「こんにちはー」
 我が家とはまるで違うチャイムの音が響き、高い声が響いた。
 と同時に、驚いた様子で立ち上がったお母さまが、玄関へと向かう。
「っ……な! どうして……っ」
 誰がきたのかは、私にもわかった。
 でも、なんでお母さまが驚いてるのかはわからない。
 だから、お寿司をつまもうとしたお箸を揃えて置き、あとを追うように立ち上がっていた。
 相変わらずの、広くて吹き抜けのある開放感たっぷりの玄関は心地いい。
 ……でも。
 揃って靴を脱ぎ、上がろうとしていた人を見た瞬間、目が丸くなる。
「あれ。悠衣さん」
「そうじゃないでしょう。お正月のあいさつくらい、きちんとなさい」
「え、だってそれは電話でしたし」
「そういう問題じゃないのよ。いい? 親しき仲にも礼儀ありっていう言葉があるように――」
「親しいって思ってくれてるんだ?」
「っ……だ、だからそれは……!」
 ため息交じりのセリフに、うっかり顔がにやけた。
 ていうか、自分で言ってて照れるとか、なんなの。もー。
 いわゆるこれがデレってやつなのかな。
 や、よくわかんない。ごめん。
「ほずみちゃん!」
「やーん、カナちゃん! あけましておめでとう!」
「おめでとぉー!」
 ツインテールがぴょこんと跳ねたかと思うと、満面の笑みの彼女がダイブしてきた。
 当然のように受け止め、そのまま抱き上げる。
 あーもー、なんでこんなに天使なのあなたはー。
 でも、今から私みたいのに接触してると、将来像が恐ろしいってママが言ってたから気をつけてー。
「あけましておめでとうございます」
「あら。響くん、さっすがぁ。あけましておめでとう。今年もよろしくね」
「……うんっ」
 すぐ隣にきてから頭を下げた彼に笑うと、ようやくにっこり微笑んだ。
 やっと見れた、子どもっぽい顔。
 きっと、あっちこっちあいさつという名目で連れ出されていた間ずっと、悠衣さんは『きちんとあいさつしなければダメよ』なんていい続けていたに違いない。
 肩こっちゃうじゃないのよ。ね?
「君が穂澄ちゃん? 初めまして。父の健太郎です。いつも、悠衣と子どもたちがお世話になってるみたいで……」
「いえいえ、とんでもない! こちらこそ、いつもお世話になっております」
 私と視線がそんなに変わらないうえに、きっと体重もそんなに重たくないであろう男性。
 でも、何より屈託なく笑う顔が響くんの笑顔を重なって、『ああ親子だなぁ』と納得した。
 すっごく優しそうで、よっぽどじゃないと怒らなさそう。
 パパさんの第一印象は、決して悪くなかった。
 ていうか、むしろ『ああなるほどー』なんて妙に納得したし。
「あ、ここじゃなんですから。向こうへ」
 カナちゃんを抱っこしたまま、私の家じゃないけど『さあさあ、こっちどうぞー』とうながすと、玄関で話していたふたりがため息をついたのが見えた。
「それにしても、急にどうしたの? たしか、今日から温泉旅行に行くって言っていたじゃないの」
「あ、それ私も聞いた。なのになんで?」
 正座しなおしたお母さまに続くと、明らかに睨まれた。
 やだこわーい。
 なんて反応をまったくせず、視線すら向かわせず悠衣さんをガン見。
 こういうとき、空気読める自分をほめてやりたい。
「……別に、チェックインに間に合えばいいだけの話よ。だから、まぁ……顔を見に来た、っていうか」
 ごにょごにょ。
 明らかに視線を落としてそっぽ向いてるけど、悠衣さんの頬は赤くなってる気がする。
 そんな彼女の隣でカジュアルなジャケットを着ている旦那さまは、くすくす笑いながら頭に手をやる。
「彼女が、どうしてもって言い出したんです。こんなこと、普段はあまりないので……正直驚きました」
「ちょっと健ちゃん! そんなこと言わなくてい――」
「へぇえ」
 慌てた様子をばっちり見たうえに、強気な彼女らしからぬ『健ちゃん』発言で、にやりと口角が上がる。
 ツンデレだなぁもー。
 ありとあらゆる情報がぴったり当てはまりすぎて、噴き出しそうにさえなった。
「もしかして、悠衣さんも私に会いたがってくれてた?」
「違うわよっ! 私はただ、みんなが集まるっていうのに顔を出さないのは失礼だと思って……」
「でもあなた、昨日は頑として聞かなかったじゃないの」
「っ……だから、それは……っ」
 お母さまがいぶかったのが、まさに痛恨の一撃か。
 唇を噛んだ悠衣さんが、それはそれは小さな声で『別にそんなんじゃないもん』とまるで子どもみたいなセリフを呟いた。
「あ、そうそう。はいっ。響くん、カナちゃん」
「えっ」
「わあー! おとしだまだー!」
 うわあーい、と両手をほっぺたに当てて喜んでくれたカナちゃんの反応に、大人たちがたちまち笑い声をあげた。
 大きな子がやったら大げさなリアクションも、小さな子がやるとストレートに映る。
 響くんも嬉しそうに私とポチ袋とを見比べながら、『ありがとうございます』と律儀に頭を下げた。
「それはね、私と里逸から。ね?」
「……ああ」
 ちょうど数の子をつまんだところだったらしく、里逸を振り返ると視線こそ一瞬向けたものの、すぐに箸先へ戻した。
 食い意地が張ってるわけじゃないんだけど、なんかこー、おつまみ系に弱いよね。里逸って。
 とはいえ、食べたあとの満足そうな顔は正直言って好きだから、文句なんて当然出ないけど。
「なんでも好きなものに使ってね」
 小さい子の嬉しそうな顔って、なんでこんなに幸せな気分になるのかな。
 胸の中がほっこりして、素直に嬉しい。
 ううん、嬉しいだけじゃなくて、パワーみたいなものも湧くんだよね。
 がんばろう、みたいな。
 ほんと、子どもっていいなぁって思う。
「…………」
 そういえば、隣で日本酒の代わりにウーロン茶を飲んでる里逸だって、彼らくらいの年はあったわけだよね。
 さすがにアパートでは古くても学生時代の写真しか見れなかったけど、もしかしなくたって、ここにはあるはず。
 だって、実家だもん。
 てか、それこそあれじゃん!
 高校時代の写真とかもあるってことでしょ!?
「ね、ね」
 もしも今私の頭に猫耳が生えてたら、ぴょこんっとすごい勢いで立ったに違いない。
 だけど、残念ながら私は人間。
 それでも表情にはばっちり出ていたらしく、嬉々としながら里逸の袖を引っ張ると、瞳を細められた。
「……せめて食べ終わってからにしたらどうだ」
「や、そうなんだけど! でもっ」
「穂澄が席を立ったら、ふたりも食べなくなるだろう?」
「あー……そっか」
 里逸はいつだって正論を吐く。
 でも、それはまさに“正論”だから反論できないことのほうが多い。
 ……けど、やっぱり言うけどね。一応。
 とはいえ、今のことに関してはまさしくって思ったから、否定はしない。
 一生懸命お箸を持とうとがんばっているカナちゃんと、キレイな持ち方で昆布巻きをつまんだ響くんをみながら、軽くうなずいて自分もサーモンのカルパッチョのお皿へ手を伸ばした。


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