「まず、幾つか質問させていただけますか?」
「……ええ。いいわ」
先ほどと同じ部屋。
だけど、雰囲気は……よくなっているように思える。
配置を換えられたソファに深々と座り直し、淹れてもらったカフェラテを含む。
目の前にあるガラスのテーブルに置かれているのは、幾つかのファイルらしきモノ。
印字された紙も数枚挟まっていて、いかにも『取調べ』みたいな雰囲気がある。
……まぁ、相手は警察なんかじゃないんだけどね。
でも、似たようなモノかしら。
上着を脱いだ、黒いシャツとネクタイ姿のジェドの眼差しは、先ほどまでのあの鋭いモノとは違って、若干和らいでいるように思えた。
「これまで……幼いころからも含めて、手術をしたことはありますか?」
「手術……? いいえ。ないわ」
「大きな病気なども?」
「ええ」
万年筆のようなペンを持った彼が、書類を手にしながら私を見つめる。
でも、どれもこれも私には当てはまらないことばかり。
きっぱりと首を横に振りながら、彼を見つめて否定の言葉を口にする。
「では――輸血をしたことはありますか?」
「……輸血……」
一度紙に視線を落としてからペンを走らせた彼が、再び私を見つめたとき。
それまでとは違って思い当たることがあったからか、視線が一瞬落ちてから、ぽつりと繰り返すように口が開いた。
「……エステルさん?」
「ある」
「え?」
「……あるわ。輸血、したこと」
きゅ、と両手を組み合わせてから、膝の上に置く。
まっすぐ彼を見据えたままで軽くうなずくと、それまで表情を動かさず何か書き込んでいた彼が、視線だけを上げた。
……まるで、『それだ』とでも言わんばかりの顔ね。
何も言わないけれど、でも、弾かれるように反応したのを見て、ピンと来た。
「ただ、すごく小さいときだったらしいから、私自身は覚えてないんだけど……。でも、両親に聞かされていたから、間違いないと思う」
「それは事故であるとか……何かそういう類の理由ですか?」
「いいえ。その話を聞いたときに同じ質問をしたけれど、手術とか、ケガとか……そういうのじゃないって言われたわ」
静かに聞かれるから、こちらも静かに答える。
私を見据えているジェドは、真実かどうかを確かめるかのような態度を変えていない。
……でも、本当のことだもの。
私自身、本当に知らない。
『輸血』をしたことがあるというのは確かに両親から聞かされた。けれど、なぜどういう事情があってなのかは、聞いていない。
もっとも、この事実を聞いたときの自分が幼かったから、『なぜ』とか『どんな理由で』なんてことまで思いつかなかったと言ってもいいんだけど。
「わかりました」
そこで初めて、彼がソファに身体を預けた。
ペンを握ったまま、資料のようにびっしりと文字が印字された紙を見つめて。
「採血をさせてください」
「……え?」
突然の言葉に、一瞬身体が強張った。
身体ごとこちらに向き直ったわけでもなく、彼はまた、視線だけをこちらへよこしたのだ。
サングラス越しに見えるその瞳は、相変わらず何を考えているかわからない色。
むしろ、その瞳に見つめられて、何もしていないのに私のほうが動揺してしまいそうだ。
「ほんの少し、指先からいただく程度です」
「それは……なんのために?」
「検査――いえ。多くの人々を、救うために」
ひと息ついてから彼に訊ねると、予想外の言葉が返ってきた。
「……救う?」
「ええ。決して、比喩ではありませんよ」
思ってもなかった言葉に、眉が寄る。
だけど、ジェドはそんな私に柔らかい笑みを向けると、軽くうなずいた。
まるで、『大丈夫』だとでも言わんばかりの顔で。
「…………」
ところ変わって、白い壁に囲まれた一室。
ここは、いくつものコードや機材が詰まれており、コンピューターを操るキーボードの音だけが響いている。
ときおり、機械特有の音が上がりはするが、人の声は一切ない。
白い服の人間は、数名。
忙しなく動いていたり、モニタに映し出されているグラフのような物を見つめていたりと、仕事は尽きない様子だ。
「……やはりな」
そんな中、モニタが載っているテーブルに手をついて覗き込んでいた黒い服の男性が、口元だけを緩めた。
「天性の癒し、か。興味深いな」
「どうしますか? 抽出作業を――」
「いや。これはまだサンプリングに過ぎない。実際の確認は、もう一度行う」
「わかりました」
カタカタとキーボードを叩いていた男性が、指示を仰ぐ。
だが、結果を見て首を横に振った黒服の男を見て、素直にうなずいた。
「……やはり、導かれるべくしてここに来たのか……」
まるで独り言のように呟いてから、『続けてくれ』と肩を叩いた彼は、ブラインドがかかった大きな窓を背にすると、顎に手を当て再び口を開いた。
「知っているか? その昔、“Esther”という名の女性が、人々を救ったという話を」
「歴史……ですか?」
「いや。古い神話だ」
彼が窓にもたれると、ブラインドが小さく音を立てた。
隙間から光が差し込み、黒い服を白く照らす。
視界が変わったせいもあってか、サングラスを外した彼は腕を組むと笑った。
「……あながち、作り話じゃないかもしれないな」
「というと……?」
「見ただろう? 彼女を。……不思議な、柔らかい色の瞳。俺でさえ、彼女のペースに引き込まれていた」
「……そうですね。気を許しているようにも見受けられましたが」
「だろう? つい、喋りすぎてしまう」
片手で器用にサングラスを畳み、シャツのポケットへしまう。
そんな彼を少しだけ不思議そうに見ていた男性が、微かに笑ってからまたモニタへと向き直った。
「……エステル・ユズリハ。彼女もまた、民にとっても我々にとっても……救世主となる存在か」
どこか遠くを見つめるかのように視線を上げた彼が、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「継ぐ者、か」
その先に見えたのは、どんな色か。
それは恐らく――思い描かれる、ほんの少し先の未来であったはず。
「……エステルさん?」
「っ……!」
ようやく重苦しい雰囲気から解放されて、あちこち見て回ろうかと廊下に出た瞬間。
遠くの曲がり角でこちらに向かって折れた男性の姿が見え、当然のように回れ右をしていた。
ほかの人々と服装も違えば、反応だって違う。
白い服を着ている人々しかいないこの廊下で、彼に対して道を空けようとも頭を下げようともしていないのは……ただひとり、私だけ。
だからこそ、背を向けて退散しようとした私の姿は、余計浮き彫りになったんだろう。
「何」
「えー……と。もしかして、怒ってます?」
「怒ってないわ」
「ですが……」
「だからっ、怒ってないったら!!」
速いペースで歩きながら、なんとか後ろに張りついてきたジェドを撒こうと必死に首を振る。
もちろん、この廊下は長い1本道なので、そんなことしたってムダだってことはわかってる。
でも、だからってやっぱり大人しくまたあの部屋に連れ戻されるのは、やっぱりシャクで。
っていうか、こっちは必死なのになんでこうもペースを乱さずについてくるのよ……!
いつの間にか隣に並んでにこやかに話しかけてくる姿に、やっぱり眉間に皺が寄った。
「もしかして、さっきのことですか?」
「当たり前でしょ!! っていうか、さっきの……さっきまでの、あの、脅しよ!!」
どうやら、早足で歩いてもまったく彼には通用しないらしいとわかったので、自然にペースが落ちた。
どうせ、ここでは自由になれないんだもの。だったらいっそ、最初から大人しく疲れない方向で過ごすのが1番だ。
我ながら、割と切り替えが早いらしい。
「……あれはですね」
「何よ」
「いえ。申し訳なかったと思っています」
ガツン。
ひときわ大きくサンダルを鳴らして足を止めると、同じように彼も足を止めた。
ほんの少しだけ驚いたような顔が私と正反対で、ついつい両手をぎゅっと強く握り締めていた。
「ふざけないで!! あのときアナタも言ったけど……ッ……私は、これまで何も知らずに生きてきたのよ!?」
「それは――」
「それに!! 私は、アナタたちみたいに訓練を受けてなければ、鍛えられてもないの!! なのに……ッ……なのにっ!!」
人がまだいる廊下に響く、高らかな自分の声。
だけど、それを真っ向から受けているジェドは、特に動じる様子もなく、ただただ私の言葉を受けていた。
「いきなり、『生か死か』なんて究極の選択をしろって言われても困るわよ!!」
これまでにない、大きく遠くまで通る声。
ほかに人がいることも忘れてまくしたてると、怒りからか、両手が微かに震えた。
「……申し訳ありません。ですが、どうしてもああ言うほかなかったんです」
「けどっ……!」
「我々としては、あなたに協力をいただくしか手段がないんです。ですから、敢えて言わせていただきました。あなたに、うなずいてもらうために」
「ッによ……何よそれっ……! それじゃあ、最初から私に選択肢なんてなかったんじゃない!!」
「すみません」
いくら謝られたところで、気が晴れるわけでもなければ、抱いた不信感をどうにかできるわけでもない。
だからもちろん、今さら彼に何か言って、どうにかしたいわけでもない。
そうじゃないけれど……。
「何よそれ……!」
ぎゅうっと痛いくらいに握り締めた手のひらへ、さらに力がこもった。
やるせない気持ち。
どうしようもなくて、どこにぶつけたらいいのかもわからない……不安定な気持ち。
それが形を為して出てきたのは、やっぱり1番敏感に反応する部分だった。
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