと思いますか?」
「な……によ、これ! どういうつもり!?」
瞬間、ザッという音とともに、数人の黒尽くめの人たちが姿を現した。
服装は――そう。
あの日、あの雪の中で見たのと同じ。
だけどさすがに、今日はあの重たそうなコートを着てはいない。
「彼を確認し始めたのは、今からずいぶんと前のことです」
「え……?」
「組織のネットワークに、不正アクセスをかけてきましてね。当然、脆い鎧ではないですから、入り込まれることはなかったんですが……どこからか、“山羊”というキーワードを手に入れた」
淡々と喋る彼に、ここにきて違和感を覚えた。
こんな……人だったの?
散々、私が何を言っても張りつかせていた嘘くさい笑みが消えた今、無表情に近い……少しゾクリとさせられる眼差しに思わず唇を結ぶ。
私に見せていたのは、すべてが嘘ってわけね。
上等じゃない。
何も見せるつもりがないのなら、こっちから勝手に拾い集めるだけよ。
「直接我々に結びつくことはないと思ったんですが……まぁ、念には念を。そして、センスのない組織名で詐欺行為と――女性に対するいかがわしい行為をいくつも働いていることがわかったものですから」
『少し悪ふざけが過ぎましたからね』と言いながら彼が表情を戻したけれど、今ではもう嘘くさい仮面でしかなかった。
「『山羊の団』」
「あ、ご存知でしたか」
「……正直、聞いたとき一瞬アナタたちのことを思い浮かべたわ」
「それはそれは」
目の前にいる彼は、変装なのか、先日会ったときに着ていた重たそうな上着ではなかった。
黒のシャツと黒のネクタイなのは同じだけれど、その上に着ているのは普通のジャケット。
だからもちろん、あの『F』と刻まれたバッジや、山羊のマークはどこにも見当たらない。
「…………」
彼はなんの指示も与えなかったけれど、黒づくめの人たちは慣れた手つきで突っ伏したままだった男を抱え込み、少し離れた場所に停められていた黒い車へ向かってきびすを返し始めた。
彼らが立ち去るのを見ていたものの、まるでその光景すら阻むかのように、目の前の彼がこちらへ一歩近づいてそれらを隠す。
きっと自然な立ち居振る舞いなんだろう。
だからこそ、普通の人じゃないと改めて思った。
「それでまぁ、新たに彼が動いたとの情報を得たものですから、こうして足を運んだわけです」
「…………それじゃあ、何……?」
「はい?」
「アンジュを――この子をおとりに使ったわけ……!?」
さらりと言ってのけられた言葉で、身体が思った以上に反応した。
彼が言ったことをそのまま捉えれば、そういうことになる。
だって、ずっと前から彼を見張ってたんでしょう?
だとしたら、アンジュに接触したことも、今日あのカフェで私が一緒だったことも……すべて知っていたはずだ。
「結果的には、そうなるかもしれません」
「何よそれ!! 見張ってたなら、もっと早く動いてくれればよかったじゃない!! そうすればっ……そうすれば、この子だって……傷つかなくて済んだのに……!!」
「……その点に関しては、何も弁解できません。申し訳ないと思っています」
「本当にそう思ってるの!?」
「すみません」
ぎゅっとアンジュを抱きしめると、悔しさから唇を噛んでいた。
私だって、あの男は嘘くさいと思っていたし、ハナから信用なんてしてなかった。
だけど、それでもアンジュは嬉しそうに話していたし、今日のデートだって、何を着ていこうとかどんな髪型にしようかとか、とても楽しそうだった。
「謝って済む問題じゃないわよ!!」
今日という日を、アンジュが楽しみにしていたのは明らか。
彼を見つめる眼差しは“恋する女の子”そのものだったし、何より、私がいくら『怪しい』と言っても、彼女はそれを否定し続けた。
「この子に何かあったら、どう責任とるつもり?」
低い声で彼を睨むと、一度瞳を伏せてから唇を開いた。
「……先ほども申しあげましたように、使われた薬は睡眠薬に間違いありません。入れる瞬間もメンバーが確認してますし、使われた量も範囲内。一時的に強い催眠を引き起こしますが、副作用はまず出ません」
「なっ……入れるところも確認してたの!? それなのにどうして!? なんで、口にする前に止めてくれなかったのよ!!」
「それは……」
これまでと違い、彼が口をつぐんだ。
表情をわずかに変えたことから、嫌な考えが頭に浮かぶ。
「……薬が危なくないから、黙って見てたんじゃないでしょうね」
「…………」
「最低!! そんなの許せない!!」
「申し訳ありません」
いくら謝られたところで、湧きあがった怒りと不信感は収まらない。
一瞬でも、彼を信じた私が馬鹿だった。
もしかしたら、彼らは味方なんじゃないか。
本当は、いい人たちなんじゃないか。
勝手にそう思っていたことに違いないけれど、でも、まるで裏切られたような気がして悔しかった。
「…………」
「っ……何よ」
何も言わずにジャケットの懐へ手を入れた彼を睨むと、一度瞳を閉じてから、手にした何かをこちらに差し出した。
「これを」
「……? 何? コレ」
彼が指先で挟むように差し出した、ソレ。
何かと思ってじぃっと見つめると、六角形に折られた白い薬包紙だとわかった。
「…………」
一度彼の瞳を見てから受け取り、裏表にひっくり返して確認すると、触った感じから中に何かが入っているのがわかった。
「解毒薬です」
「解毒……?」
「彼女が飲んだ薬に副作用など後遺症は残りません。ですが――」
そこで言葉を切った彼は、視線を逸らしてから再び私を見つめた。
……ほんの少し。
その視線にほんの少しだけ申し訳なさが感じられて、睨んだままだった眼差しが緩む。
「エステルさんが仰ったように、彼女が口にするまで動かなかったことは、我々の手落ちです。今現在、世に出回っているすべての薬に対応できることは確認していますので、ご心配でしたら、飲ませてあげてください」
「……この薬が安全だという証拠は?」
「それは……信じていただくほかに、ないのですが」
「…………」
私だって、演技に携わる者の端くれ。
その表情が何を示しているかってことは、ちゃんとわかる。
……さすがに、この人がそこをマスターしているほど訓練を積んでいたら、読み切れないかもしれないけれど。
でも、これまでのやり取りの間逸らすことなく彼を見ていたけれど、特に不審な点は見受けられなかった。
「……わかったわ。信じる」
「ありがとうございます」
「ただし。これでもしも……もしも何かあった場合は、アナタたちのこと洗いざらいマスコミの前で喋るから覚悟して」
「わかりました」
瞳を細めて放った言葉に対し、彼は表情を和らげてうなずいた。
それは、たびたび見せていたような嘘くさい笑顔ではなく、ほんの少しだけ柔らかい笑みで、ついつられて笑みが浮かんだ。
「では、エステルさん。また……お会いすることはないと思いますが」
「そうね。そう願いたいわ」
「それでは」
手にしていたキャスケットを被り直した彼が、ふっと口元を緩めた。
――瞬間。
「…………ちょっと待った!!」
一番大事なことを聞き忘れていたのに、ようやく気づいた。
「はい? なんですか?」
「何じゃないわよ! 何をそそくさ帰ろうとしてるの!?」
「いえ、仕事は終わりましたから」
「そうじゃないわよ! だから! 聞きたいことがあるって言ったでしょ!!」
さすがに重たくなってきたアンジュをベンチへそっと座らせてから、逃がすまいと手を伸ばして彼の腕をとる。
と同時に懐へ入ると、驚いたように瞳を丸くした彼が、まばたきを見せた。
「アナタの名前聞いてないわ」
「……名前、ですか?」
「そう。名前よ、名前!」
意外そうな返答に眉を寄せると、相変わらずとぼけたように唇を結んだ。
それ。なんだか気に入らないわ。
「あのとき私はちゃんと言ったでしょう? それも、世間には公表してないフルネームを、よ! なのに……っ……なのに、なのにっ!」
思い出すだけでも、腹が立つ。
私はこれまで、たとえどれほどの公の場に立ったとしても、決して“ユズリハ”という家名を出さなかった。
なのに、あのとき。
なぜか私は、素直に言ってしまって……あの夜は寝るに寝れずだいぶうなされた。
「なのにアナタ、名前を教えてくれるどころか、適当なこと言って誤魔化したでしょう!!」
「いえ、そんなつもりは……」
「でも! 実際に聞いてないわ!」
「……言ってませんでしたっけ?」
「聞いてないわよ!!」
びしっと間近で指をつきつけてやりながら続け、しかめっ面で彼を見つめる。
この距離ならば、何かわかるものがあるんじゃないか……とそう思った。
けれど、実際にやってみたところで、何ひとつわかるようなモノはない。
サングラスをかけているから瞳の色もわからないし、外したときの顔もうまく想像できなかった。
……まぁ、かくいう私も今は伊達目鏡かけてるんだけど。
といっても、こんなモノじゃ隠せてる部類に入らないだろうし、何よりも前回、彼にはばっちりと顔を見られているから意味はない。
「……それは失礼しました」
ふっと笑った彼が、背を正して私を見下ろした。
途端、距離が一気に開く。
……背、こんなに高かったかしら。
どうしても彼を見上げるかたちになり、それが少し悔しくなる。
「僕は、ウォルト・バ――」
「ダウト」
「……え?」
「え、じゃないわよ。ウソツキ」
私を騙す気?
そりゃ、私だってもしかしたらそうなんじゃないか、という程度のことしか持ち合わせてないから、『ダウト』の確かな根拠はない。
でも、すかさず切り捨てていた。
その名前は違う。
直感でしかないけれど、でも、違うと思う。
彼の名前が、“W”から始まるはずがない。
「この前の、コート。アレに、“J”って刻まれたプレートがあったわ」
まっすぐに彼を見たまま呟くと、表情を変えずに彼は見つめ返した。
「アナタたちの組織の名前かもしれないし、もしかしたらあの服のブランドかもしれない。……でも、あれはそんなモノじゃないって思うの」
『だと思う』としか言えない以上、私の想像の域を出ない。
でも、なんとなくとはいえ核心があったことと、何も躊躇せず名前を告げようとした彼の態度から、そうだと信じて踏み切っていた。
「少なくとも、アナタの名前は“J”から始まるんじゃないの?」
“W”じゃなく。
そう続けて彼を見つめると、少しの間沈黙があってから――。
「っ……何よ」
「なるほど。そこも確認していましたか」
「当たり前でしょ!」
いきなり笑われて眉を寄せるも、彼は緩く首を振りながら『なんでもない』と言わんばかりに手を振るだけ。
それが、余裕綽々のように見えて、感じ悪く映る。
……そういえば、前もこんな顔見たことあるわね。
デジャヴのようなものを感じて、なんとも言えない気分だ。
「失礼いたしました。エステルさんには通用しませんね」
まるで、少しだけ諦めるように。
そして、少しだけ認めてでもくれたかのように。
彼は、初めて見るような柔らかい笑みを浮かべながら、小さくうなずいた。
「ジェドです。そう呼んでいただいて、構いません」
「……ジェド……」
「ええ。せっかくファミリーネームまで名乗ってくださったエステルさんには申し訳ないのですが、こちらにもいろいいろと事情がありますので。名前のみで許していただきたい」
『ジェド』と名乗った彼の瞳は、先ほど『ウォルト』と名乗ったときと寸分違わぬように見えた。
確かに“J”から始まる名前だ。
でも、これが本当に彼の名前だという判断材料は――残念ながら、ない。
「……それを証明するものは?」
「今現在、そういった証明のたぐいは持ち合わせてないんです」
「それじゃあ、さっきの偽名と一緒じゃない」
「まぁ……そう言われても仕方ありません。ですが、エステルさんは見ず知らずの僕に対して、普段使っていらっしゃらない家名まで教えてくださった。その気持ちに報いる以上、嘘をつくわけにいかない。そう思っているのは、事実ですよ」
さらさらと、よどみなく紡がれた言葉。
表情は相変わらず変わらないし、しっかりした証明書がない以上、私には判断できない。
……まぁ、たとえ仮に証明書を提示されたところで、それが偽造じゃないとは言えないんだけれどね。
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