「カナ、ケーキたべたいなー」
「ん?」
反論をまったくしなかった悠衣さんを残し、ひとり戻ったリビング。
入った途端にカナちゃんが私のところまで駆けてきて、もじもじとかわいいおねだりをした。
……やるわね、カナちゃん。
あなたきっと、色気ある女子に育つわ。間違いなく。
「悠衣は?」
「んー。反省中、みたいな?」
「お説教でもしたの?」
「やだなー、有里さんてば。私、そんなにいじわるじゃないよ?」
テーブルに積まれていたのは、これまで読んであげていたらしい数冊の本。
それらを持って来た彼女に手を振るも、くすりと笑って肩をすくめただけだった。
んー、さすがは高鷲家ご長女さま。
早くも私の中身を把握済みとか、いろんな意味で脱帽です。
「……へぇ」
先ほどより速いテンポで流れている、パガニーニ。
よっぽど指導の先生がいいから響くんが上達したのかと思いきや、弾いているのは里逸だった。
……うまいのかどうかは、正直よくわからない。
だけど、普段厳しい顔つきで授業している彼からは想像もつかないほど柔らかい音で、思わず笑みが漏れる。
だって……あまりにギャップがありすぎなんだもん。
何よもぉ。
にやにやしちゃうじゃない。
「ねーえ、ケーキたべたいー」
「あ、ごめん。そうだった」
響くんに『こうやってゆったり弾くといい』なんて言いながら、なおも指導を続けている里逸を見ていたら、カナちゃんがまた手を引いた。
そーでした。
ごめんね、と笑いつつオープンキッチンへ向かい、一応『失礼しまーす』と悠衣さんがいる方向に断りを入れてから踏み込む。
これでも、一応の躾は受けてる身。
いくらご息女にうながされているとはいえ、やっぱりヨソのお家のキッチンに入るのにはちょっぴり抵抗があった。
「んー……と」
やっぱ、冷蔵庫だよね。
お土産でーすと渡したあとの所在確認はできてないけど、まぁ、普通の感覚だったらしまうよね。絶対。
ちなみに、買ってきたケーキは高鷲家が昔からひいきにしているお菓子屋さんのもの。
こじんまりとしたお店だったけど、中にはまるでおもちゃ箱みたいにいろんなかわいいお菓子が並べられていて、自分のお土産用に焼き菓子の詰め合わせも買ってしまった。
いろんなケーキ屋さんはあるけれど、それでも、自分が小さいころに食べた味って特別なんだよね。
大人になると、なおさらそう。
私でさえ、小さいころよく買ってもらったケーキ屋さんのケーキはやっぱり“特別”に感じるんだから、高鷲家のみなさまにとってはよりその思いが強いんじゃないかと踏んでのお土産だった。
「ねぇ、有里さん。冷蔵庫勝手に開けちゃってもいいと思う?」
「穂澄ならいいんじゃない?」
「……それ、どーゆー意味かな」
カウンター越しの有里さんがくすりと笑い、色っぽく首をかしげた。
やーだ、もー。急に色気ありすぎだから。
カレシ持ちは、これだから困る。
「ん。響くん、ケーキ食べる?」
ちょうどピアノの音が止まったと同時にこちらを振り返った彼にたずねると、大きくうなず――……こうとしてから、ドアのほうへ視線を向けた。
その反応は、これまでの響くんにとって“正しい”ものなんだろう。
ここに悠衣さんの姿がないことを、彼はずっと気にしている。
「……ママにきいてからじゃないと」
わからない。
ぽつり、と困ったように私を見た響くんに、苦笑が漏れた。
まぁ、そうだよね。
大丈夫。
そんな顔しなくたって、何も私は大事なママに叱られるようなことをやれ、なんて言わないから。
「そっか。じゃあ、ちょっとママがくるまで待って――」
両手をシンク横の作業スペースについたまま苦笑したところで、リビングのドアが音を立てて開いた。
中にいた全員がほぼ同じタイミングでそちらを見たせいか、悠衣さんが当惑気味にそれぞれの顔を見回す。
だけど、誰よりも先に口を開いたのは、不安そうに見ていた響くんではなく、張本人の悠衣さんだった。
「……ケーキ。食べてもいいわよ」
ぼそり、とまるで拗ねた子が呟くみたいに反応した悠衣さんの頬が、少しだけ赤いように見えたのはもしかしたら気のせいかもしれない。
でも、きっといつも彼女を見ているふたりにとっては、意外も意外な反応だったのかな。
ぱたぱたとカナちゃんが駆け寄ったかと思いきや、『にぃに、ママなんかへんー』なんてのん気な声をあげたせいで、大人3人は盛大に噴き出すことになった。
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