「……うわー。すごい混雑」
「まぁ、土曜の夕食時ともなれば混まないはずはないだろう」
 冬瀬から果てしなく離れた街にある、ファミレス。
 そこのソファに腰かけながら順番待ちを始めた途端、宮崎がため息を漏らした。
 来たときと、同じ。
 ……いや、もう少し酷かったかもしれない。
 まず、アウトレットを出てからインターの入り口までの道のりで、長い列が為されていた。
 入り口での渋滞ならまだしも、そこへ辿り着くまでの渋滞とあってはETCもまるで役に立たない。
 そのとき、まったく動かない車の列を眺めていた宮崎が、面倒臭そうに言ったのだ。

 『だったら、箱根経由で帰ればいいじゃない』と。

 …………さて。
 どうしてあのとき『それもそうだな』とハンドルを左に切ったのか。
 どっちみち、混んでいることを考慮すれば、箱根経由で帰ろうと高速で帰ろうと、同じようなはずなのに。
 ……いや。
 もしかしたら、待ってでも高速を使ったほうが早かったかもしれない、などと今になって思う。
「……お腹空いた」
「まぁそうだろうな」
「うー……。早く食べたい……」
「お前は子どもか」
 順番待ちをしている客は、当然ほかにもいる。
 なのに、なぜかカップルばかりだというのは、ある種の宿命でもあるのか。
 ……まさか、自分も彼らと同じ客層になることがあろうとは、な。
 普段、男同士でしか入らない店だけに、隣に宮崎がいるのが少し不思議な感じだ。
 と同時に、初めての相手がコイツじゃなくてもとは思うが。
「……え?」
「いや。……別に」
 ふと隣を見ると、距離を空けずにぴったり座っている宮崎がいた。
 不思議そうな眼差しで、まったく何も考えてなさそうな……そんな、普通の顔。
 ……普通、なのか。コレが。
 これまでは、距離があったのが絶対だというのに。
 なぜ、今に限ってこうもべったりとくっ付いているのか。
 …………密着しすぎだろう。間違いなく。
 混んでいるから、というには理由があまりにもチープで。
 しかも、今になって気づいてしまったからこそ、途端にどくどくと脈が速くなる。
 失敗したな。
 余計なことに、気づかなければよかったものを。
 というか、アレだ。
 相手が宮崎だと意識しているから、何もかも面倒な考えに辿りつくんだ。
 隣にいるのは、妹。
 ……そう。
 年の離れた1番下の妹だと思えば、まぁ、それなりに――って、なるはずないな。
 俺の妹は、宮崎とは正反対の性格で、正反対の格好をしている、まったくもって意識などするような相手ではない。
「……はあ……」
「何? どしたの?」
「いや、いいんだ。……ほっといてくれ」
 情けなくも自分で自分にツッコミを入れてしまい、激しい自己嫌悪に陥った。

「2名様でお待ちの、高鷲様ー」

「……ん?」
「あ。はーい」
「それでは、ご案内いたします」
「お願いしまーす」
 ……高鷲。
 その苗字は、間違いなく自分のものだった。
 だが、待て。
 店に入ったときは確か、宮崎が名前を書きに行ったはずだが?
「はー。やっと座れたぁ」
「……おい、宮崎」
「ん?」
「どうしてお前が、俺の名前を書くんだ?」
 当然といえば当然の質問だろう。
 だが、店員から受け取ったメニューを開きながら俺を見た顔は、ものすごく呆れているかのようなものだった。
「……もー、わかんない人だなー」
「何がだ」
「あのねー。フツーは、男の名前を書くモノなの」
「……そうなのか?」
「そーでしょ。フツー」
 やたら連呼される『フツー』とやらが、俺にとってはnotを頭に付けたくなる。
 そもそも、そのフツーが俺にはわからない。
 まぁ、別に恥ずべきことでもなんでもないが。
 というか、逆にお前はずいぶんとファミレスが似合うな。
 ある意味で感心する。
「さーてと。何食べよっかなー」
「……………」
 相変わらず、食い気か。
 メニューをぺらぺらとめくりながら見せるのは、やけに楽しそうな顔。
 ……どうやら、よっぽど食べるのが好きらしい。
 いや。もしかしたら、執着心なのかもしれないが。
「ん。きーめたっと。……で? センセは?」
「あ? ……ああ。そうだな……まぁ……これといって特別食べたいものもないが」
 ぺらぺらめくってみたところで、どれもこれも安っぽいものばかり。
 ……まぁ、仕方ないのだが。
 そもそも、クオリティがどうのという店でもない。
「いいぞ。呼んで」
「……もー。自分で押せばいいじゃない」
「押したいんだろう?」
「ぅ。……ち……違うわよ」
 とか言いながら、なんだその反応は。
 『バレた』と言わんばかりの顔をしながら、しっかり指をベルに乗せているお前が言うセリフじゃないだろう。
「…………」
 こうして見ていると、子どもだな。本当に。
 まぁある意味、観察という意味で楽しめるといえばそのとおりだが。
「お待たせいたしました」
「えっと、このキノコとグラタンのビーフシチューを、ドリンクバー付きで」
 ……なんだそのけったいなメニューは。
 ビーフシチューなのかグラタンなのか、どっちかにしろ。
 などと一瞬思うが、口には出さない。
「これを」
「あっ、はい。マグロカツの大名御膳ですね」
「あれ? ドリンクバー付けなくていいの?」
「……あー……そうだな。それじゃ、それを」
「かしこまりました」
 メニューを指差して告げた途端、向かいに座っていた宮崎がまだ覗いていたメニューから顔を上げた。
 正直、別にそこまで飲みたいモノもないんだが。
 ……まぁいいとしよう。
「あ。それと、食後にチョコブラウニーパーフェクトサンデーをお願いします」
「かしこまりました」
 ……だから、なんなんだそのお前が頼むけったいな名前の食べ物は。
 どんなものが運ばれてくるのかまったく予想できず、またやはり眉が寄った。
「お前は、本当によく食べるな」
「え? だって、お腹空いたんだもん」
「……子どもと一緒だな」
「うるさいなーもー」
 下がった店員を見送ってから、頬杖をつくと瞳が細まった。
 だが、まるで心外だとでもいわんばかりの顔をした彼女は、ソファへもたれるとスマフォを弄り始める。
「……なんなんだ、それは」
「ん? コレ?」
 じゃらり。
 そんな音が聞こえてきそうなほど、見た目がかなりごてごてとしているスマフォ。
 ヘンというか……原形がわからないな。
「………………」
「………………」
「………………」
「……もーー!!!」
 別に、宮崎本人を見ていたわけじゃない。
 だが、急にこちらを睨んだかと思いきや、すぐに立ち上がって――どこかへ。
「……おい?」
「ドリンクバー!」
 どうして怒っているのか、まったく理由がわからない。
 だからこそ、普通に理不尽だと感じる。
 ……ただ単純に、使いにくくないのかと思っただけなんだが。
「…………」
 改めて、女という生き物はよくわからないと心底思った。
 まぁそもそも、宮崎だからよくわからないんだが。
「はい」
「ん? ……ああ」
 しばらくして、宮崎が席へ戻って来た。
 手には、ふたつのグラス。
 ……なぜだ。
 特に頼んでないにもかかわらず、普通に手が伸びたのは。
「っ……なんだこれは!」
 ごくり、とひとくち飲んだ瞬間むせるかと思った。
 透明の液体が入っているグラスを覗いてみるものの、自分が予想していなかった味がして、脳のほうが驚く。
「え? 何って?」
「お前は……また何かしたのか!?」
「ひどいなー。せっかく、特製オリジナルスカッシュを作ってあげたっていうのにー」
「頼んでないだろう!」
 まずいとかうまいとか、そういう問題じゃない。
 予想してなかった味。
 だから、そんな反応をした。
 ……ただ、それだけのこと。
 だが宮崎は平然とした顔のまま、こくこくと飲み始めた。
「おいしいじゃん」
「そ……いや、だから。なんなんだこれは。え? 何を入れた?」
 不服そうな、不満そうな。
 そんな表情をされ、一瞬躊躇する。
 とはいえ、これまでよりかはずっと慣れた『宮崎』という対象物。
 それだけに、多少立ち直りも我ながら早かったように思う。
「リキッドレモンと、ガムシロと、炭酸水」
「……は?」
「だから、作ったって言ったでしょ? 普通にボタン押して出てくるジュースじゃなくて、ドリンクバーを駆使して作ったの」
 ドリンクバーの仕組みは、当然わかっている。
 だからこそ、思う。
 なんだ? その、『作った』というのは。
 というかそもそも、『炭酸水』ってなんだ。
 そんなモノ、どこを押せば出てくる。
「センセってさー、考えたことないでしょ」
「……何をだ」
「ドリンクバーで、何を飲んだら1番お得かってこと」
 なぜか少しだけ得意げな顔をした宮崎が、ふふっと笑いながら指を頬に当てた。
 つつっとそれが唇まで動き、一瞬どきりとする。
 だが、今だけはいつものような、いたずらっぽいクセのある雰囲気ではなく。
 年相応の女子高生らしい、単純なものしか感じない。
「私、ファミレスでバイトしたこともあるんだよね」
「……そうなのか?」
「うん。えへへー、結構かわいい制服着てたんだー」
 意外というか、なるほどというか。
 俺にとって宮崎はスタンドでのバイトという一面しか知らないからこそ、そういう情報はなんとなく新鮮な気がした。
 …………。
 ……って別に、そういう意味で言ったわけじゃないが。
「ってワケだから、別に毒とかじゃないから」
「…………ふむ」
 おずおずと手を伸ばし、再度グラスへ口づける。
 ……なるほど。
 確かに、そういう説明を聞いてからだと……なぜか、普通に感じられる。
 人間の感覚など、所詮はその程度か。
 そう思ってしまえば、我ながら切ない気もするが。
「なかなかおいしいでしょ? 甘くなくて」
「……まぁ……そう、かもしれないな」
「ふふーん」
「……っ……」
 不意に、宮崎が両手で頬杖を付いてから『でしょ?』と微笑んだ。
 真正面から惜しげもなくそんな顔を見せられて、視線が逸れると同時に少しだけ頬が熱くなったような気もした。


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