「わぁ……ね、見てー! かわいい!」
 どれくらいの間、手を掴まれたままあちこちを引きずられたことか。
 ようやくある店のウィンドウで、やっと解放された。
 ……もちろん、ほっとするのみ。
 それ以外の感情など、抱くはずない。
「えへへ。見てこよーっと」
「っ……だから! 服を引っ張るんじゃない!」
 ようやく解放されたと思った途端、今度はシャツを掴んで歩き出した。
 お前は子どもか……!!
 ため息をつきながら仕方なくそちらへ向かうも、眉が寄った。
「へぇ……わ、すごいたくさん」
 彼女に続くと、そこは様々な色が溢れているアクセサリー専門店のようだった。
 といっても、宮崎がすんなりと踏み入れるような場所。
 間違っても、『高級』という冠は付きそうにない。
「……かわいい」
 店内をぐるりと見回してみると、やはり宮崎と同じような年代か……はたまた少し上か。
 そんな女性ばかりが、多く目立つ。
 今日が休みというのもあるんだろう。
 女性たちの隣には、揃って同じような態度を見せている男性陣も多くいた。
「ね。コレかわいくない?」
「……それはどっちの意味なんだ」
「え? 何が?」
「いや、だから……」
 普段から思うんだが、最近の連中の言葉に対してどう反応していいものかと一瞬悩む。
 イントネーションで決めればいいとわかってはいるが、つい……言葉の意味を優先してしまいがちで。
 ……まぁ、こんな悩みはこの子たちにしてみれば、どうでもいいことに分類されるんだろう。
 年が離れているのもあって、いろいろとギャップを感じる。
「はい」
「……は?」
 腕を組んで小さなため息をついた途端、宮崎がネックレスを俺に渡した。
「なんだ。買わないぞ」
「違うってば。コレ。付けてくれない?」
「…………何?」
 どうせまた買わされるんだろうと身構えたものの、どうやら今回は違うらしく。
 指にかけて差し出してきたそれを見つめたまま、わずかに首をかしげる。
「……不器用なの」
「誰がだ」
「だからっ、私が!」
 別に、そこまで怒ることじゃないだろうとは思うが、宮崎にとってはよっぽど悔しかったらしい。
 唇を尖らせながら『悪かったわね』と何も言ってないのに文句を言われ、言葉に詰まる。
「だからっ! その……髪を押さえてくれるか、付けてくれるか。どっちかやって」
「……お前な。それが人にものを頼む態度か?」
「…………むぅ」
 正直言えば、すんなり受け入れられない理由はもちろんほかにある。
 ……苦手なんだ。宮崎は。
 だからこそ、そんな……その、なんだ。
 まるで、周囲の連中がやってるような『ごっこ』的なものを自分たちがするのかと思うと、どうにもこうにも先にまず『違う』と思ってしまって。
「………………」
 付けてやる、そのやり方は当然わかる。
 だが、果たしてそれを俺がしていいのか……というか、今、俺たちのような関係の人間がやっていいのかどうかと思うと、なんだか少し違う気もする。
 ……遠慮とは少し違うな。
 まあ、似たようなものだが。
「……やってくれないの?」
「う」
「私……付けてみたいのになぁ」
 しゅん、と少しだけ俯いた宮崎が、声の質を変えて瞳を伏せた。
 ……出たな、魔性宮崎。
 もじもじと手を顎の下で弄りながら、唇を結んで……ゆっくりと俺を見上げる。
 潤んだ瞳を、上目遣いで。
「……わ……」
「わ?」
「…………わかった」
 ひく、と口元が少しだけ引きつる。
 だが、ため息交じりにうなずいた途端、その態度を一変させた。
「わーいっ。ありがとー」
 にぱっと微笑んだかと思うと、押し付けるようにネックレスを俺に向けてきた。
 今、目の前にいた“女”はいない。
「……はぁ」
 意志が弱いというか、根本的に宮崎が苦手というか。
 しかもなぜか、宮崎はそんな俺の弱味を握り締めているような気にもなるからタチが悪い。
 ……参ったな。
 いろんな意味で、これから先彼女が卒業するまでは、前途多難だと予感する。
「えっへへ。よろしくね」
 チェーンのホックを外してから1度彼女の前へ通し、改めて手元を首の後ろへ回す。
 少しだけ俯きながら、長い髪をひと纏めにしている彼女。
 ……その、うなじ。
 先ほども見た白い肌に変わりはないのだが――……なぜ、こうもどきどきするんだ。
 なんてことない、ただネックレスを付けてやるだけだというのに、いろいろと余計なことを考えてしまいそうになる。
「ほら」
「わーい、ありがとーございます。……へぇ……ね、ね、どうかな?」
 弄っていたホックから手を離すと、途端に髪を下ろして振り返りながら笑った。
 だが、その笑顔は普段彼女が向けてくるものとは明らかに違って。
 どこか、少しだけ幼さが残っているように思えて、だからこそまっすぐ見れなかった。
「ねぇ。どお? かわいい?」
「あ。……あぁ……まぁ、そうだな」
 ネックレスが、な。
 そう付け足してやるつもりでいたのに、くるっと身体ごと向き直られた途端、何も言えなくなる。
 かわいいとか、かわいくないとか。
 そういう単純なことじゃなくて。
 ……なんていうんだろうな……妙に、しっくりしているとでもいうか。
 これまでも十分華があったのに、そこへ確かなプラスアルファがなされたように感じた。
「……うん。かわいい」
 棚に置かれていた鏡へ自身を映しながらうなずいた宮崎が、指先でネックレスを弄った。
 ピンクの淡水パールが、かすかに揺れる。
 単体でも、いかにもかわいらしい雰囲気があるのに、それを付けている人間によって相乗効果が得られるとでもいうか……なんというか。
「…………っ」
 まじまじと鏡越しに見つめていた自分に気づき、慌てて視線を逸らす。
 ……その、鏡に映っていた表情。
 普段とまるで違う、落ち着いた……素直そうなかわいい顔。
 そんな一面を、見てしまったせいで、妙に落ち着かない。
「……ん。外してくれます?」
「なんだ。買わないのか?」
 しばらく鏡を見ていた宮崎が、顔だけをこちらへ向けた。
 傍目からも、よっぽど気に入ったであろうことはわかる。
 だからこそ……正直に、驚いた。
「だって、高いんだもん」
「高い、って……3,800円って書いてあるぞ」
「……あーあー。何もわかってないなぁ」
 少しだけ拗ねるような顔をした彼女へ、ホックの部分についていた値段を告げる。
 が。
 途端、機嫌が悪くなったらしい。
 唇を尖らせただけでなく、思い切り眉まで寄せられた。
「あのねー、知らないんですか? 女子高生にとっての4000円って、すんごい高いんですよ?」
「……そうなのか?」
「当たり前でしょ!!」
 ……本当か……?
 こちらとしてはまったく腑に落ちないだけに、相槌を打てるはずもなく。
 かといって、再度外してくれと言われた以上、そうしない理由はない。
「……それにしてもお前は、本当に不器用なんだな」
「うるさいなぁーもー! ほっといてよね」
 髪を再度両手で上げたのを見てから手を伸ばすと、やっぱり不機嫌そうな声が返ってきた。
「っ……ぅ……」
「……? なんだ。動くな」
「や、だっ……だって…………っん、あはは! やだ、くすぐったーい!」
「あ、馬鹿!」
「あはっ、やっ……ん、やぁもー」
「ッ……そういう声を出すんじゃない!!」
 ひくんっと肩を震わせたかと思いきや、途端に身をよじった。
 揚げ句のはてにとんでもない声まで出され、こっちだって平静ではいられない。
 そうだろう?
 なんせ、つけるときとは違って、その……外すときは、どうしたって指が彼女の肌に当たるんだから。
「……まったく」
「だって、指がくすぐったいんだもん」
「じゃあ自分で外せばいいだろう」
「だから、それは無理なの。……あ、何? 今のってもしかして、嫌味?」
「違う」
 背中ごしのやり取りだからこそ、正直助かった。
 間違いなく今、顔が赤い。
 多少耳が熱いような気がするから、間違いない。
「……ほら。取れたぞ」
「ありがとーございます」
 外してやったネックレスを渡すと、両手のひらを上に向けながら受け取った。
 ……が。
 やはり、その目は『いらない』などと言っておらず。
 名残惜しそうに見つめてから、ようやく元の場所へかけ直すまでにそれなりの時間を要した。
「いーですよねー。時給何千円って人はー。……時給1500円だって、私には無理なのに」
「……まぁそれは仕方ないだろうな。といっても、俺はこれまで2000円以下の仕事をしたことはないが」
「…………」
「……なんだ?」
「何じゃない。……今の発言、ほとんどのバイト経験者を馬鹿にしてる」
「……いや、そうは言ってもだな。実際にしたことがな……」
「はいはいはいはい」
 途端に不機嫌そうな顔をした彼女を見ながら、正直に困った。
 ……そうか。
 いや、まぁそうだろうな。
 単に俺は高校時代バイトなどしたことがなかったから、わからないだけで。
 大学に入ってからも、家庭教師しかやらなかったし。
 ……まぁ、確かに。
 ある意味、恵まれすぎている待遇ではあるんだろうが。
「あーあ。私もそーゆーブルジョア発言してみたいなー」
「待て。別に、馬鹿にしたつもりは……」
「別にいーもん」
 ふーんだ、と付け加えながら背を向けて、店を出ようとした宮崎。
 ……だが、やはり視線は俺ではなく、先ほどのあのネックレスを見つめていて。
「そんなに欲しいなら、買えばいいだろう?」
「だからー。んー……欲しいけど、バイト代貯めてからまた来るからいいってば」
 今月、ちょっと遣いすぎちゃったんだよね。
 苦笑を浮かべてからぺろりと舌先を見せた彼女を見つつ、やはりまた視線が逸れる。
 ……なんでコイツはこうも簡単に自分をさらけ出すんだ。
 情けなくも喉が鳴って、何も言えなかった。
「さーて。次はどこ……っ……え……」
 両手をぷらぷらさせながら外へ出ようとした、彼女のその手。
 無意識というにはまだぎこちないものの、つい引き止めるように掴んでいた。
「……センセ……?」
 驚いた顔でこちらを振り返った宮崎と目が合った途端、反射的に手を離し、小さく咳払いをする。
 ……こんなハズじゃなかったんだがな。
 よほど、宮崎に感化でもされたのか。
「今度、なんて言っていたら次に来たときにはもうないかもしれないぞ」
「……でも……それは、それで……運命っていうか」
「諦められないんじゃないのか?」
「っ…………それは……」
 別に、そんなことを言うつもりなどなかったのに、なぜか口をついて出て。
 ……らしくない。
 そう。宮崎らしくなかったから。
 だから……つい、手を掴んだりまでして引き止めたんだろう。
「あ……」
「これだな?」
「……う……うん」
 手を引いたまま店内に戻り、先ほどのネックレスを指先で取る。
 ……どうしたんだろうな、本当に。
 らしくないといえば、よほど俺のほうが、らしくないのに。
「え、ちょっ……! だから、それは……」
「気に入ったんだろう?」
「でもっ……! ねぇ、待って! 私そんなつもりじゃ……!」
 つまんだままレジへと足を向け、財布を取り出す。
 もちろん、最初からこの前と同じようにねだられていたら、こんな真似はしなかった。
 それは、間違いない。
 だが……なぜだろうな。
 人間、予想と反対のことをされると、ひどく気になるようだ。
「あのな、宮崎」
「……え……?」

「社会人にとっての4,000円は、大したことないものだ」

「っ……」
 レジへ置きながら、自然と口元が緩む。
 ……こんなふうに、『笑う』ことをしたのはいつ振りか。
 そう考えなきゃいけないような人生を送ってばかりだということは、実はとても恥じなければならないのかもしれない。
「包装は?」
「え?」
「してもらうのか?」
「あ……えっと……いらない、けど……」
 ハサミを取り出した店員にそのまま告げ、支払いを済ませてから先ほどと同じようにネックレスをつまむ。
「ほら」
「……あ……」
 指先に引っかけたまま、目の前へ。
 我ながら、不器用というか……なんだろうな。
 妙なところは、慣れてないとでもいうべきか。
「……ありがとう……」
「え……?」
「…………すごい嬉しい」
 まさに、その言葉どおりに。
 宮崎は両手でそっと受け取ると、大事そうに眺めながら俺をまっすぐ見つめた。
 ……その、笑顔。
 間違いなく向けられた、彼女の微笑み。
 それは、普段とはまるで正反対の、屈託のないかわいらしいものだった。
「ありがとう」
「……え。……あ……ああ」
「ずっと……絶対大事にするから」
 こんな一面もあったのか。
 改めて“宮崎”という俺の中にある人間像を書き換えてしまいそうになる、出来事。
 だがコレは、予想以上に俺の中へ大きな塊となって残っていたことに、あとあとになってから気づくことになる。


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