「ふふー。意外とノリノリじゃん」
「違う」
「違わないってば」
 まるで勝ち誇ったかのような顔をしている穂澄が手にしている、2枚のスナップ写真。
 そこに写る後夜祭の自分が目に入ってしまい、すっかり記憶の隅に追いやることができていたにもかかわらず、苦い思い出として蘇りかけた。
「だってさだってさー、ちょっと自信ありげじゃない? このときの役柄、なんだっけ。『司会者』だっけ?」
「……そんなところだ」
 べったりと俺にもたれながら写真をめくる手元を見ていたのだが、ついついため息が漏れる。
 なんでも、『つい最近見た、ホテルを題材にした洋画の舞台版』だったか。
 どういうシチュエーションかは結局最後まで不明だったが、脚本を打ち出してきた本人はかなり満足だったようだから、敢えて触れることはしなかった。
 面倒くさいことも、嫌いなんだ。俺は。
 そっとしておこうと最初の時点で判断したからこそ、深追いはしない。
「……あれ。これって……」
「ん? …………ああ、懐かしいな」
 ぱらぱらとファイルをめくった穂澄が、先ほどとは違うページから写真を取り出した。
 そこに写っていたのは、過去の自分。
 ……もう、10年も前になるのか。
 10年ひとむかしとはよく言ったものだが、すでにおぼろげな思い出のひとつに分類されているようで、写真に写る自分と友人らの姿を見ても『懐かしい』としか浮かばなかった。
「学生時代だ。……もう10年も前か」
 もう、どこの店でやった飲み会かすら覚えていない。
 大きな木のテーブルの上にはジョッキやつまみが乗っている大皿がいくつもあり、いかにもという感じの写真だった。
 その端で、友人のひとりに肩を組まれてひどく嫌そうな顔をしているのが、自分。
 ……写真写りが悪いのは昔からなんだな。
 気づかなくてもいいところに気づいてしまい、小さくため息をつく。
「……楽しそう」
「まぁ……穂澄も、じきだな」
「そお?」
「ああ。大学に入れば、いくらでも飲み会はできる」
 それこそ、なんの理由がなくとも、な。
 4月にはまず、新入生歓迎会と銘打ったコンパが開かれるのだろう。
 とはいえ、その時点では飲めない年齢なのだから、当然酒に溺れることもないだろうが。
「ね。里逸って、どんな学生だった?」
「どんな、と言われても……難しい質問だ」
「じゃあ、当ててあげよっか。んっと、ちょー真面目でちょーカタブツでちょー正直者。違う?」
「……今と大して変わってないな」
「そりゃそうでしょ」
 くすくすと笑いながら穂澄が姿勢を変えてもたれたことで、ふわりと甘い香りがした。
 まぁ少なくとも、こんな年下でしかも女子高生でかつ、コスプレを平気でやってのけるような相手が彼女になる、など想像だにしないような人間だったのは間違いない。
「……ん?」
「なんか……えへへ。私が知らないころの里逸の話を聞けるのって、なんか嬉しいんだもん」
「そうなのか?」
「うん。まだ全然知り合ってないころでしょ? っていうか……やば。里逸ハタチのとき、私8歳だし!」
「っ……それを言われると、つらい……」
「え、なんで?」
「いや…………そうか。小学生か……」
 年齢差はいつなんどきであれ頭にあることだが、まざまざと“昔”での関係を想像してしまうと、一層“犯罪”の2文字が頭に浮かぶ。
 ……そうか。
 俺が学生だったころ、穂澄はまだ小学校低学年か。
 それは…………それは、そうだろうな。
 つい、しなくてもいいのに、ランドセル姿の穂澄を想像してしまい、背徳感から盛大なため息が漏れた。
「……ん?」
 ぱらぱらとページをめくりながらあれこれ楽しんでいる穂澄の、すぐそば。
 ラックのところにあったリーディングの教科書が目に入り、ふいに手が伸びる。
 教員用の自分のものでないとすれば、持ち主はひとり。
 べったりと背を俺に預けている、穂澄のものだろう。
「っ……これは……」
「え? あ。……もー。人の持ち物勝手に見ちゃだめなんだよ?」
「う。それは……すまない」
「……謝ったから許してあげるけど」
 ぱらぱらと片手でめくった途端、音を立てて穂澄が教科書を閉じてしまった。
 穂澄とともに暮らすようになってからも、たびたび目にはしたことがあるが、このようにいざ開いたことはなかった教科書。
 だからこそ、今になって初めて知る。
 それは――……彼女の教科書の使い方だ。
 少し前までは、それこそノートを提出することもなかったから、いったい普段どうやって勉強しているのかと不思議に思ったものだった。
 いや、むしろそれまでのテストの結果から勉強などしてないのだろうと思ったのだが、佐々原さんがらみの中間テストでは見事90点台をマークしたため、いったいどういうことなのかとひどく不思議だったのだが……なるほど。
 こうして教科書を開いてみて、すべてが腑に落ちた。
 なんせ、これまで授業を行ったすべてのページに、びっしりと細かな字でいろいろ書き込まれていたからだ。
「……すごいな」
「そお?」
「ああ。俺でさえ、ここまでの書き込みはしなかった」
「……ふふ。まあね」
 素直に認めたのが嬉しかったのか、にんまり微笑んでから『見てもいいよ』と押さえつけていた教科書から手を離した。
 了解を得れば、いいわけか。
 彼女がうなずいたのを確認してからページを開き、ひとつひとつを見ていく。
 文中にある新しい単語や、イディオムの説明、そして――……恐らくそのときの授業で俺が喋ったらしき話の内容。
 小さいながらもしっかりとした字のお陰で、授業の様子が手にとるようにわかる気になり、ただただ感心するしかなかった。


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