「ったくもー! なんなのよ!!」
 ダン、と勢いよく空になったグラスをテーブルに置いてから、頬杖をつく。
 さすがにもうジュースだって3杯目だし、しっかり今日のパスタランチを食べただけじゃなくて、デザートのチーズケーキまで平らげたから、お腹いっぱい。
 でも、腹の虫は治まらない。
 あーもー!
「別に、高鷲先生が浮気したわけじゃないんだから……」
「そうは言っても! なんかっ……なんか…………」
 だって、悔しかったんだもん。
 わかってるよ? そんなこと『大したことない』っていうのは。
 何も、彼があの子を抱きしめたわけでもなければ、心変わりされたわけでもない。
 ただひとこと、褒めただけ。
 正しい、って…………合ってる、って。
 だけど、これまでまったく表情が緩んだりしなかった彼が、柔らかい眼差しであの子を見たのが、なんだか許せなくて。
 ……私じゃない子なのに。
 特別優しくされたわけじゃなくたって、やっぱり悔しい思いはある。
「はー…………」
 ため息をついてから、手持ち無沙汰気味にグラスを弄る。
 すると、正面の瑞穂がにっこり笑って首をかしげた。
「穂澄、高鷲先生のこと本当に好きだもんね」
「っ……そ……れは……」
 唯一、彼女だけが知っている。
 高校1年の春、彼の授業を受けるようになってからずっと、私が好きでいることを。
 だから、先月あんな形で彼とキスすることになって、まぁ、その……いろいろあった、そのへん全部を知ってるのも、そう。
 みぃは、誰にも喋ったりしない。
 ずっと小さいころからの幼なじみだからこそ、彼女がどういう子で、どんな考え方をしているのかも、全部知ってる。
 だから、ふたりだけの秘密は割と多い。
「はーあ。……で? みぃはどーすんの?」
「え? 何が?」
「何が、じゃなくて。カレシよ、カレシ。聞いたわよ? この前、またアイツに告られたんだって?」
「……うん」
「諦め悪いわよねー。あんだけ断られてるのに、まーだ性懲りもなくっていうか」
 ストローの袋を両手でいじりながら、くるくると丸める。
 ちらりと彼女を見ると、緩く笑みこそあるものの、やっぱり困った様子で。
 ……あーあ。
 なんにも手伝ってやれない自分が、歯がゆくてたまらないけれど……どうしようもない。
 こればっかりは、自分で決めることだ。
「今度、私が言ってあげよっか?」
「え?」
「瑞穂には社会人のカレシがいるから無理ーって」
「っ……それは……ちょっと」
 ぺたり、とシートに背を預けると、目を見張ってからみぃが慌てて手を振った。
「あのね。知らないの? 口に出してると叶う、って魔法の言葉」
「え……?」
「叶わないから口にしない、じゃなくて。実現させるために、口に出すのよ」
 いつだったか、お兄ちゃんに聞いた言葉だ。
 ああなったらいいな、こうなったらいいな。
 そんなことばかり思い描いて画用紙に絵を描いていたら、6つ年上のお兄ちゃんが笑ったっけ。
 お金持ちになりたいなら、それを口にすればいいんだって。
 むしろ、もっと具体的に『何をどれくらい欲しい』って言え、って。
 あのときは、すごーい! さすがお兄ちゃん! って、目をキラキラさせたっけ。
 ……でも、実際それは今でも私の中に残ってる。
 だって、『口に出してたら叶った』んだもん。
 実体験がある以上、私にとってはなくてはならないおまじない。
「だから。ね? みぃもたくさん言いなさいよ。別に、誰かに向かって……とかじゃなくていいんだから。ひとりで部屋にいるとき、ぽつりと言ってもいいのよ。……ね?」
 両腕をテーブルに乗せ、にっ、と歯を見せて笑う。
 するとしばらくして、驚いた表情が彼女らしい笑みに変わった。
「ん。そうだね」
「そゆこと」
 みぃは今、恋愛よりも将来の夢のほうがずっとずっと割合的には大きく占めていることもわかってる。
 だからカレシが欲しいわけじゃない……っていうか、まぁ、単に彼女も私と一緒ってだけなんだよね。
 片思い中、なんだ。
 それも、叶うかどうかわからない……先の見えない、初恋が現在進行形。
 しかも、私より片思いの期間は長い。
 なんてったって、小学校のときからなんだから。
「そんだけ思ってたら、絶対叶うわよ」
「え?」
「私が保障する」
「っ……ありがと、穂澄」
 そもそも、こんだけかわいく笑う子を簡単に『無理。ごめん』って断る男なんて、そうそういないしね。
 いたら1発殴ってあげるから、堂々と出てきたらいい。
 ウチの学校の生徒会長で、みんなのリーダーで、男女問わず好かれ頼られている彼女が好きな相手は、この子が今こんな制服を着てこんな場所で笑ってることを、きっと微塵も知っちゃいない。
 だから――……もう、彼女は何年かあとの将来を見据えている。
 そのために、動き始めた。
 結果は、じきに出るだろう。
 “教師”になりたいという夢だけでなく、ずっと憧れ続けた人のそばに行ける日だって、そう遠くない。
「さーて。私もそろそろ本気で進路決めなきゃなー」
 グラスを持って立ち上がり、ドリンクバーへ向かう。
 11月に入ってしまった。
 すでに各大学の推薦入試志願は締め切られ、ぼちぼち試験が始まる。
 みぃだって、もうじき行われる七ヶ瀬大学の推薦入試を受けるひとりだ――……けど、私は違うんだよね。
 正直まだ、迷ってる。
 といっても、推薦入試はハナから受けるつもりはなかったから、実力でどうにかなる試験にしか目を向けてはいない。
 年を越せば、共通テストがある。
 その結果で――……将来を決めても、いいのかな。
「…………」
 なりたいものはある。
 けど、それでいいのか悩んでもいる。
 というのは、ここ最近出た悩み。
 夏休みが終わるまでは、それこそ微塵も迷うことなくストレートに目標へ向かってたはずなのに。
「…………ばか」
 炭酸水だけをグラスに注ぎ、立ち上る泡を見つめる。
 私をここまで迷わせて悩ませた張本人は、こんなこと微塵も知らない。
 ……当然よね。
 だって、何もかも私が勝手に影響されてるだけなんだから。
 

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