「悠衣さんって、普段もそんな顔なんですか?」
「っ……どういう意味かしら」
リビングをあとにした悠衣さんのあとを追うように向かうと、奥の部屋のドアノブを握ったままで私を振り返った。
訝しげというよりは、心底気に入らないみたいな感じ。
もっとも、私はハナから彼女に歓迎されてなかったんだから、当然の対応だとは思うけど。
「いつも、そんなに怖い顔してるんですか、って意味です」
「……あなた、ずいぶんと失礼な物言いね。育ちが知れるわよ」
「なんと仰られても結構ですが、ぶっちゃけ、本音ですもん。今の」
きっと、彼女は私がもっと違う反応をするだろうと思ってたんだろうな。
でも、残念。
私、その程度じゃ別に傷ついたりなんだりしないタチだから。
彼女は気づいてないのかもしれないけれど、悠衣さんの言い方は、十分優しいほう。
それは彼女だけじゃなくて、お母さまも同じだったけどね。
私を心底嫌いみたいに言ってるけど、実際は態度も言い方も何もかもが“中途半端”なんだもん。
優しい人なんだなー、ってすぐにわかったからこそ、こっちも敢えて傷つける言い方はしてこなかった。
……これでも、ね。
なんて言ったら、里逸や有里さんは眉を寄せるかもしれないけど。
「響くんの身体、すごく力が入ってますよ。普段から緊張してる証拠です」
「っ……」
「ピアノだって、十分上手に弾けてると思います。ひいきしてのセリフじゃない。だって、あの里逸が褒めるなんてよっぽどでしょ? 悠衣さんもびっくりしたんじゃないの?」
「…………あなたに何がわかるの」
「何もわかってないかもしれないけど、でも、里逸のことはわかる。少なくとも、ここ何年も離れてた悠衣さんよりかは、ずっとよく知ってるし」
つい“地”が出ちゃったけど、彼女もまたそこをつっこんでこなかったから訂正はしない。
なんでこう、有里さんといい彼女といい、タメ口で喋られてもムっとしないんだろう。
だから、私がつけあがっちゃうのに。
なんだかんだ言いながら私を受け入れてくれちゃってるって、もしかして気づいてないのかな。
ってまぁ、だからといってわざわざ教えたりはしないけど。もちろん。
「もっと褒めてあげればいいのに。なんで褒めてあげないの?」
「……あのね。あなたは子どもがいないからわからないのでしょうけど、子どもっていうのはね、褒めれば褒めるほど図に乗るものなのよ? 調子づかせてどうするの? それは教育とは言えないわ」
は、と小さく鼻で笑った彼女の顔は、いかにも勝ち誇ったかのようなものだった。
んー、残念。
その顔したいの、こっちだし。
「悠衣さん、もしかして知らないの?」
「……え?」
「人は、褒められてこそ伸びる性質である、って。こないだ、外国でこのテの研究発表があって話題になったじゃん」
「そんな研究発表はまがいものでしょう? よくある話だわ」
「もー。だから、それが間違いなんだってば。どんなにヤンチャな子だって、褒めればそれなりに大人しくなるものなの。“褒められたい”って、人の基本性質なんだから」
「それはあくまでも一部の人間に対してだけよ。全員に通用するなんて、ナンセンスもいいところじゃない」
「……もー。だからー……」
このカタブツ一家め。
うっかりそう言ってしまいたくなるのを、寸でで押さえる。
代わりに盛大なため息をつくと、ついついクセで両手を腰に当てていた。
「褒められたときの響くん、すっごい嬉しそうだったでしょ? あの顔、悠衣さんも見たよね?」
「それは……」
「ぶっちゃけ、私には恐る恐るママの顔色を伺うような顔つきしてるほうが、よっぽど子どもっぽくないと思う。かわいかったでしょ? あの顔。あーゆー嬉しそうな顔見て、悠衣さんだって嬉しかったんじゃないの?」
「…………」
ずっと私の目を逸らさずに見つめていたのに、ここで初めて悠衣さんが視線を逸らした。
……あれ。
ちょっぴり唇を噛んでるようにも見えるし、もしかしたら……もしかしちゃう、のかな。
逸らしたまま、合いそうにない視線の先を辿りながら、思わずまばたく。
「響くんのああいう顔見たの、悠衣さん久しぶり?」
「っ……」
「え、ちょ、やだ。ホントに? やだ、それって結構ヤバいよ」
明らかに反応したのを見て、思わず口が開いた。
てことは、響くんはここのところずっとあんなふうに悠衣さんに対して、おどおどしてたってことでしょ?
顔色ばっかり伺って、何がなんでも怒らせないように、気に入られるようにって、親子間にあるまじき振る舞いをしてたってことでしょ?
そんなのって――……。
「……ありえない」
ぽつりと漏れたこの言葉が、きっと決定的なひとことだったんだと思う。
キッと私を睨みつけてすぐ、悠衣さんはわなわなと両手を握りしめた。
「子どもを生んだこともないくせにっ……たかが女子高生のアナタに何がわかるの……!?」
ギリ、とここまで音が聞こえそうなほど歯を食いしばった彼女の顔は、“母”というよりはまるで大事な彼氏を取られた“女”のようなものだった。
そういえば、男の子の母親はいつまでも女のままだっていうらしいけど、もしかしたら彼女もそっち寄りなのかもしれない。
悔しくて悔しくてたまらない。
そう言いたげなほど感情を露わにした彼女を見て、逆にこっちは肩から力が抜けた。
「じゃあ、生んだことがあったら文句言っていいの?」
「っ……な……」
「その理屈はおかしいと思う。子どもを生んだことがない教育学者なんて、ごまんといるじゃない。男女問わず、ね。……今のセリフ、その人たちにも言える? 言えないよね? 私だから言えたんでしょ? 年下で、女子高生で、今の自分よりも下位に見てるから。……ちゃんちゃらおかしくて、笑っちゃう」
笑みが消えたときの私が怖い。
里逸は、いつだったかそう言ったことがある。
まぁ、それはある意味正解なんじゃないかな。
だって、イライラしてるときに笑ったりしないでしょ? ふつー。
……ま、あえてにこにこしながら嫌味をぶちまけることだって、そりゃできるけどさ。私も。
でも、今はそういう面倒なことをすべきシーンじゃないんだから、余計なことに力を使ったりしない。
面倒くさいことは、短時間で的確に処理。
それが、モットー。
「いい? こうして意見されてる時点で、同等なの。年とかなんとか、そういうの全部関係ないし。本当は、悠衣さんもそれわかってるんでしょ? だからイライラしてるんじゃないの? 私に気づかされたから」
「っ……」
「……ビンゴ?」
は、と短く笑うかわりに瞳を細める。
途端、悠衣さんは少し前の里逸と同じような顔をした。
さすがは兄妹。
そのへん、ちょーそっくりすぎて笑える。
……でも、あえて“にっこり”はしない。
だって、彼女が明らかに私に対する“恐れ”を露わにしちゃったから。
勝機が見えた以上、ココから先の時間は私の領分。
悪いけど、手加減はしない。
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