国家機密機関 BLACK DiamonD。
恐らく、『BLACK DiamonD』という名称も、ホンモノじゃないんだろう。
呼称みたいな、愛称みたいな……そんな感じだろうか。
でも、私はジェドにそう言われたとき、『なるほど』って思った。
外からは情報を幾らでも受け入れて吸収するにもかかわらず、内からは、一切の情報も何もかも漏らすことがない。
……まるで、宝石“ブラック・ダイヤモンド”と同じように。
警察とも、様々な表で動く組織とも違う、単独の機関。
国家直属で、勅命とも呼べるべき権力を持てる場所。
「…………」
払拭、だって言ってたっけ。
そういう意味でいえば、クリーニング屋というのもあながち嘘じゃないのね。
カツンと響いた音で足を止め顔を上げると、そこにはいつから立っていたのか、ジェドがさっきまでと変わらない笑みを浮かべて、こちらを見据えていた。
「つまらないでしょう? 散歩に出かけても」
「……あら。そんなことないわよ? 見る場所はたくさんあるし」
コツコツと硬そうな音を響かせながら近づいてきた彼に、肩をすくめてやるものの、表情も態度も崩すことなく『そうですか』とだけ呟いた。
「白い服の人もいるのね」
「ええ。黒いのは、我々だけですから」
「……ふぅん」
ちらりと向かいから歩いて来た人に視線を向けると、横に並んだジェドは、特に気にする様子もなく応えた。
白衣を基調としたような、白い服。
……確か、前にも見たことが――そう。
先日、初めて現実世界で体験した銃撃戦の最後に出てきた、後始末をした人たちと同じ服だ。
「え……?」
その服をワイシャツの上に着込んでいた数名の人たちが、ジェドを見るなり頭をわずかに下げてから横へと退いた。
「…………」
「…………」
これまでなかった光景に、思わずジェドを見上げる。
でも、彼はそんな人々を見ているのかいないのかわからないような視線を、遠くへ向けて足を進めるだけだった。
「……どうして?」
「何がです?」
「だからっ……さっきの、アレ!」
なんとなくその場で聞くことができず、彼らとすれ違ってからほどなくして口が開いたものの、ジェドはまったく気にしない様子で私を見ることさえない。
……む。
まるで、『あなたには関係ないことだ』と無言のうちに言われている気がして、正直面白くない。
と思った……ら。
「彼らは、白山羊の面々だからですよ」
「……白山羊?」
「ええ。『Childs of Light Goat(白山羊の使い)』。彼らは我々とは違って、直接動くことができない人々なんです」
苦笑交じりにうなずいた彼が、ようやく口を開いた。
「我々の組織には、ふた通りの人間がいるんです。ひとつは『白山羊』と呼ばれる、彼らのような内部処理の人間。そして、もうひとつが――」
「……ジェドたち、ってこと?」
「ええ。我々『黒山羊』と呼ばれる、特殊任務遂行の人間――つまりは、手を下す側ということです」
じぃっと彼を見ながらのやり取りだったんだけど、どうやらジェドはそれがあまり心地いいものじゃないらしく、『エステルさんには敵いませんね』と、再び呟いてからくすくすと笑った。
「まぁ、そんなワケですから。これでも一応、我々は一目置かれている存在になりますかね」
「……なるほどね」
だから、さっきの彼らも道を空けたんだろう。
そして、これまで擦れ違った幾人もの人々もきっと……。
「……そういえば」
「はい?」
今ごろ思い出した、割と重要なことで彼を見上げると、自然に眉が寄った。
「入り口のおじさん」
「……が、どうかしましたか?」
「あの人、私が営業部のほうへ行ったときは、何も言わなかったわ」
不平不満が、たらたらと今ごろ出る。
ジェドが私をここに連れてきたのは、恐らく今に今考えついたようなことじゃないはず。
ましてや、彼だってこの組織の人間。
ジェドの一存で決められるようなことは、そんなに多くないはずだ。
たとえ、黒山羊の中でも権力を持っていると言われる、“Fixer”の一員だとしても。
「……まぁ、それが仕事ですから」
仕方ないですね。
そう言って笑ったジェドに、やっぱり眉は寄りっぱなし。
……それはまあ、そうかもしれないけれど……。
でも、もう少し何かあってもいいような気がするんだけど。
おかげで、こっちは肉体だけじゃなくて精神的にも疲れたんだし。
「まあ……それは、そうなんだけど……」
いまいち納得はできないけれど、でも納得しないワケにもいかない。
言わば、ここは彼にとっての自分の城であって、私はやっぱりお客様でしかない。
勝手も何もわからない場所で、自由に動けるほどの力も知識もあるわけじゃないんだし。
……大人しくしてろ、ってことね。
相変わらず考えの読めない笑顔でバリアを貼っているようなジェドを見つめていると、サングラス越しの瞳にそう言われているような気がして、当然だけど……落ち着けるはずがなかった。
「そろそろ帰してもらえるかしら」
ひと通り、ジェドという監視付きで施設内を回ったあと戻って来たのは、彼ら“Fixer”の面々だけが揃うあの部屋。
座り心地のいいソファとコーヒーをまた勧められたけれど、ここに腰を落ち着けたが最後……きっと私は二度と立てなくなる。
そういう第六感が働いたので、丁重に慎重にお断りを申し出た。
「ここから、ということですか?」
「当然でしょう?」
もう、いい加減外の空気に触れたい。
そりゃあ確かに、この施設内にはありとあらゆるものが揃っていることがわかった。
私が知ったのはほんの一部に過ぎないけれど、でも、図書館を始めとした様々な施設はもちろん、本物の水が流れてホンモノの草花が茂る庭園のような場所までもがあって驚いた。
これまでの数日間だって、私だけに与えられたマンションの一室と寸分たがわない部屋もあったし、話を聞くとほかの黒山羊の面々も、外に出ることなくこの場所から与えられた彼らの部屋へ行くことができると言うし。
もしかしたら、ここにいれば何不自由なく手に入れることができるのかもしれない。
危険にさらされることなく、何かに邪魔されることもなく、それこそ痒いところに手が届くような暮らしが、できてしまうかもしれない。
……でも、それはやっぱり何か違うと思う。
なんでも手に入るからこそ、手に入らない不便さが恋しくなる。
それは、私だけなのかしら。
満たされ、恵まれすぎている状況だからこそ、ありえないものが欲しくなるんだろうか。
……確かに、それはそれで間違ってないと思う。
ないものねだりだと言われても、反論は当然できない。
でも……。
「私にとって、外が自分の世界なの。私の生きる場所は、ここじゃないわ」
テーブルに両手を着いたまま私を見据えているジェドを筆頭とした黒山羊の面々は、ただただ私の動向を見極めるかのようにじっとしている。
だから、自然とさらに言葉を続けていた。
「アナタたちだって、知ってるでしょう? ここでは関係ない情報かもしれないけれど、私のせいで……大騒ぎになってるってこと」
彼らから視線を逸らし、付いたままのテレビへ視線を向ける。
あれから誰も番組を変えようとしなかったのか、私が見たままの番組が流れていた。
「…………」
マイクを握ったリポーターが、神妙な面持ちでいろいろな情報を語っている。
……すべて私のせい。
こうしている今だって、ルイやほかのみんなは、私を探してくれているんだ。
心配して、苦しんで……私のせいで、つらい思いをしている。
私のせいで。私自身の、身勝手な行動のせいで。
そう思うと、心が押し潰されてしまいそうなほどの後悔に苛まれて一層つらくなる。
「……お願い。もう帰して。危ない目に遭うかもしれないのは、わかってるわ。でも、ならば警察に出向いてお願いすればいいことでしょう? 何も、別に……その……アナタたちじゃなきゃいけない理由は、ないと思うの」
頬杖もつかずまっすぐに見つめているジェドから視線を逸らすと、自然に語尾がしぼんだ。
……わかってるわ。
ジェドが私をここに連れてきたのは、私のことを護ってくれるためだったってことは。
だけど……。
「…………」
誰も何も言わない中、ただただひとりでまくし立ててきた。
でも、彼らは何も言ってくれない。
それどころか、ジェド以外の面々は、困ったように彼を見つめるだけだった。
「……なるほど」
小さなため息が聞こえてそちらを見ると、ジェドが椅子から立ち上がるのが見えた。
それに伴って、ほかの人々もこちらに向き直る。
……あ……れ……?
そのとき、ちょっとだけど……違和感を感じた。
なんか、違うのよ。これまでの部屋の雰囲気と。
今までは、和やかとは言いきれないかもしれないけれどでも、似た雰囲気が漂っていたのに……全然違う。
「ここを出て行かれる、ということですね」
「…………」
にこやかな笑みをたたえたまま、近づいてくるジェドを見て後ずさりしそうになった。
ここにいたくない。
できることなら――今すぐ、逃げ出してしまいたい。
……あのときと同じだ。
あの、初めて彼らと出会って『レジェスト・ベル』と口にしてしまった、あのときと。
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