「はー、おいしかった」
 ふたりで食べた、クリスマスの食事。
 雰囲気はそれなりにあったし、何よりも、里逸がおいしそうにお酒もおつまみも食べてくれたから、それだけでもう大満足。
 ……へへー。
 お皿を洗いながらにんまりしちゃうあたり、もしかしたらヤバいかもしれない。
 だって今、私かなり幸せ度高いもん。
 まぁもっとも、それはやっぱり里逸があんだけ嬉しそうに味わってくれたから、なんだけどね。
「ふんふんふーん」
 ついつい頭に流れたジングルベルを鼻歌にしながら、お湯で食器の泡をきれいに流し始める。
 ちなみに、里逸は『一服してくる』とか言いながら部屋を出て行ったきり、まだ戻ってこない。
 最近、ベランダで吸わないんだけど、どうやらそれは近所への配慮ってヤツらしい。
 私は煙草を吸わないからまったくわからないけど、まぁ、里逸がそう言うならそれで間違いないんだろう。
「……よし、っと。歯を磨こー……え……!?」
 濡れた両手をタオルで拭いてから洗面所へ向かおうとしたとき、ふいに玄関が開いた。
 ああ、戻ってきたんだ。
 だけど、いつもより時間かかったなー、なんて思いながら振り返った途端に、目が丸くなった。
「メリークリスマス」
「うそ……やだ……っ」
 少しだけ息を切らしているのは、なんで。
 ううん、それよりも何よりも、その両手にある真っ白い紙袋は何。
 出て行ったときには持ってなかった、大きめの紙袋。
 その紐と底とを手にしながらこちらに歩いて来た里逸は、私が紙袋を凝視しているとわかってか、小さく笑った。
「何をあげればいいか、本当に悩んだんだ」
「…………」
「いろいろな人間に話を聞いて……ようやく決まったのが、これだ」
 一歩ずつ、ゆっくりと歩いて来た里逸が、私へそれを差し出す。
 どきどきして、里逸の声がなんか変に聞こえる。
 ……あれ、おかしいな。
 なんか目の前が滲んでる気がするんだけど、なんで。
 慌ててまばたきすると、途端に何かが弾けて頬を伝い、情けなくも小さく鼻が鳴った。
「っ……なぜ泣く」
「わかんないぃ……」
 ぎゅ、と紙袋を受け取ったまま首を振り、腕を広げた里逸の胸に額をつける。
 よしよし、とあやすように背中と頭を撫でられたら、もう止まれないじゃん。
 うえーん、なんて声が出なかったのは幸いだけど、ほぼイコールな自分が情けなくもおかしかった。
「……開けてもいい?」
 ず、と鼻が鳴らなかったのは何よりかもしれない。
 涙を簡単にぬぐって里逸を見ると、返事の代わりにうなずいた。
「え! ちょ、これ……!」
 真っ白い紙袋を開くと、不織布にくるまれているピンク色のモノが見えた。
 途端、『ありえない』と頭が判断する。
「ずっと欲しかったんだろう?」
「っ……え、ちょ、待って! でも、なんで? なんで里逸が知ってるの? だってこれ、欲しいなんて言ったことな――」
 そこまで言ったところで、先日のことがフラッシュバックする。

 横浜で知らない女と一緒にいたこと。
 そして――……『嘘が嫌いだ』と普段から言っている里逸が、ひとことも漏らさなかったこと。

 それらが今、ようやくかちりと音を立ててハマる。
 ……もしかして、なんかじゃない。
 これは絶対。
 目を丸くしたまま里逸を見上げると、小さく咳払いをしてからまっすぐに私を見つめた。
「すまなかったな、この間は……何も言ってやらなくて」
「……じゃあ……やっぱり、これを……?」
「ああ。まさか、生徒に見られていたとは思わなかったんだ。しかし、あそこで詳しい話をしてしまったら、このことまで話さなければならないだろう? それでは……な。せっかく、クリスマスのためにと穂澄に内緒で準備したんだ。すべてを泡にするわけにはいかなかった」
 するり、と里逸の手が頭に触れた。
 そのまま、髪を滑るように頬へとあてられる。
 温かい手のひら。
 今まで、この部屋よりもずっと寒い場所にいたとは、とても考えられない。
 ……昔から、手が冷たい人は心があったかいとか言うけど、こんなに手があったかい人の心は、もっとずっとあったかいんだよ。
 私も、知らなかった。
 里逸がこんなに優しいとか、こんなに大事にしてくれるとか、ホントに……ちょっと前までは、何も知らなかった。
「……それで間違いないか?」
「え?」
「欲しかったものなんだろう? 違ったら、俺は困る」
「……あ」
 紙袋を指さした里逸に促され、袋から不織布にくるまれたままの取っ手をつかむと、考えていたよりもずっと軽かった。
 白の不織布に透けて見える濃いピンクと、独特のフォルム。
 ……間違いない。
 このバッグ、カタログで見たときからずっと欲しかったんだよね。
「ん。だいじょぶ。間違いないよ」
「……そうか」
「っ……」
 現れたピンクのバッグをしげしげと眺めてから里逸にうなずくと、心底ほっとしたように笑った。
 ……そんな顔しないでよ、もぉ。
 きゅんとした、とか遣いたくなっちゃうじゃない。
「でも、有里さんがよく横浜まで来てくれたね」
「たまたま、な。仕事で県庁へ出張だったそうだ」
 私がこのバッグを欲しいと話したのは、有里さんだけ。
 ちょっと前、一緒に買い物をしたときのショップに置かれていた雑誌にも、このバッグが載ってたから、『欲しいんだよねー』ってちょろっとだけ言った。
 でも、まさかそのことを里逸に教えてくれるとか思わなかったな。
 さすがっていうか……ほんっと、高鷲家の女性陣は、里逸が相当かわいいらしい。
「……ありがと」
「ああ」
「でも……なんか、ごめん」
「なんだ、急に」
 両手でバッグを持ったまま笑うも、里逸は訝しげに眉を寄せた。
 まぁ、そうだろうなーとは思うよ。
 だって、thanksとsorryが一緒とか、文法的に言ってもオカシイだろうから。
「だってさー、里逸にはほんっとに何をあげようか悩んだんだもん。っていうか……なんかこう、あげるものがないっていうか……」
「それは別に……」
「やー、でもね? これでも初めてのクリスマスだからこそ、何か特別なものを――……っ」

「Baby,all I want for Christmas...is you」

 強く、つよく抱きしめられて、一瞬苦しいくらいだった。
 とくん、とくん、と規則正しく伝わってくる鼓動は、里逸のもの。
 肩と背中に回された両手が、大きくて、あたたかくて、顔が緩んじゃいそうになる。
「俺が欲しいのは、穂澄だけだ。お前がそばにいてくれるならそれだけでいい。……いや、違うな」
「え?」
「そうでなければ、嫌なんだ」
「っ……」
 なんでこの人は、こうも洋画のとびっきり甘いようなセリフを、さらりと言ってのけるんだろう。
 特別どころじゃない。
 なんかこう、あまりにも非日常的なのに、里逸は『当然』の顔で言うから、すっごい困る。
 全部、何もかも知らなかった。
 里逸がこんなふうに抱きしめてくれることも、こんな顔でこんな甘いこと言ってくれるのも。
「……もぉ。相変わらずキザなんだから」
 噴きだしたりはしない。
 こんなふうに言われて、嬉しくないはずないでしょ?
 もしかしたら、生涯聞けないかもしれないようなセリフなのに、こんなたびたび言ってくれる人なんて、きっと里逸以外に出会えない。
 嬉しい。
 から、笑顔になる。
 ……だけじゃ、済まない。
「ありがと」
 顔が熱くて、どうしようもないくらい頬が緩んでて。
 きっと、すっごい子どもみたいな顔してるんだろうなーとは思うけど、これが私。
 里逸の言動で、どうしようもなく嬉しくなっちゃってる状態なんだから、彼に隠す必要はまったくないよね。


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