「どーせ、学校に報告するんでしょ? そんでもって、その日の内に親が来て即処分でしょ? 違うの!?」
 これまでは精一杯ドアを閉めようと引いていたらしいが、どうやら諦めたようで、ドアを開け放つと両手を腰に当てた。
 だが、どれだけ態度が大きかろうと身長差は大きい。
 仁王立ちしているつもりのようだが、部屋の中は丸見えというなんとも情けないことになっていた。
「だいたい、なんでもかんでも勝手に決め付けないでよね!! 独り暮らしって、自分で責任取らなきゃいけないことたくさんあるんだよ? やっと今年で1年経ったっていうのに、今さらまた実家から通うなんて……そんなのヤダ!!」
「……あのな、宮崎。そういう問題じゃないんだ。いいか? お前は今未成年で、親の監督下にあるんだぞ? そんな人間が独りで住んでてみろ。もし何か問題が起きたとき、きちんと対処できないだろう?」
「もう未成年じゃないし。18になったら事実上成人でしょ? 契約だって自分で結べるし、なんだってできるもん」
「……はー……」
 どこからくるんだ、その根拠のまったくない自信は。
 そういやコイツは、かなりの自信家らしいな。
 生徒会副会長として活動していたころは、あまりの傍若無人さに何人もの教員が悲鳴を上げていたのを目にしている。
 だからこそ、近づきたくなかったんだ。
 宮崎穂澄という人間は、とにもかくにも面倒くさいヤツだとわかっていたから。
「それに私、なんっかいも言うけどちゃんと自分で払ってるんだからね? 家賃も、光熱費も、食費も全部ぜーんぶ! 確かにまぁ、学費は親に出してもらってるけど……でも! なのに、なんで文句言われなきゃいけないわけ? なんで独り暮らしじゃダメなの? 私、これまで1年ずっと責任取って来たのに!」
「いや、だからそれはな?」
「わかってるわよ。どーせ、『成人年齢でもまだ高校生』だって言うんでしょ? 聞きたくないし」
 口を横に思い切り広げながら発音するさまは、まるで小さな子どものようだった。
 腕を組んだままため息をつき、ドアにもたれる。
 だが、宮崎は悪びれもしていない様子で、くるくると明るい色の髪を指先でいじり始めた。
 くるりとカーブを描く髪は、どう見てもナチュラルには見えない。
 コイツはいったい、どれほどの校則違反を犯しているのか。
 染毛とパーマ、そのふたつは見た目から間違いないだろう。
 そのうえ、独り暮らしと……バイト。
 ……ああ。頭が痛いな。
「……告げ口したら、バラしてやる」
「何をだ」
「夜中に、センセがウチの部屋に押しかけて来た、って」
「な……!」
「言いふらしてやるから!!」
 ようやく黙ったなと思っていたら、とんでもないことを言い出した。
 口ぶりからして、もしかしたら……本当にしでかすかもしれない。
 目は間違いなく本気で、自分のセリフを微塵もマズいとは感じていなさそうだった。
「学校に話したら、絶対許さないから!」
「…………」
「な……何よぉ。いい? 絶対だからね、絶対!! どんな手使っても、私はここを守るから!!」
 ぎゃあぎゃあと叫ぶ姿を見ていたら、だんだん何もかもが面倒になってきた。
 口を閉じたまま見下ろし、ただただわがままな言い分を右から左へと聞き流すにとどめる。
 女子というだけでもうるさくて面倒なのに、まさか宮崎をプライベートでも対応しなければならないとは。
 昨日の4時間目のあと職員室へコイツを呼び出したときは、こうなることなど想像もしていなかったのに。

「別に、学校へ話す気はない」

「……え……」
 はあ、とため息とともに呟くと、予想外のセリフだったのか、宮崎はぱちぱちと大きな瞳でまばたいた。
「なんで……?」
「俺としても、この事実をそのまま通告するのは、困る」
「……え。…………っ……まさか!!」
 まさか、引っ越し先にイチ生徒が暮らしていたなどと知られてみろ。
 ただでさえ面倒なことに変わりないのに、今回は相手が悪すぎる。
 そういう意味で言ったのだが、ぽかんとだらしなく口を開けていた宮崎は、何かとんでもない考えにでも至ったかのように『はぁっ!』と大きな声をあげた。
「ちょ……! センセ、私のこと好きなの!? っていうか、ストーカー!?」
「……何?」
「うっそマジでー!? きゃー! やだやだっ、それは、え……? えぇえ、マズいでしょ! ダメだって! ヤバイって!!」
 そうかそうか、そうだよ絶対!
 きゃいきゃいと独りで勝手に盛り上がりながら、宮崎がとんでもないことを口にした。
 いったい、コイツの頭の中はどうなってるんだ。
 『やだーもーぉ』とかなんとか言いながらばしばし叩かれ、思わず息がつまる。
 そういえば、世の中にはそういう輩もいるらしいが、俺にはまったくわからない。
 女子高生というだけでぎゃあぎゃあうるさくわめくしかできない種族の彼女らを、どうして恋愛対象として見るのだろう。
 ……いや、犯罪というレベルで言えば恋愛というよりも性欲としたほうが正しいかもしれないが。
 まぁなんであれ、俺にはまったく無縁のこと。
 年下というのも好きではなく、どちらかというと対等という意味でも同年代の女性を好むからこそ、宮崎の発言を鼻で笑うことも忘れていた。
 さぞかしおめでたい頭なんだろうな、コイツは。
 だから、俺のテストで平均点も満足にとることができないんだ。
「悪いが女子高生に興味はまったくない」
「えーなんでー? ガッコの先生って女子高生とか大好物なんじゃないの?」
「……なぜだ」
「だってほら、体育の影山とかちょー犯罪クサい顔でウチらのこと見てるよ?」
 ああ……影山先生か。
 思わず同意してしまいそうになり、慌てて首を振る。
 これでも同僚。
 うっかり俺が『そうだな』などと口にしてしまったら、間違いなく面倒なことに巻き込まれてしまいそうなので否定しておかねば。
 思っても口にしてはいけない。
 それが、子どもと大人の違いだ。
「え? 何これ」
「引っ越しのあいさつだ」
「……あいさつぅ?」
「っ……」
 ため息をついてから、手にした箱を突き出す。
 すると、それと俺とを見比べてから、くるくるとまた指先で髪をいじり始めた。
 途端に香った、甘ったるい香り。
 いかにも“女”を主張しているような香りで、ぞわりと背中が粟立つ。
 ……ああ、俺はやっぱり宮崎は苦手だ。
 同じ女子高生でもまったく平気な子は平気なのだが、特にこの宮崎は苦手だった。
 雰囲気が華々しすぎるのか、それともいかにもというくらいギャルと呼ばれる部類の人間だからか。
 ……まあなんでもいい。
 とにもかくにも、これ以上コイツに関わるのだけは御免だ。
「お前がここに住んでいることなど、知らなかった。……だから、今回は黙っておく」
「ほんとにぃ?」
「っ……うるさいな。本当だと言ってるだろう!」
 顎から唇へと人差し指が動き、たまらず視線が逸れた。
 わずかに光を反射した唇が、あまりにも艶やかに見えて。
 これがひと回りも年下の人間なのかと、改めて恐ろしくなった。
「とにかく! これは、別に……その、なんだ。だから、あいさつなんだ。ただの」
「なんの?」
「だから、引越しのあいさつだ。……その意味はわかるな?」
「…………え。引越しってどこに?」
 言うのも面倒になってきたが、説明しないわけにもいかないので、仕方なく方向を手で示す。
 この部屋の左側に位置する、角部屋。
 そこが、今日から俺の部屋になった……のに、まさかコイツが右隣の住人だとは。
 考えただけでも十分疲労感が増すのに、ドアから身を乗り出した宮崎はそちらを覗くと『えー!』と大きな声をあげた。
「いいないいなー! あの部屋って窓いっぱいあるんだよねー。明るいし、風よく通るし……えー。いいなぁ。ホントは、私も角がよかったのに」
 唇を尖らせて見上げられ、たまらず視線が逸れた。
 ……ああ恐ろしい生徒だ。
 授業中以外で関わることなど皆無だと思っていたし、実際そうだったにもかかわらず、まさかプライベートでもっとも関わってしまうことになるとは。
 ……神よ。
 これは試練とは呼べない仕打ちだ。
「ねぇ、今度遊びに行ってもいい?」
「なっ……ば、馬鹿なことを言うんじゃない!!」
「えー。なんでー?」
「当然だろうが! ……まったく!」
 普通の顔でとんでもないことを言われ、慌てて首を振る。
 だが、宮崎は『えーなんでよー』などと、まるで友達にでも言うかのような調子で続けた。
「いーじゃん、ちょっとくらい。ごはんごちそうしてあげるから」
「結構だ!」
「なんでー? これでも、料理結構得意なのに。彼女とかいないんでしょ?」
「うるさい!!」
「へーぇ。図星なんだぁ?」
「ッ……」
 にたり、とそれはそれは人の悪そうな……いや、性格が歪みきった顔で笑われ、思い切り奥歯を噛みしめる。
 これだからコイツは嫌なんだ。
 というか……ああもう面倒くさいな。
 別に、彼女がいないからなんだと言うんだ。
 思わず、『お前まだ彼女いねーの?』などと失礼極まりないセリフをつい先日も口にした友人の顔が浮かび、ため息が漏れた。
「うふふーん。そうなんだぁ。彼女いないんだーぁ」
「な……んだその顔は」
「べーつにぃ? なんでもないでーす」
 まるで弱点を見つけたかのように、宮崎がふるふると首を横に振った。
 動きに合わせるように髪が動き、また……あの甘い香りがする。
 ……たまらないな。非常に気分が悪い。
 まるで、宮崎という人間の気にあてられかのように、げんなりと身体から力が抜けた。
 コイツはきっと、世の中すべてのことを計算して生きているんだろう。
 先ほどまでとは違い、俺の苦手なものを早くも理解したかのように急に女っぽく振舞いだしたのを見て、鳥肌が立つ。
「じゃあじゃあ、これからはご近所さんとしてー。よろしくお願いしまーす」
「……な……」
「ねー? センセ」
 ふわり、とウェーブがかった髪を揺らしただけでなく、ワントーン上がった声に口元がひきつる。
 ……俺よ、どうしてこんな場所を選んだ。
 もっと違う部屋があっただろうに、なぜ……ここに決めてしまったのか。
「ばいばーい」
 振り返ることなどもちろんできず、菓子折りを押し付けてから即座に部屋へ戻る。
 そのとき、背後から鼻歌が聞こえてきて、ぞわりとまた背中が震えた。
 ……弱みを握られたのは、俺のほうなのかもしれない。
 先ほどまでとは、形勢逆転まさにそれ。
 玄関のドアを閉めてきっちり鍵をかけると、安堵からか後悔からか、大きな大きな息の塊が吐き出された。


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