「メリークリスマース」
「…………」
「……何よ。里逸は? 今日クリスマスだよ?」
「いや……それはわかっているが。……デジャヴを感じるのはなぜだ」
 さすがにクラッカーを鳴らしはしないけど、気分だって大事でしょ。
 なのに、里逸は押し黙ったまま怪訝そうに私を見るだけ。
 それどころか、このままの勢いだったらいつもみたいに腕を組みそうだった。
 お風呂上がりの、ほかほか状態で夕飯なんて食べるの、いつ以来だろう。
 これまでは、いつだって夕飯を食べてからお風呂っていうのが常だったから、変な感じ。
 だけど、“クリスマス”だからと思うと特別のように思えちゃうから、ホントに不思議よね。
 日本人っていうか、私は相当単純なんだなと思った。
「……しかし、いつの間にこれだけ支度したんだ」
「へっへー。豪華でしょ? クリスマスだからねー」
 あたたかい湯気がのぼるビーフシチューの香りがいっぱいに広がっていて、やっぱりクリスマスはこれだよねーなんてにんまりした。
 個人的には、ビーフより普通のクリームシチューのほうが好きなんだけど、『豪華さ』で言えばこっちのほうが勝ってる、とかテレビで言ってたからこっちを選んだっていうだけ。
 それでも、ブラウンソースの入っているお鍋を見て『ほぉ』とかまんざらでもなさげな顔をしたのを知ってるから、内心はにんまりしたけどね。
「っ……何よぉ」
「いや。……別に」
 まるで、『いい子いい子』されるみたいに頭へ手を乗せた里逸に眉を寄せると、何も言わずに小さく笑った。
 ……それ、馬鹿にしてない? 私のこと。
 それとも、あれ?
 もしかして、ねぎらおうとでも思った?
 『がんばったな』なんて言ったって私が『はぁ?』とか言うのが想像でもついたのか里逸はそれ以上何も言わなかったけれど、彼を見ていたら寄ったままだった眉間の皺がほぐれたから、まぁ、よしとする。
「それじゃ」
「いただきま――」
「っ……すとーっぷ!!」
「な……っ」
 正座してにっこり笑ったら、何を勘違いしたのか里逸がいつもみたいなあいさつを口にした。
 慌てて彼に左手のひらを向け、それこそ『待て!』並みのアピール。
 ダメでしょ、食べちゃ!
 というのは、別に里逸が『メリクリ』を言ってないからとかっていう馬鹿な理由からじゃなくて、もっとずっと本質的なことがあるから。
「…………えっとぉ……」
 う。
 何もそんなにまじまじ見なくたっていいじゃないのよ。
 さすがに、今はもうあのびしょ濡れサンタ服は身につけておらず、いたって普通のルームウェアにしてしまった。
 もしかしたら、もっと里逸好みのしとやかーなスカートとかワンピースとか着てあげたらよかったのかもしれないけど、今日はお家でのささやかなクリスマス。
 里逸が、ずっと前に『クリスマスは食事でも……』なんて気の利いた提案をしてはくれたんだけど、それは丁重にお断りした。
 だって、理由がある。
 どうしてもどうしても、クリスマスにふたりきりでお家ごはんをしたかったワケが。
「はい」
 こほん、と咳払いしてから、里逸の後ろにあったラックの荷物をかきわけて、最奥から取り出した白い箱。
 あえてラベルのないものを持ってきたのが功を奏したのか、里逸は怪訝そうにしながらも『?』な表情を見せた。
「……えっとね? ホントは、もっと違うものがいいのかなとかいろいろ考えたし、すっごい悩んだの。でも……それがいちばん、里逸っぽいっていうか、素直に喜んでもらえそうっていうか」
 だから――……とごにょごにょ続けているうちに、ほっぺたが熱くなってきた。
 ……あーもー、いいから、どんどん開けて。
 なかば俯き加減に手で促すと、ようやく里逸が箱に手をかける。
 どんな顔してくれるかな。
 願わくば、ほんのちょっとでいいから喜んでくれますように。
 そう願いながら上目遣いに動向をうかがっていると、蓋を開けて手を入れた彼が、それを引き出すとともに目を丸くした。
「……これは」
「あのね。うちのママの実家、蔵元なんだよね」
「何? そうなのか?」
「うん。だから……日本酒にしたんだけど……ごめん、味はわからないから、おいしいかどうかわかんない」
 目の前に現れた、濃い茶色の瓶。
 そこには、和紙で作られているラベルが貼られている。
 『大吟醸 逸月(いづき)
 何がおいしくて何がまずいのかわからないけど、とりあえず、きっと“大吟醸”って冠が付いてれば大丈夫なんじゃないかなって思った。
 そして、何よりもこの――……名前。
 里逸と同じ字が入っているお酒を見つけた瞬間、頭の中では勝手に『これだ!』と電球が光ったような気さえした。
「……だから、それを味わってほしかったの」
 できれば、私の料理と一緒に。
 この間静岡へ行ったとき、里逸が『食べ慣れない味だ』とお母さまが用意した食事で箸を置いたとき、申し訳なさよりも嬉しさのほうがずっと強かった。
 私と一緒に暮らすようになってまだそんなに経ってないけど、それでも選んでくれたのは私の味付けで。
 今まで、料理を誰かに認めてもらったことなんて一度もなかったから、すごくすごく嬉しかった。
 それこそ、勉強や生徒会なんかっていうのとは違って、まるで私自身を褒めてもらえたみたいな感じ。
「……ごめんね、ほかに考えつかなくて」
 まじまじとラベルを眺めている里逸を見たまま、ちょっとだけ声が小さくなった。
 やっぱり、クリスマスにはお酒とかじゃないほうがよかったのかな。
 でも、それしか考えつかなかったんだもん。
 手編みの何かをしてあげられるほどそんなに器用じゃないし、高価な何かをあげられるほどのバイトは先月入ってない。
 だから、文句を言われても、それで納得してもらうしかないんだけど。
「……え」
 なんて思いながら里逸を見ていたら、小さく息を吐いてからまた私に手を伸ばした。
「ありがとう」
「っ……」
「まさか、こんなにいい酒を選んでくれるとは思わなかった」
「……ほんと?」
「ああ。というか……日本酒を考えてくれるとは、な」
 柔らかく微笑んだ里逸が、ふわりと頭に手を置いた。
 そのまま髪へ触れるように指を滑らせ、頬を伝う。
 ……何よもぉ。
 そんなに優しく微笑むとか、反則じゃない? ちょっと。
 若干頬が赤くなりそうになって唇を噛むと、里逸が小さく笑った。
「じゃあ、怒らない?」
「何がだ?」
「え、だってほら、あの……どうやって買ったんだとかなんとか、って」
 里逸のことだから、『酒を買うなど言語道断だろう』とか怒りそうだったんだけど、まったくそんな雰囲気がなくってついつい口が滑ったのよ。口が。
 でも、単に忘れてたというか、そこには気づかなかっただけらしい。
 一瞬真顔になった里逸が、すっごい怖かったんですけど!
「……それもそうだな」
「う。や、ごめっ! ちが! 今のは間違い! 気にしないで!」
 慌てて両手を振り、笑ってごまかしながら正座。
 『さー、食べよー』なんてスプーンを握ると、その様子を見てか、里逸がため息混じりに瓶をテーブルに置いたのが見えた。
「……まぁいい」
「ホント?」
「ああ。せっかく選んでくれたんだ。……ケチをつける必要はないだろう」
 小さくながらもうなずいたのが見えたので、ようやく安堵のため息が漏れた。
 よかったよかった。
 やっぱ、クリスマスにも怒られるとか、ほんと勘弁してほしいもんね。
 ほー、と息をついてからテーブルに両手をついて立ち上がり、ワイングラスじゃなくて普通のグラスを取りにキッチンまで向かう。
 すると、戻ったときにまた里逸がしげしげと瓶を見ているのが目に入って、なんだか無性に嬉しくなった。


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