「うー……寒い」
 冬瀬の寒さとは違う、と里逸は言う。
 確かに、こっちのほうが冬瀬より暖かい気はするし、天気予報なんかではばっちり数字に表れてるから、実際そうなんだろうなとは思うよ。
 それでも、北風が吹けば当然寒いでしょ?
 いくら慣れていようと、今まで暖かい部屋にいようと、冬の外は寒い。これ当然。
 残念ながらうす雲に太陽が隠れてるせいで、気温は上がらないまま。
 だから、里逸の手を強く握り締めたまま、袖口を伸ばして手の甲を隠す。
 途端に里逸は眉をしかめたけど、今回は見なかったことにしておいた。
「……あそこ?」
「ああ」
 昔から高鷲家が初詣に行っている神社に行きたいってリクエストしただけあって、歩いて5分もしないうちに見えてきた赤い鳥居。
 白地に赤い文字で神社の名前が書かれている旗のはためき具合は、体感風速よりも速そうに見える。
 向かい側の歩道沿いに等間隔で並んでいる旗には、紋とおぼしき模様が金色で施されているものもあった。
「……黒川姫神社」
 横断歩道を渡ってすぐ、たどり着いた入り口。
 ひとりごとに違いなかったけど、里逸は私と同じように足を止めると鳥居を見上げた。
「小さいころは、ここで七五三などの行事もしたな」
「やっぱりそうなんだ?」
「ああ。氏子、というものだ」
 まっすぐ抜けている参道は、真四角の石がきれいに敷かれている。
 その真ん中を歩こうとしたら、里逸が繋いでいた手を引いて『真ん中は歩くんじゃない』と今日初のお説教をされた。
 両側の黒い木は、肌が少しめくれていたりする。
 葉っぱはすべて散ってしまって皆無。
 しげしげ見ながら歩いていたら、さくらの木だと教えてくれた。
 ……桜か。
 そういえば私、お花見ってしたことないんだよね。
 友達と一緒に桜を見に行くーなんて風流なことをしなくても学内には立派な桜の木が何本もある。
 だから、せいぜいその下でごはんを食べるくらいが、私にとってのお花見ってやつだろうか。
 テレビなんかで見かけるお花見とは、全然違う。
 当たり前だけど、テレビの向こうの人たちはみんな、お弁当だけじゃなくてお酒が入ってるんだよね。
 来年もまだ飲めないけど、じきにハタチは過ぎる。
 そうしたら、里逸とお酒飲めるよね。
 イコール、お酒アリのお花見もできるってこと。
「どうした?」
「え?」
「楽しそうだな」
「そおかな」
 ひょっとしなくても、妄想がつい顔に出ていたらしい。
 指摘した里逸の表情も穏やかで、さっきまでのふくれっつらはどこへやら。
 その立ち直りの早さがちょっとおかしかったのもあって、目が合ってすぐにんまりと笑う。
「里逸と一緒にお酒飲むの楽しみだなーと思って」
「……どこがどうなって、そんな発想に至ったんだ」
「え、だめ? なんか、お花見したいなーって思ってたら、お酒も飲みたいなーって思って」
「飛躍しすぎだろう」
「そお?」
 ため息混じりに首を振られたけど、表情はいつもみたいな呆れたものとは少しだけ違った。
 だから、里逸も心のどこかでは私とお酒飲むのを楽しみにしてくれてる、って勝手に解釈しちゃうからね。
「てか、空いてるねー。みんなこないの?」
「逆だろう。このあたりでは毎年、もっとも混雑するのは大晦日だ」
「え? なんで?」
「大晦日になると、この参道には屋台がでるんだ。近くの寺でつく鐘の音も聞こえるし、一種の祭りみたいなものだろう。毎年この地域では秋に山車祭りがあるせいか、このあたりに住む人間はみな祭り好きなんだろうな。事実、俺も小さなころからずっと初詣は大晦日に来ていた」
「へぇー。なんかすっごい意外」
「そうか?」
「うん。だって、里逸はもちろんだけど、あのお母さまなら絶対『早く寝なさい!』とかって時間をきちっと守りそうなのに」
「まぁ……どんな家であれ、例外というものはあるだろう? 祭りにはそういう不思議な力でもあるんだろう」
「……へぇ」
 意外なのはお母さまの行動だけじゃない。
 今の里逸の顔だってそう。
 まるで昔を懐かしむかのように社殿へ向けられたまなざしは、ひどく優しかった。
「里逸?」
「ん?」
 ふと、足を止めたのが珍しくて手を引くと、我に返ったように私を見つめた。
 すまない、なんて小さく聞こえて首を振るものの、あたりを見回すようにすると、小さく笑う。
「穂澄と同じ年のとき、自分はここにいたんだな」
「っ……」
 懐かしむように、噛みしめるように、つぶやかれた言葉。
 ちょっと前、『言うかも』なんて想像したのと同じどころか、もっと懐かしげにつぶやかれ、目を見張る。
「……不思議なものだ」
 小さく笑った里逸の顔は、優しかった。
 ああ、きっと今彼は『昔あそこで……』なんて、小さかった“自分”を見ているに違いない。
 冬瀬じゃまず見られない、穏やかで柔らかい表情をちらりと見ながら、嬉しくて顔がほころぶ。
 里逸は、『あのころはよかった』とか言うことあるのかな。
 過去と現在をすっぱり切り離して、それこそ後悔なんて感じることなく生きてるんだとばかり思ってたから、“今”の里逸がなんだか不思議な感じがする。
 これってやっぱり、地元に帰ってきてるから、なのかな。
 だとしたら、大正解だよね。
 里逸のこういう面って、冬瀬じゃ絶対見られないもん。
「っ……どうした」
「お参り。しよ?」
「ああ」
 立ち止まったまま枝だけになっている桜を眺めていた里逸の腕を取り、先を踏みしめる。
 静岡では雪が積もることはないらしく、この間雪が降ったときは少しだけ里逸も楽しそうな顔をしていた。
 でも、今はあのとき以上。
 少しだけ笑っているように見えるのは、気のせいじゃない。
 もしかしなくても、今日ならとてつもないお願いごとなんかも聞いてくれちゃったりして。
 アルバムも見せてもらったし、きっと無意識だろうけど昔話も聞けた。
 ああ。今年は、なんだかいい年になりそう。


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