宮崎穂澄。
普段もそうなのだが、なぜか今日は特に目につく……女の部分。
普段と違う表情。
普段と違う仕草。
……そして、普段と違う喋り方。
何もかもが、普段俺の知っている彼女と違って。
だからこそ、戸惑う。不安になる。
……なんとなく……違う、と思うから。
彼女と、そして宮崎を見ている自分自身とが。
「…………」
こういう大っぴらな場所ともなると、今では当然喫煙に規制がかかる。
それはまぁ、別に構わない。
特に、どうしても来たかった相手でないならばなおさら、手持ち無沙汰を喫煙を理由にはぐらかせるから。
「……はぁ」
まさに、雑多といえる通り。
そこから1歩外れたこの場所にある喫煙所というか……灰皿だけがぽつんと置かれているスペースというか。
だが、幾ら肩身が狭くなろうとも、やはり吸いたいものは吸いたい。
口寂しいとかなんとか言われようと、それでもなお。
……煙草か。
まさか、自分までも手放せない人間になるとは思わなかったが……ある意味では、仕方がないのかもしれない。
ストレスを発散できる。
時間も消化できる。
自分だけのペースを保てる。
まさに、そんな自分が自分であるための必須道具となった今はもう、禁煙など考えてもない。
これを失えば、恐らく自分のどこかが崩れるだろう。
簡単に予測できる以上、あえてもう否定しないことにした。
……とはいえ。
いくら禁煙禁煙と世の中が口うるさく波風を立てようと、税金を上げようと、減らないものは減らない。
それは俺の周りだけではなく、やはり世の中全体がそうだと言っているようで。
くわえたまま見れば、やはり同じように一服しながらあたりを眺めている人々が多くいた。
男性であり、女性であり。
そして、年齢層も様々。
ほとんどの人間が手持ち無沙汰な感じが漂っていないでもないが、別に、人が喫煙に走る理由などなんでもいいだろう。
俺だっていろいろあるように、人には人なりに理由がある。
「………………」
どれほど経ったころだったか。
煙草を灰皿へ押し当ててから空いたベンチに腰かけ、新たな1本を口にしたときのこと。
ふと、先ほど自分が歩いてきた方向を見ると、ひとりの女性がいた。
カールした長い髪を風に流されないようにと手で押さえ、きょろきょろと身体ごとあちこち向きながら、まるで何かを探しているような雰囲気。
……だが、ちょっと待て。
やたら短いスカートに、やたら肌の露出の高いあの服。
そして、足をくじくんじゃないかと思うようなヒールの高い靴。
……加えて、ここからでも感じ取ることのできる雰囲気。
何もかもに見覚えがあって、思わず眉が寄る。
「っ……」
そんな彼女が振り返った途端、思わず煙草を落としそうになった。
確かに、探しているのは探しているんだろう。
……もしかしたら……いや。
彼女の探しものを、俺はよく知っている。
なぜなら、心当たりのあるものはたったひとつ、この俺自身しか思い当たらない。
「…………」
少しだけ、不思議な感じがした。
普段の宮崎からはまったく想像もつかないような、どこか心もとない感じの不安げな表情。
……まるで、迷子になった子どもだな。
そんな印象を受け、挙動に目が奪われた。
見た目は間違いなく、その辺を歩いていそうなきゃぴきゃぴした若いイマドキの子に違いないのに、なぜかその不安げな表情に目が行って。
ある種のギャップめいたものがあるせいか、つい、目が離せなくなる。
遠く離れているここからでも、華があるからひと目でわかる。
圧倒的な、存在感。
何よりも目を引き、どんなモノよりもきらびやかに自身を浮かび上がらせる。
……たいした能力だな。
周りのモノすべてを呑み込んでしまうとは。
「…………あ」
「っ……」
思わず、組んだ足に頬杖をついて宮崎を見ていると、俺に気づいたのかようやく目が合った。
途端に浮かべた、一瞬ほっとしたような顔を見てつい『お前もかわいいところがあるんだな』などと思った自分に驚く。
「……もー。どこに行ったのかと思ったじゃない」
小走りで駆けて来た彼女は、目の前で長いきれいな足を揃えてから、まるで子どもでも叱るような口調で両手を腰に当てた。
「置いてかないでよね」
「いや……前置きはしただろう? ここにいる、と」
「それはそーだけど。……もー」
間違いなく、俺は最初に断ったはずだ。
買い物という名の時間の無駄遣いにこれ以上付き合えないから、向こうで一服してる……と。
そのときはちゃんと『わかった』と返事をしたのに、今さらそんなふうに言われても正直戸惑う。
ましてや、不満そうに唇を尖らせながら、軽く腕を叩かれたりもして。
……なんなんだ、コレは。
錯覚めいた何かが頭と身体を伝い、慌てて首を振る。
周りにいた人間は、当然のように視線をこちらへ思いきり向けていて。
普段、まずそんな目で見られることのない自分にとっては、まぁ、ある意味では……悪くない、とさえ思った。
感じるのは、明らかに羨望であり嫉妬であり。
確かに、目の前のこの子を第三者として眺めれば、レベルも高いだろうから。
「ね。次はどこ行く?」
ひとしきり怒って見せたあとでため息をついた宮崎が、少しだけかがんでから笑った。
……見えるだろう、胸元が。
それとも、これも計算なのか。
いろんなことを考えてしまうからこそ、その前に敢えて視線を逸らす。
……ついつい目が行くのは、健全な証拠。
そう自分に言い訳しながらも、一線だけは踏み外すわけにいかない。
「私、ちょっと見たいお店あるんだー」
「……まだあるのか」
「えー。だって、まだまだ見てないトコいっぱいあるよ?」
「いや……そういう問題じゃなくてだな」
形イイ艶のある唇で囁くように笑い、ときには怒り。
間近でそんな反応を惜しげなく見せられ続け、正直頭が疲れているのかもしれない。
だが、こんなやり取りは、間違いなく通りすぎていく幾つものカップルと同じで。
手こそ繋がないものの、雰囲気そのものに相違はないと思えた。
「……? 何?」
「あ、いや。……別に」
かわいい、よな。確かに。
立ち上がった途端すぐ隣を歩み始めた彼女を見下ろして、一瞬まんざらでもない雰囲気を味わってしまい、慌てて訂正する。
……だが、正直言ってしまうと……だな。
宮崎という人間は、俺にとって1番苦手な部分も持っていれば、1番ラクな部分も持ち合わせているのだ。
鬱陶しいと思うときもあれば、楽しいと感じるときもあって。
たとえ何かをしなくても、一緒にいるとそれだけで会話も何もかもが弾む。
進む。
と同時に、驚くほど実は自身もリラックスしていて。
もしかすると、実は単純な相性だけを考えれば、悪くないのかもしれないなと少しだけ思いすらした。
……ただ、近すぎるから反発する。
似ている部分があるから、互いに許せない部分もある。
それで、あんなふうにいつも言い争うんじゃないか。
などと、最近になって考えるようになってしまった自分が、いるのも事実。
一緒にいると、気を遣わないため余計なことを考えなくて済む。
それは間違いなく、プラスの部分だ。
だが、時に惜しげも遠慮もなく見せつけられる女の部分に戸惑い、慌て、苦しむのは……如いて言えばマイナスの部分か。
そのふたつを天秤にかけてみたとき、果たして相殺されるのか、それとも――どちらか一方が勝つのか。
今の段階では、勝敗は出ない。
……わかっていた、のかもしれない。
わかり始めてしまったのかもしれない。
あまりにも、ここ数週間の間で密になりすぎたから。
近づきすぎたから。
これまでは、一定の距離を保っていられたのに……な。
その距離があったから、苦手な面を見せ付けられてもそれが当然だと思えたのに…………なのに、どうだ。
今では、間違いなく少し前の俺なら拒否反応を示したであろう宮崎の態度や仕草に対しても、一種の慣れのような受容が見られるじゃないか。
「…………」
怖い、のに変わりはない。
だが今は、その恐れが何に対してなのかと聞かれると正直、困る。
少し前までならば、間違いなく宮崎本人だと断言していたのに、今では断言どころか、そう言うことに少しだけ抵抗もあって。
ダメなんだ。
……それは、わかっている。
だから、近づかないほうがよかった。
なのに、なぜ? どうして、わざわざ自分から歩み寄ったのか。
知ろうとしてしまったのか。
今となってはあとの祭りだが、今からでも遅くはないことを十分知ってもいる。
そう改めて思いながらも、数歩先を楽しげに歩く宮崎を眺めて、思わずため息が漏れた。
「てゆーかセンセってさ、部屋が煙草クサいの自覚してる?」
「……前も言われたな」
「そーだっけ?」
「そうだろう」
空になったマイルドセブンの箱をひねり潰してゴミ箱に入れた途端、宮崎が首をかしげた。
途端にさらりと髪が流れ、色白い首筋が少しだけ目に入る。
……いや、だから。
俺は別に、そんなことで動揺しないんだろう?
一瞬どきりとして鼓動が大きく鳴ったのを感じ、やはり自然と目が逸れた。
「それじゃ、スーツが煙草クサいのも気づいてる?」
「……何?」
「あ、気づいてなかったでしょ。やっぱりねー」
少しだけいたずらっぽく笑った宮崎が、トンっと足を揃えてこちらを振り返った。
ふわりとカールしている髪がなびき、笑顔と一緒に目に残る。
小さなため息も、何もかも。
すべてに、つい喉が鳴った。
「……そう……なのか?」
「そーよ。だから、センセの授業のあとは、席が前の子だけいっつも『煙草吸いたくなる』って」
「う」
「……あーらら? やっぱ、そーゆーのって生徒だけのせいじゃないんじゃないのー?」
間近でくすくす笑った宮崎を見ながら、思わず言葉に詰まる。
……そうか。
確かにそういえば、スーツのまま煙草を吸うことも多い。
部屋や車に匂いがつくならば、当然のように服や髪にまで匂いがついて当然か。
もっとも、1日に何箱も空けるような吸い方はしていないが。
「ね。そー思わない?」
「…………確かに、まぁ……」
「でしょー? やっぱ、そーよねー。うんうん。ちゃんと認めるっていうのも、大事だと思うなー」
まるで鬼の首でも取ったかのような勢いで、宮崎が突然嬉しそうな顔を見せた。
にんまり笑ったまま何度もうなずき、すぐ隣を誇らしげな顔で歩く。
…………。
………………。
「……って、待て」
「え?」
よくよく考えるまでもなく、腑に落ちない点がひとつ。
「どうして、未成年のお前たちが吸いたくなるんだ?」
「う……!」
「しかも、なぜ公言できるんだ? それを。え? ……宮崎。その辺もう少し詳しく聞きたいんだが」
「やっ、え、ええーと! その……ま、まぁいいじゃない! ね!」
「っ……待て!」
「いーのいーの! やっぱ、私の勘違い!!」
「誤魔化すんじゃない!!」
はっと気づいたようにこちらを振り返り、先ほどまで浮かべていた余裕綽々の顔から一変させる。
だが、それこそ突然。
俺の手をつかんだかと思うと、振り返りもせずに大橋のほうへと駆け始めた。
「いーじゃない! ね? 行こっ」
「ちょっ……待て!」
だが、そのときの彼女の手の温かさがやけに印象強かった。
不覚にも、手のひらへ伝わったその温もりが、奥深くまで心地よく染み込んでしまっていて。
とはいえ、さすがにそんなことはかなりあとになってから気づいたものだが。
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