どういうつもりなんだお前は。
 そう言いたくなるのをぐっと我慢しながら、クレジットの領収書を財布にしまう。
「……すみません、私まで……」
「いえ、とんでもない! むしろ、佐々原さんなら喜んで買わせていただきます」
 すまなそうな顔を見せてくれた彼女に対し、快く首を振る。
 ……だがしかし。
 問題は当然、彼女ではなくコイツのほうだ。
「ありがとー、お兄ちゃん」
「…………」
「あれ? 聞こえなかった? あーりーがーとー」
「っ……うるさい!」
 やたらワザとらしく強調され、手で払う。
 だいたい、お前のほうが高いというのは、どういうことなんだ。
 いろんな意味で、納得ができない。
 そもそも、コイツが平然と言ってのけるから悪いんじゃないか。
 試着した服を返してこいと言った途端、嫌そうな顔をして。
 揚げ句の果てには『そんな心の狭い男じゃ、飽きてポイされるのはすぐね』なんてさらりと言いやがるから、こんなハメに……!
 お陰で、予想外の出費がかさんだ。
 ……くそ。
 どうしてこうも女物の服というのは、やたらと値が張るんだ。
「あー。でもなんか、そろそろお腹空いてきちゃった」
「なっ……!」
「あ。なんだ、もうお昼過ぎてるんじゃん」
 いい身分だな、お前は本当に。
 だいたい、買ってもらったモノを人に持たせるというのは、いったいどういう了見なんだ。
 佐々原さんのほうが荷物も多いし、持ってあげたいのは彼女のほう。
 だが、彼女は宮崎と違ってきちんとわきまえている女性であり、俺の申し出をやんわりと断りながら、自分の物はきちんと自分で持っていた。
 無論、先ほど俺が買った彼女の服もすべて。
「…………」
 なのに。
 片や、宮崎はといえば何から何まで全部俺に持たせている始末。
 そもそも、なんなんだ? このバッグは。
 やたらかさばる上に重たくて、肩に掛けていると食い込むようにズッシリ重たい。
「……あ。あの……」
「ん?」
 駅前まで1度戻ってから、どこか場所を――……とあたりを見回したとき。
 不意に、これまでじっと黙って歩いていた佐々原さん本人が、おずおず片手を上に挙げた。

「ええと……実は私、お弁当作ってきたんですけれど」

「え……」
 一瞬、瞳が丸くなった。
 が。
「えーっ! ホントですかー? わーい、やったぁ。あ! じゃあじゃあ、あそこの公園で食べましょ? 天気もいいし」
「あ。そうだね。……えっと……いかがですか?」
「……あ。ええ。もちろんです」
 俺が言いたい言葉すべてを、宮崎の大きな声がすぐさま邪魔をしてくれた。
 楽しみなのは、当然。
 ……くそ。
 今さら俺が褒めちぎったところで、何も効果がないじゃないか。
 るんたるんたとスキップしながら公園へ向かっていく宮崎を見ながら、案の定やはり眉が寄った。

「うわー!! すごーいきれー!」
 駅前にある公園ながらも、規模はそれなりにあった。
 中心には人工とはいえ大きな池があり、鯉や鴨などの生き物も住み着いている。
 しかも、ここの目玉はやはりなんといっても大きな芝生の広場なのだろう。
 休日ともあってか家族連れやカップルの姿が目立ち、みな一様にレジャーシートを敷きながら昼食を取っている。
 そんな、周りととき同じくして、我々も手作り弁当でのランチタイムと相成った。
「や、あの……そんな。本当に少しなんで、ちょっと恥ずかしいんですけれど……」
「そんなことはないでしょう。料理は得意でらっしゃるんですか?」
「いえ、得意と言うほどのことでは……ただ、少しだけお料理を習いに通っているものですから」
「そうなんですか! それはすばらしい」
 明らかに謙遜とわかりながらも、これほど慎ましやかに言われるとむしろ微笑ましい。
 頬をわずかに染めて、『そんな』と手を振りながらの仕草。
 どこかしこにも遠慮の2文字がしっかりと見て取れて、だからこそ心証はよい方向へと向いたままだ。
 ……まったく。
 どこかのヤツにも見習わせたいモンだな。
 早速小皿を取って俺よりも先に箸を取った宮崎を見ながら、眉が寄る。
 ……情けない。
 同じ性別だというのに、この体たらく。
 これが年齢の差だけの問題じゃないことは、十二分にわかる。
「おいしそー。いっただっきまーす」
「どうぞ。たくさんあるから、いっぱい食べてね」
「はーい」
 幼稚園児かお前は。
 まぁ、一応正座して座ってるからヨシとするが……なんとなく腑に落ちないのはなぜだ。
 そもそも、どうしてコイツが一緒にいるんだ。
 まずはやはり、そこなのだが。
「あの、どうぞ」
「え?」
 あまりにもよく食べる様を見ていたら、目の前に紙皿が差し出された。
 その先を辿ると、少しだけ顔を赤らめている佐々原さんの姿。
 途端に瞳が丸くなり、姿勢を正して両手で受け取る。
「すみません、ありがとうございます」
「いいえ。あの……お口に合えばいいんですけれど……」
「間違いなく、おいしいでしょう」
 できるだけにこやかに微笑み、割り箸を割いてから早速いただく。
 彼女曰く、レンコン入り和風鳥団子。
 ……これはまた。なかなか。
「どうですか?」
 恐る恐る上目遣いで訊ねてきた彼女。
 だが、ちょっとした衝撃を受けていたせいで、すぐに反応を返せなかった。
「あ、あのっ! もしかして、お口に合いませんか?」
「っ……とんでもない! 驚きました。すごく、おいしいです」
「ホントですか? わぁ……よかったぁ」
 人生で、これほどうまいと感じたモノがあっただろうか。
 否。
 そんなモノが存在するハズがない。
 なんといっても、今食べているコレは特別な弁当。
 何を隠そう、彼女お手製の弁当なんだから。
「この、レンコンの食感がまたイイですね。和風の味つけも好きです」
「わー、嬉しい! よかったぁ」
 ほっとした表情の彼女を見ることができ、心底嬉しくなる。
 やはり、料理上手な女性というのはこの上ないモノだ。
 宮崎じゃ、この弁当のおかずひとつですら作れないだろうに。
 …………ふ。哀れなモノだな。
 毎日毎食レンジでチンされたモノばかり食べさせているようでは、そのうち相手が家に帰って来なくなるぞ。
 たとえ、上手じゃなくとも手作りということに意義がある。
 下手でもいい。むしろ、それはそれで味がある。
 ……まあ、無論こうして彼女のようにうまければ何も申し分ないのだが。
「んー、おいひー」
 ……というか、お前はいったいいつまで食べてるんだ。
 取りわけるでもなく、遠慮するでもなく、ただただガツガツと……。
 本当に礼儀のなってないヤツだな。
 少しは、佐々原さんを見習えばいい。
「お茶でよろしければ……」
「あ。ありがとうございます」
 ほらみろ。
 お前と違って彼女は、こんなにも献身的に尽くしてくれる。
 ……あぁ。
 本当に宮崎が妹なんかじゃなくてよかった。
 少なくとも、ウチの妹たちが宮崎よりだいぶマシだと思えて安心する。
「ホントにおいしいですねー」
「よかった、穂澄ちゃんにも気に入ってもらえて」
「もちろんですよー! 私、これ好きなんですよねー」
 にこにこと笑いながら、差し出されたお茶を受け取って当たり前のように口にする。
 ……ったく。
 頬に米なんかつけたりして、お前は子どもか。
 気づいているのかいないのかはともかくとして、見ているこちらとしてはものすごく気になってしまい、少しだけイライラし始めた。

「この揚げだし豆腐って、駅ビルの地下にあるお店のですよね?」

「……え……」
「やっぱり、専門店は違うなぁー。なんだろ。ダシが違うのかなぁ?」
 もぐもぐむぐむぐ。
 誰とも視線を合わせることなく零れた、なんだかとんでもない言葉。
 言うまでもなく俺は固まり、そしてまた佐々原さん本人も固まっていた。
 ……な……何を言ったんだ、今のは。
 ワケがわからず、ぐるぐると頭の中を何かが巡り始める。
 だが、しかし。
 確実にひとつだけ言えることというのは――……そう。
 昨日味わった得体の知れない恐怖にも似た何かが、また確実ににじり寄って来ていたということ。
「ん? なに?」
「いや……その、ナンだ。……あぁ、アレか。確かによく似た惣菜があってもおかしくはないだろうな。なんせ、食文化などそう違うものでもないのだから」
「そーじゃないでしょ? ……わかんないの?」
 それまで、にこやかで幼い笑みを見せていたのに。
 途端に瞳を細めた宮崎は、ぼそりと『本気で言ってんの?』と素の声で呟いた。
「佐々原さん。コレ、どうやって作るんですか?」
 そう言って指差したのは、そぼろの混ぜられたおにぎり。
 シートに置いた紙皿の上へ箸を並べて置き、宮崎が背を伸ばす。
 途端、これまでよりもぐっと存在感が際立って、思わず目を見張る。
「え? ……え……えっと、あの。最初に挽肉を炒めてから、味をつけて……」
「へぇ。逆なんだ」
「……え……?」
「そぼろ作るとき、私はまず調味料と挽肉を混ぜてから炒めますけど」
 注がれたままの視線は、1点に留まっているようで実は違う。
 もしかしたら、佐々原さんは気付いていないのかもしれない。
 宮崎のその目が、大きな弁当箱の中にあるおかずひとつひとつをまるでチェックでもしているかのように、動いていたことを。
「……あ、ご、ごめんなさいね。それは昨日、母が作ったのを少し分けてもらったから……」
「あー、なんだぁ」
 慌てたように手を振った彼女を見て、宮崎がまた笑みを浮かべた。
 それは、これまでの甘ったるい雰囲気を微塵も感じさせないもので。
 いかにも瞬時に作りあげられたものだと、すぐにわかる。
「それじゃ、作り方まではわかりませんよね」
「そっ……ご、めんなさいね……」
 一瞬、強く反論が出たように思えた。
 だが、1度口を結んでから首を振った彼女は、静かにただ謝罪しただけ。
 ……謝罪、だと……?
 そんなモノ、しなければならないのは宮崎であって、佐々原さんではないはず。
 なのに、どうして彼女が謝らねばならないんだ。
 歯がゆさとなんともいえない怒りから、いつしか拳を握り締めていた。
「あ、そーだ。実は私もお弁当作ってきたんですよねー」
「……え……っ」
「はい、どーぞ。もしよかったら、味見してもらえると嬉しいでーす」
 にこやかに、悪びれず。
 鞄の奥から重たそうな包みを取り出した宮崎に対して、佐々原さんは少しだけ顔を強張らせた。
 ……なぜ、こうも用意周到なんだ? コイツは。
 これじゃまるで、最初から知ってたみたいじゃないか。
 彼女が手作りだと称した、偽物の弁当を用意していたことも。
 そして、今日俺と彼女が公園付近で会う約束をしていたことも。
 何もかも、できすぎている。
 ……極めツケがこれだ。
 なぜ、こうもにこやかに笑みを浮かべて弁当など出すことができるのか。
 どれだけお前は失礼なヤツなんだ……!
「ぁいた……っ!」
「ちょっと来い」
 包みを受け取ったまま眉を寄せている佐々原さんを見ていることができず、たまりかねて宮崎の手を強く引く。
 一瞬。
 そのとき一瞬、今までのコイツらしからぬ“本当”の反応が見えた気もしたが、何も言うつもりはなかった。
 ……言えるはずがない。
 コイツは、入ってはいけない場所を侵したんだから。
「もー、ちょっ……! なんなのよ!」
「いいから来い!!」
 問答無用で引っ張り、遠く離れた自販機の置かれている場所まで振り返らずに連れて行く。
 ……もしも、本当になんのことかわかっていないのならば。
 それはそれで、間違いなく問題だと思った。


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