「あれ? みぃじゃん。何してんの?」
「え? あ、おはよう」
「おはよ」
仕方なく制服に着替えて、仕方なく学校に着いてすぐ。
昇降口で上履きに履き替えていると、すぐそこの階段をみぃが降りてきた。
「え? もしかして補習仲間?」
「もー。そんなわけないでしょ? 私は生徒会の手伝いだよ」
「……なんだ」
今年度初めの選挙で、すでに新しい生徒会執行部には移り変わっている。
けれど、何かと声かかるんだよね。
本来は、引継ぎが終わってるし私たちはもう受験生なんだから、そこまで面倒みたりしなくてもいい。
……のに、みぃは何かと相談を受けるたび、きちんと対応してあげていた。
その面倒見のよさが、やっぱり彼女が生徒会長を務めた理由なのかもしれない。
「っていうか、穂澄は補習なの?」
「らしいよ?」
「……もー。どうして疑問系かな」
「だって、そんなの聞いてなかったもん」
「穂澄らしいね」
彼女が抱えていたのは、前年度の決算関係がすべて挟まっているファイル。
……なるほど。
決算関連で何かあったか。
今年度の会計って誰だっけなぁ。
やっぱり、会計監査は前年度の執行部の面々も入れておいたほうがいいと思うけど、まぁ……私が口挟むのもどーかと思うから、しないけど。
「でも、補習ってお昼までだよね?」
「まぁね」
どうやら今日は英語だけじゃなくて数学も補習授業があるらしいけれど、私が対象なのは英語だけ。
だから、当然お弁当は持ってきてない。
「実は、お姉ちゃんからドリンクバーの無料券貰ったの」
「うっそ、ホント?」
「うん。だから、お昼一緒に食べに行かない?」
「えー、行く行く! やった、ちょーらっきー!」
ぴょん、と思わず飛び跳ねて彼女の隣へ行き、手を取ってぶんぶん振り回す。
すると、苦笑しながらも『わかったってば』とうなずいた。
「じゃあ、お昼までがんばってね」
「ん! ありがとー!」
やばい、ちょー元気でた。
足取り軽く階段に向かいながら、みぃに手を振る。
あー、私ってやっぱ気分にがっつり左右されるタイプなんだなー。
タンタン、とリズムよく1段飛ばしで階段を上がりながら、また笑みが漏れた。
「――……となる。ここに当てはまる単語が何かわかる者はいるか?」
現在、補習授業まっただ中。
手元には、いつものリーディングの教科書ではなく、彼お手製のプリントがある。
といってももちろん手書きなんかじゃない。
まるで中間テストを思い出させるような、プリントアウトされたキレイな字体。
はーふー。
私、これでも結構先生の字って好きなんだけどな。
黒板に書かれているキレイなアルファベットの並びを見ながら、頬杖をついて仕方なくシャーペンを握る。
……それにしたってさ、プリントの1番目立つところに『2学期中間考査 補習授業』って書かなくてもいいと思わない?
なんかもー、これだけで気分が滅入るんだけど。
「…………」
ちらりとあたりを見回すと、私以外に10人ほど生徒の姿があった。
けれど、みんな同じクラスってわけじゃない。
見たことのない顔もあったから、どうやら1組から9組までの中で選ばれた生徒ってヤツが集められてるらしい。
……って、9組から出てるのは私だけだけどね。
そういえば、担任の笹山先生も『お前は本当に、とんだ特進生だ』って泣いてたっけ。
「宮崎」
「え?」
きょろきょろしてたのが目立ったのか、ふいに名前を呼ばれた。
おかげで、知らない女の子と目が合う。
「あ、私?」
「お前以外に宮崎はいないだろう」
両手を教卓へついたままため息をついた彼が、背を正して黒板をノックした。
「ここ。何が入るかわかるか?」
「そこですか?」
ぱちくりしてから、首をかしげる。
書かれているのは、プリントとまったく同じ英文。
その真ん中にはご丁寧に四角がまっすぐな線で描かれている。
『He is ――――to eating Japanese food.』
答えは、“be accustomed to”。
“〜に慣れている”という、この間やったばかりの言い方だ。
“be used to”と意味は一緒だけど、今回は最初のほうを言わせたいんだろうなー。
……だけど。
「んー……?」
じぃ、と彼を見つめたまま首をかしげる。
その仕草に比例するように彼が口を開け、しまいには目を閉じてため息ひとつ。
うーん、その顔も結構嫌いじゃないんだよね。
うっかりにんまりしてしまいそうになって教科書を口元で隠すと、周囲からも小さな笑い声が聞こえた気がした。
「お前な……ついこの間やったばかりだぞ」
「えー、そうでしたっけ? うーん……ちょっとよく思い出せなくて……」
顎に人差し指を当てながら首をかしげると、肩から髪が流れた。
――……ところで、彼に視線を戻す。
すると、相変わらず慣れてないのか、こほんと小さな咳払いをしてから視線を落とした。
今、私が座っているのは前から2列目。
好きに座っていいと言われたから真正面を陣取ってやったら、ほかの子は私よりも2列ほど後ろの席にしか座らなかった。
へっへー。いい眺めー。
普段の授業中じゃまずありえない光景だけに、まるでマンツーマンの個人授業を受けているかのような感じで、かなり気分はいい。
「あー……では、ほかに。わかる者は?」
彼の問いに対して、教室は当然のように静まり返る。
真面目に授業を取ってる子は、さらりと答えられて当然。
でも、普段そうじゃない子ばかりが集まっているんだから、そうやすやすと手が挙がるはずはなく。
「……はい」
「…………え……?」
しょうがないなぁ、なんて思わずにんまりしてから手を挙げようとしたら、右後ろから小さな小さな声がした。
思わずばっちり振り向いてしまい、また目が合う。
……誰か、名前は知らない。
でも、ほんの少しだけ頬を赤くしながらも手を挙げていたその子は、彼が指名すると唇を噛んで立ち上がった。
「“accustomed”だと思います」
「よく覚えていたな。正しい」
「っ……ありがとう、ございます……」
気のせいなんかじゃない。
だって、正面を向いた私の目には確かに、彼が一瞬表情を緩めたのが見えたから。
「……ッ……」
ぐ、と胸の奥が詰まって、すごくすごく嫌な気分になった。
もちろん、そんなの自分勝手だっていうのはわかってる。
わかってるよ? もちろん。
だけど――……けど……っ……!
「では、この文章を別の言い方に書き換える場合――」
ぎゅう、と両手を握り締めたまま視線を落とすと、先ほど自分が思い浮かべたもうひとつの答えについて、彼が説明を始めた。
だけどもう、それどころじゃない。
……あんなふうに柔らかい表情したところなんて、初めて見た。
だって、私だってまだ……まだ、あんな顔で見てもらったことないのに。
なのに、なんであの子が?
どうして私よりも先に?
「ッ……」
どうしても悔しくて、なんだかすごく許せない気分で。
だったら最初からちゃんと答えればよかったのに、それをしなかったのは私――……ってことは、ちゃんとわかってるのに。
……なのに……っ。
「………………」
彼の声だけが響く教室内でひとり、授業の進み方とは関係なくシャーペンを走らせる。
このプリントは、最後に集めるとも言っていた。
だから、さらっと答えをすべて埋めてから、1番下の隅っこに走り書きを付け足す。
『どうせバカだもん』
いーだ、とあかんべをしているネコのイラストを書きこんでから手を離すと、シャーペンが倒れて予想以上に大きな音が響いた。
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