「……で? 穂澄は何がしたかったんだ?」
「あ」
 ごちそうさまでしたをしたあと、現地へと出発した悠衣さん一家を見送ったのは、もう30分くらい前かもしれない。
 それじゃ、とばかりに2階へ上がったのは、わけがあった。
 ほかでもなく、私と同じ“18歳”まで里逸がすごした部屋を見たかったことと、そこに眠っているであろう昔のアルバムを発掘するため。
 だったのに、いかにもむかしーな雰囲気漂う、背表紙が色あせたマンガを発見してしまい、意外さでついつい手が伸びていた。
 ちなみに、本人曰く『借りたままになっているもの』らしい。
 まぁそうだろうなー、ってすんなり納得できちゃうんだけどね。
 だって、今の里逸はマンガから程遠いもん、昔……それこそ小学生のころだって、あんまりゲームとかマンガとかで遊んだ記憶はないんじゃないだろうか。
 へたしたら、そもそも“遊ぶ”幼少期は過ごしてないかもしれない。
 だとしたら、幸か不幸か……なんてこと、私が決められるわけないんだけど。
 少なくとも、里逸は不幸だなんてこれっぽっちも思ってないはず。
 それでいい。
 私の幼いころだって、思い返してみればいっぱい『れば』が付くけど、今の私は満ち足りてるんだから、これまでの道は間違ってなかったんだ。
「里逸の幼稚園時代から小中高の写真見せて」
「……唐突だな」
「だって、見たいんだもん! 里逸がどんな少年だったのか気になるじゃない。それにほら、高校時代は私とおんなじ副会長だったんでしょ? そのころの、きっと“ど”が付くくらい真面目なお姿もぜひ見ておかないと」
「どうしてそこで笑うんだ」
「やー、だってなんか、すっごい楽しくって」
 指摘されたって、この顔は直りませんとも。
 にへらっと緩んだ頬に両手を当てて押さえるものの、ため息をついた里逸に『ね、いいでしょ?』と付け足す余裕は当然あった。
「……このあたりじゃないか?」
「どれどれ?」
 今の部屋と同じように、とても整頓されている部屋。
 広い窓のべランダと正反対の位置にある背の高い本棚には、殴ったら大変なことになりそうな分厚い百科事典や童話全集が並べられている。
 文庫から参考書、ぼろぼろになりかけている辞書、そして……赤本。
 ああ、本当に高校時代の里逸がここにいたんだなって思えるから、なんだか不思議でとても嬉しい感じ。
 時が止まったまま、って言ったらクサいかもしれないけど、里逸なら言いかねない。
 『穂澄と同じ年のとき、自分はここにいたんだな』なんて、何かの拍子で言うかもね。
 本棚のいちばん下の段にしまわれていた、赤い皮の表紙のアルバム。
 これまた“鈍器”に相当しそうだけど、引き抜くとところどころ色が変わっていて、年月を感じさせる。
「っ……うわ! うわー! 何これ! ちょー、かわいい!!」
 ぺらり、と比喩でもなんでもなく音がしてすぐ、やっぱり今の写真とは色味の違う写真に歓声があがった。
 ていうか、アーガイルのベストに白タイツとか、ちょ、どんだけお坊ちゃまよ!!
 きちんと切りそろえられている頭には、ぺかーんと天使の輪まで見えるし。
 ……ってことは、何?
 この、立派な玄関の前でぴしっと『気をつけ』をしている子の隣で、指くわえながらカメラを半泣きで睨んでる子って…………悠衣さんってこと!?
「ぎゃー! 何これ、超絶かわいいんだけど!!」
「っ……テンションがおかしい」
「だってだって! かわいすぎでしょ、どー見ても!!」
 わしっとアルバムを握り、ずいっと顔を近づける。
 ああ、やっぱりかわいい。
 てかもー、なにこの兄妹。
 うちの兄妹とは、なんかいろいろ違いすぎる!
「うわ、小学生じゃん!」
「何を言い出す」
「え、だってほら! 遠足! やだ、懐かしいー! ってまぁ、私はこの場所行ってないけど」
 恐らく、どこかの公園とおぼしき広場。
 レジャーシートを広げてお弁当を食べている子たちは、みんな赤白帽子をきちんとかぶっている。
 ……くふ。
 この真ん中でカメラちら見でおにぎり食べてるのが里逸だよね、きっと。
 隣のやんちゃそうな子に服を引っ張られて嫌そうな顔してるけど、絶対内心は喜んでるはずなんだ。
 うるさがったり煙たがったりしても、里逸はなんだかんだ言ってこういうイベント好きなんだから。
「この子、よく映ってるよね?」
「……ああ。幼なじみだ」
「へぇー。あ。じゃあ、いっつもごはん食べる相手って、この子? じゃなかった。この人?」
「そうだ」
 いくつかの写真に共通して映りこんでいるやんちゃそうな男の子を指差してみて気づいたけど、ほかの写真にも結構ツーショットで写ってたりなんかして。
 ああ、タイプが違うから磁石みたいにくっついたのかな、って気もする。
 私みたいに。
 ……それにしても幼なじみ君はこの人なのね。
 話は聞くけど一向に紹介してくれないから、ある意味でいえばこれが『初めまして』だね。
「高校まで一緒だったの?」
「ああ。ソウとは結局一緒だったな」
「ふーん。ソウ君とは仲いいんだねー」
 アルバムのページをめくりすすめた先。恐らくは高校時代とおぼしき制服姿に移っても、小学生時代と同じように、里逸の腕を引っ張って写っている人がいた。
 てか、『ソウ』ってあれじゃん。この間、里逸が口にしたよね。
 多分、本人はまったく覚えてないまどろんだ時間だから、『あああのときの』なんて口にしたら、意味もなく問い詰められそうだけど。
「…………」
「ん?」
 だから、もしかしてーと思ってのことだったのに、ぽろりと聞こえた名前を復唱した途端、里逸が口をそれこそ真一文字に結んだ。
 何その顔。
 きもーち、ちょっと怒ってるときの顔じゃない? それって。
「何? 怒ってないよね?」
「……別に」
「もー。別に、って顔じゃないし。なぁに? ソウ君とか呼んだのがヤなの?」
「…………」
「わかりやすっ!」
 里逸って、こんなにめんどくさい人だったっけ。
 ……あ、ついぶっちゃけちゃった。
 めんどくさいって言うか、まぁ……なんか最近特にそうなんだよね。
 ほかの人に対する嫉妬が明らかに見える。
 さすがに学校ではそんなことないけど、プライベートで……っていうか、特にこうして里逸の実家にいると強い感じ。
 有里さんとか、悠衣さんとかと一緒にいると『アナタの姉妹でしょ』って言いたくなるほど、あからさまにつまんなそうな顔してるし。
 ……まぁ、ついそんな顔を見てニヤけてる私も悪いんだろうけど。きっと。
 うん。問題なかった。
「ねぇ、里逸。散歩行こ?」
「……散歩?」
「ほら、約束したでしょ? 初詣に行くって」
 目を合わせて首をかしげると、自然に笑みが漏れた。
 ふいに脳裏に浮かぶのは、あの、まどろみの時間。
 やけに部屋の中へ白い朝日が入ってきていた気がする。
 へんなの。
 冬だし、まだ時間も早かったからそんなはずないのに。
 里逸といる自分が、ちょっとだけおかしい……からかな。
 こんな顔、瑞穂といるときだって見せないもん。
 ……ガラじゃない、か。
 たしかに、そうかもね。
「そんな約束もしたな」
「思い出した?」
 ふと視線を上げた里逸が、小さくだけどうなずく。
 ほっぺたも赤くなってないし、声もいつもと変わらないけど、それでいい。
「よし。じゃあ、しゅっぱーつ」
 音を立ててアルバムを閉じ、元の場所へ。
 ホントはもうちょっと高校時代の里逸を堪能していたかったんだけど、ま、目標は達成したからいっかな。
 これ以上あーだこーだ口を滑らせて、機嫌を損ねるのは本望じゃない。
「……ん?」
「へへー。手、繋いでいいよね?」
 部屋を出ようとした里逸の手を後ろから握り、隣へ並ぶ。
 一瞬だけ目を丸くしたのは、見逃さなかった。
 まるで『仕方ないな』みたいにため息つかれても、構わない。
 好きな人だから、どんな反応だって私に見せてもらえるのは本望だもん。
「れっつごー!」
 入れ替わりに私が前を歩き、階段を先に下りる。
 ここからよく見える玄関に人影は見えなかったけど、靴を履いていたら、リビングのほうからおばあさまが『いっておいで』と声をかけてくれた。


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