「ね、里逸。静岡行かない?」
「……何?」
 ことのほったんは、まさに今からたった3時間前。
 炊きたてご飯と里芋の味噌汁をテーブルに置いたときだった。
「それは、俺の実家という意味でいいのか?」
「うん」
 いただきますはさっきしたから、先に味噌汁をひとくち。
 やっぱり、白味噌と赤味噌を1:2で合わせたほうがおいしい。
 っていうか、これはまぁ好みなんだろうけど。
 里逸も特に何も言わないから、我が家の配合はこんな感じがちょっと前から続いている。
「……ん?」
「いや……相変わらず、と褒めるべきなのか。穂澄が自分から言い出すとは思わなかったのでな」
「そお?」
「少なくとも楽しい場所ではなかったろう? 会いたくない人にも会ったんじゃないのか?」
「そりゃまぁね。でも、会いたかった人にも会えた場所だし」
 佐々原さんのことを言ってるんだろうけど、ぶっちゃけ、今言われるまで彼女の存在はなかったことになっていた。
 だから、思い出したのはお父さまと、おばあさまと、そんでもって有里さんの顔だけ。
 3人とも、笑った顔はとてもよく似ている。
 ……あー、ちなみにもちろんだけど、おかーさまもばっちりしっかり目に浮かびっぱなしだけどね?
 里逸はお母さまに似てるなーって、初めてウチに押しかけてきたあの朝思ったし。
 それに、別にお母さまのことは嫌いじゃない。
 てか、佐々原さんのことも嫌いってわけじゃないのかもなーって思った。
 ただ、負ける気がしない相手であることに変わりはないってだけで。
 つまりは、少なくともライバルではないってこと……とか言ったら、ケンカ売ってるうちに入るのかな。
「ね。新年の仕切り直しってことで、もっかい行こ?」
「…………」
「あ。高速混むしめんどうだなーとか思ってるでしょ」
「……まぁ、そんなところだ」
「ねー、お願いー。ほら、やることないしお正月くらいどこかへーって言ってたじゃん」
「それはそうだが……」
 さっき、里逸が自分で言ったことだよ?
 どこか行きたいところがあるなら行ってもいいぞ、って。
 結局、元日の昨日は家でのんびりごろごろ過ごした。
 おせちは食べなかったけどお雑煮を食べたし、ママから貰ったかまぼこと伊達巻のセットでお正月気分は満喫済み。
 里逸は、お正月用にと買ってきた日本酒でそれはそれは楽しそうにしてたし、そんな彼を眺めている時間ももちろん楽しかった。
 けどね?
 だからって、そんな遣い方をこの三が日全部しなくてもいいと思うわけよ。
 そりゃあ、温泉でのんびりまったりもいいんだけど、別に私は里逸と一緒にいられればどこでもいいし。
 だからぶっちゃけ、出かけずに家でのんびりでもいいよ? 別に。
 そーれーでーもー、思いついちゃったら動かない選択を私はしない。
 これまでの付き合いで里逸もわかってるらしく、お箸を揃えて置くとカレンダーに目を向けた。
「まぁ……日帰りでよければ、な」
「え、十分だし。じゃ、行ってくれるの?」
「ああ」
「ぃやったぁ! ありがとー!」
「っ……!」
 カレンダーを見ながらひとりごちた里逸に念を押すと、しっかり目を見てうなずかれた。
 たちまち嬉しい気分から、がばしっと抱きつく。
 当然のように目を丸くされたけど、問題なし。
 どうやら、日に1度は『穂澄!』と里逸に叱られないと落ち着かないようになってしまったらしいから。
「ね、ね、じゃあさー。今から行くって電話したほうがいい?」
「……穂澄がか?」
「え、だめ?」
「いや、ダメではないが……俺が入れておこう」
「ホント? じゃあお願いしまーっす」
 顎に当てたままだった人差し指を、つつ、と頬へ滑らせる。
 里逸に言わせると、これは私のクセらしい。
 まぁ確かに。
 気づくとこの仕草をしてるから、クセといえばクセだろう。
 でも、敢えてやってるときもあるんだよね。
 特に、里逸に関してはコレやるとちょっと困ったような顔するから、なんかかわいくてやめられないんだもん。
 といっても別に、おかーさまに電話して『これからお邪魔します』と言うこと自体はなんとも思ってない。
 正直プレッシャーでもなければ億劫でもないからかまわないんだけど、どうやら里逸は前回のことを汲んでか気を回してくれた。
 こーゆーところ、ちょっととはいえ空気をまったく読もうとしなかった里逸にとっては大進歩だと思う。
「今日はどーゆーカッコで行ったらいいかなー……。着物とか着てくべき?」
「普通でいいだろう」
 どこへ行くつもりなんだ、いったい。
 味噌汁に口づけた里逸が眉を寄せ、にわかにお椀を置いた。
 そんなに即答されると、逆にやりたくなるじゃん。
 とは思ったけど、さすがに言わないしやらないでおく。
 でもねー、お正月にカレシの実家へごあいさつですよ?
 だとしたら、きちっとした格好で行くのがベストってもんでしょ。
 前回、当たり障りない態度で迎えてくれたお父さまとおばあさまだけど、パンツが見えるんじゃないかっていうような格好で行って、いい印象を抱いてくださいってほうがムリだし。
 やっぱり、瑞穂を見習ってのおとなしめーな清楚風にしよっかなー。
 ま、そっち系の服もそんなにないんだけど、いっちょがんばってみますかね。
「……? どうした?」
「んーん。なんでもない」
 大事な、この人のために。
 そう思う相手だからこそ、恥をかかせたくないし、少しでもウェルカムであってほしい。
 かわいくなりたいのは、当然。
 だけど、そこに“私だけ”の付加価値をつけたい。
 このままの私でも里逸はいいと言ってくれるだろうけど、それに甘んじるわけにはいかないんだよね。やっぱり。
 ママが里逸を認めてくれたのと同じように、やっぱり私もお母さまには認めてもらいたいわけだし。
 きっと、彼女が望むような高鷲家の嫁ってやつにはハナからなれないだろうけど、何事もやってみなきゃわからない。
 だから、やってみるね。少しだけ。
 私がどこまで通用するかわからないから。


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