今日、私が確認しただけでも、里逸に関する噂はかなり広まっていた。
でもまぁ、それはうなずけて当然。
スピーカーの大元が誰かはわからないけれど、その人物が日曜日に里逸と“誰か”を見てから今日でもう5日も経ってるんだから。
あれだけ噂が広まっている以上、火の元は絶対にあるだろう。
にもかかわらず、里逸は何も言わなかった。
……それどころか、視線を逸らして明らかに“不審”な雰囲気をかもしだしたりして。
「…………腹立つ」
ていうか、何もクリスマスイブになって、こーゆーことが耳に入らなくてもいいと思うわよ? ぶっちゃけ。
だったらもっと早くに……それこそ、翌日くらいに耳に入ってさえくれてれば、とっとと解決もできただろうし、こんな気持ちにもならなかったはずなのに。
あーもー、無理。やめやめ。
これでも、かねてから計画だってしてたし、今朝までは『ああしたり、これもしよう』なんて楽しみながら考えていたことだけど、今はもうとてもじゃないけれど作業を全ストップ。
こんな気持ちで、一緒にクリスマスを過ごせるはずない。
ていうか、そもそもアレよね。
いったいその女と何をどうして過ごしたのかはわからないけど、そのあとも平気な顔してちゅーしたり抱きしめたり、ついでに言えばそれなりのコトをしてたってのを考えると、イラっとする。
どーゆー顔して……って、全部知ってるわよ。
わかってるわよ。
だから、頭にくるんじゃない!
あんなにっ……あんなに、私でいっぱいの顔になってたくせに!
「バッカじゃないの!!」
「っ……」
すぅ、と大きく息を吸い込んですぐ、考えてもなかったセリフが飛び出た。
――……のと、鍵が開くのとが同じタイミングだったなんて、どーなのこれ。
キッと勢いよく玄関を見ると、それはそれは訝しげな顔を覗かせた里逸が『何事だ』みたいにゆっくり入ってくるところだった。
「………………」
「………………」
クリスマスイブ。
ええ、そーね。それは間違いじゃないわ。
現に、今つけてるテレビのニュースも、普段はイベントうんぬんに触れさえしないのに、クリスマスイブだからどうのこうの……なんて言葉だけじゃなく、都内の有名なイルミネーションを映してさえいる。
でも、家の中は平日と一緒。
まったくクリスマスカラーを反映させていないどころか、“いつも”っぽさもまったく感じさせない食卓すぎて、正直居心地が最悪。
でも、この選択をしたのは私。
だから、文句は言わないし――……言わせるつもりもないけど。
「……穂澄」
「何」
「お前は……本当に、それしか食べないつもりなのか?」
「……何回聞きたいわけ?」
「いや。そうじゃなくて……」
「これでも口に入れるだけマシでしょ? 本当だったら、何も食べずにお風呂入ってとっとと寝たいし」
私の前には、アロエヨーグルト。
里逸の前には、おでん。
テーブルに並んでいるものに、統一性なんて皆無。
……ああ、でもしいて言うならば『コンビニで買った』という共通点はあるかもね。
「いったい、何を怒ってるんだ」
里逸の手元には、日本酒のグラスがある。
夕飯とは決して呼べないようなブツを並べたのを見て、里逸は『じゃあ晩酌にする』と日本酒をグラスに注いだ。
彼が帰ってきてから私がずっとこんな調子で、こんなふうにものすごーく手抜き以前の食事を並べたっていうのに、文句をひとつも言わなかった。
だけ、ど。
敢えて私は文句を言う。
何を怒ってるんだ、とか眉を寄せながらも聞いちゃう人には。
「あのね」
たったひとことしか発してないのに、なぜか里逸がぎくりとした顔で私を見る。
……何その顔。
私、怒鳴りも何もしてないんだけど。
失礼しちゃう。
「私、別に怒ってないけど」
「……何? しかし、それにしては……」
「怒ってるように見えるのは、里逸が私に何か『怒られる』って思ってるような、やましいことをしたって自覚があるからでしょ」
「っ……」
じぃ、と見つめたまま唇を結ぶと、里逸の視線が先に落ちた。
何かを言いたげだった唇を閉じ、それはそれは気まずそうな顔をする。
……まったく。
あの高鷲里逸がこんな顔しちゃうとか、呆れるわよ。
ちょっと前の私が見たら、びっくりするどころの騒ぎじゃない。
「私、別に浮気されてもどうとも思わないよ?」
「なっ……ちょっと待て。俺はそんなこと――」
「じゃあ、日曜。誰とどこに行ったの?」
「…………」
目を見張った里逸にさらりと訊ねると、やっぱり学校のときと同じように口を閉ざした。
証明するつもりもない、ってことね。
……はー。
だったら、最初から口なんて挟まなければいいのに。
「私じゃない誰かと横浜に行ったのは、確かなんでしょ? だとしたら、今までずっと私には黙ってたってことになるよね? 確かに、浮気の証明にはならないよ? キスしようがセックスしようが、何も証明する手立てはないんだから。……でも、その間どんな気持ちで私とキスしたりえっちしたりしたのかなーと思うと……なんかね。釈然としないわけ」
こうして気持ちを口にしてみて、ようやくわかった。
ああ、私はイライラしてたんだって。
悔しいとかって思いもあったんだ、って。
なんだかんだ言いながら――……多少なりとも傷ついてるんだ、ってわかって少しだけほっとした。
私も、まだまだ恋愛感情に左右される子どもだったんだ、と思えたから。
「私、浮気されても怒らないの。別に、『ああ、そうなんだ』くらいにしか思わない」
これは本当のこと。
だって今回の里逸の噂を聞いたときも、案外落ち着いて話せるものなんだなって少し驚いたんだから。
少し前、友達が知らない子とカレシがプリクラ撮っててどうのーなんて揉めてるのを見たんだけど、そのときの荒れようったら本当になかった。
だから、浮気されるとあんなふうになっちゃうのかなー、って思ったんだけど、そこはやっぱり“私”らしさがかなり現れるらしい。
「よそ見させたのは自分でしょ? だもん、文句も言わないよ。ただ――……さよならは確定だけど」
「っ……」
「だって、私よりその女のほうが魅力的に感じたからそっちにいったんでしょ? だもん、謝るとかなしじゃん。一度よそ見したんなら、一生その女見てなさいよ、って感じ」
淡々と口から漏れる言葉は、どれも私の真意。
当然、それは里逸にも伝わっているだろう。
まっすぐに私を見ている里逸の顔はいつになく真剣で、ごくりと喉を動かしたのが見えた。
「……はー」
「っ……穂澄」
なんか、やだ。
こんなこと言う日がくるとか、全然考えてなかったし。
ため息をつきながら視線を落として立ち上がると、慌てたように里逸が声をあげた。
切羽詰ったような声なんて、聞くの久しぶり。
そんなに余裕なさそうな顔、してくれなくてもいいのに。
別に――……どっか行っちゃおう、とか考えてないから。
気持ちだって全然離れられないのに、行けるわけないでしょ。
「お風呂」
瞳を細めたまま彼を見ると、何か言いかけた言葉を飲み込んだようにも見えた。
だけど、『そうか』とひとことだけ残して座り直し、普段里逸が見るようなこともないテレビ番組を眺めながら、すっかり冷めてしまったおでんに箸を伸ばす。
その姿を見て、ちくりと少しだけ胸が痛んだ。
……なんで怒らないのよ。
こんなふうに一方的に言われたままでいるなんて、里逸らしくないのに。
ていうか――……見当外れのこと言ってるなら、強く訂正してくれればいいのに。
そうすれば私は…………救われる、のに。
「…………ばか」
リビングを出て後ろ手にドアを閉めたところで、小さく漏れたひとりごと。
だけど、何よりも今の自分の心情を的確に表してくれているような気がして、またため息が漏れた。
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