月曜日が燃えるごみの日なのは、ここも前まで住んでいた地域と同じらしい。
さすがに引っ越し後すぐのゴミの日とあって、梱包していたテープや紐を片付けただけでもかなりの量が出たので、今日中に処分することができれば何よりも助かる。
……だが。
出勤の身支度を整え、指定ゴミ袋にまとめたゴミを手に階段を下りてみたら……すぐそこに、いなくてもいい人間がいてまたため息が漏れた。
どうして、こうもタイミングが重なるのか。
眠たそうな顔でゴミ袋を放った瞬間の宮崎を見てしまい、たまらず瞳が細まった。
「宮崎」
「うひゃぁわわ!?」
自分でも予想しなかった低さの声が出た途端、宮崎が飛び上がったように見えた。
両手を胸元に当て、慌てた様子で振り返る。
が、その顔はいつもとは違い、イタズラを見つけられた子どものような顔だった。
「なっ……なな、なっ……何よ朝から!!」
「お前、いつもそんなふうにゴミを出してるのか?」
「……違うもん」
どうせそれも口から出まかせなんだろう。
目を逸らして唇を尖らせたのを見て、呆れからため息が漏れる。
「もし、袋が破れたりしたらお前、掃除するんだぞ」
「知ってますよーだ」
ということは、もしかしなくても1度か2度は掃除した経験があるとみた。
それこそ、管理人に見とがめられたこともあったんじゃないのか。
『そんなヘマはもうしないもん』などと小さく聞こえた気がして、思わず目が閉じる。
……朝から頭が痛いな。
コイツがうちの学校の生徒でなければ、無関係を貫けるが……そうもいかないのが教員としての自分。
ああ、やっぱりコイツと関わるとろくなことにならない。
「お前、学校はどうするんだ?」
「だからー! これから行くんじゃない!!」
制服を着こそはしているが、もしかしたらサボるんじゃないかと思って聞いてみたところ、どうやらきちんと行く意志は持っているらしい。
ならば、よし。
スカートをなびかせながら振り返り、なぜかバッグをバシバシ叩いたのを見ながら、一応は納得しておく。
だが、だったらもう少し急いだほうがいいんじゃないのか?
ここから学校までは、バス1本では行けないはずだが。
「……あれ? え? 何、センセって車持ってるの?」
「当たり前だろう」
自分は当然バス通勤ではない。
すぐそこに停めておいた車へ近づき、開錠とともにドアを開ける。
と、なんともすっとんきょうな声が聞こえた。
「え? 何? ちょ、センセ! 私のこと乗せてってくれないの?」
「……何を言ってるんだお前は。当たり前だろう」
エンジンをかけた途端、ばっ、と車の前に飛び出してきた宮崎が、運転席へ回ってからべたりと窓に触った。
……お前な。
俺は車が汚れたくらいでぐだぐだ言わないからいいが、俺の知り合いに同じことしてみろ。
張り倒されるじゃ済まないぞ、おそらく。
いつだったか、降りるときにガラス面を触って閉めたことがあり、その際どうのこうのと言われたことを、今になって思い出した。
「えーだってさー、どうせ同じ場所に行くんでしょ? だったら乗せてってくれればいいじゃん」
「……あのな、宮崎。朝っぱらから馬鹿なこと言うんじゃない。……疲れるから、よしてくれ」
「えー!?」
というか、どうせ同じ場所に行くというくだりが、なんとなく飲み込めない。
その言い回しだと、まるで俺とお前が何か関係あるみたいに聞こえるじゃないか。
はなはだしく不快な言葉に、げんなりとまた胃が痛み始める。
……これ以上コイツに関わってはダメだ。
両手を腰に当てたまま唇を尖らせている宮崎を見ながら、ごくりと喉が鳴った。
「あっ!?」
バッグを抱えて視線を逸らした隙に、発車。
振り返ることはもちろん、各所ミラーで確認することもせず、前のみを見て進む。
これ以上、関わり合いになるのは御免だ。
ちなみに、今日とてアイツの顔を見なければいけない憂鬱な授業時間があるのだから。
……はあ。
大きなため息が出るのはいつものことだが……今日ばかりは意味合いがだいぶ違う。
あの宮崎と、ご近所さんになってしまった。
寝て起きても『夢だった』展開にはならなかった現実を、ほんの少しばかり呪いもした。
いつもと同じ時間に着いた、職場である神奈川学園大学附属高等学校。
教職員用駐車場へいつものように駐車して、いつものように職員室を目指す。
机の上に配られている書類を手にし、いつものように荷物を置く。
……が。
やはり昨日までの自分とは、心持ちがまったく違っていた。
「………………」
朝だというのに、まったくやる気が起きない。
これでは、不適格と呼ばれても仕方ないかもしれないな。
……いや、無論そんなことをほかの誰であろうと言わせるつもりはないが。
自分が不適格だといったら、ほかの人間はどうなる。
授業中寝ているクセに進級が絡むと泣きつくヤツや、他校の生徒にまで手を出す愚かな大人。
愚鈍だと言わずして、なんと言えばいい。
すべては何のせいでもなく、自分自身のツケが回って来ただけだというのに。
テスト期間が近づけば、それまで見向きもしなかった生徒が寄ってくる。
だが、口を開けば『範囲を細かく教えてくれ』だの『長文を教えてくれ』だの、自分の身の保身しか考えていない。
なぜ、もっと早い時期から来ない?
なぜ、『教えてください』と言えない?
質問があれば、すぐに来ればいいものを。
心底、どいつもこいつも浅はかなヤツばかりだと思う。
「…………」
そして、その中でもズバ抜けて愚かであろう生徒、それが1年のときからずっと教科担任として関わってきた、宮崎穂澄だ。
1年の初期も初期。
1学期の中間テストあたりまでは、それなりにやる気を見せていた。
無論、やる気と言ってもほかの生徒と同じレベルというまさに“並”。
別段、ずば抜けて目立っていた様子もなければ、突出して秀でていたわけでもない。
人並み。まさに、ソレ。
だからこそ、自分にとってもそこまで印象に残るような生徒ではなかった。
――……なのだが。
そこからきれいに、下り坂の一途を辿っている。
夏休み明けには、宿題を写させてもらっているところを目撃し、それから徐々に居眠りの回数が増えだした。
……そのたびに、何度も職員室へ呼び出したというのに。
まったく反省の色も見せなければ、努力するワケでもなく。
呼び出したところで、授業を聞いているのかいないのかわからないような毎日が、続いていた。
そしてそれは、きれいにテストの点数へも反映される。
……だが。
ほかの教科もそうなのかというと、それは違った。
宮崎は今現在特進科に属しており、成績も優秀。
明るい性格で面倒見もよく、教師からの信頼も厚い。
そのためか、俺には傍若無人な振る舞いにしか見えなかった生徒会副会長というポストも、推しに推されて……だったとか。
まぁ確かに、内面でなく外面に表れている部分だけを見れば、華やかな容姿に加えて、はっきりとした口調とよく通る声という、プラスな面も大きいのだろう。
彼女の周りには常に、男女問わず人が溢れているのをよく見かける。
……が、しかし。
英語――……でも、自分が受け持っているリーディングに関しては、軒並み成績も授業態度も劣悪だった。
どうしてそこまで悪いのかと、本人に聞いてみたい。
同じ英語でも、ほかの教師が受け持つ文法に関しては申し分ない成績だというのに。
だからこそ俺には、ほかの教師や生徒たちの目に映っている宮崎像とは、明らかに違うものが確立している。
テストの答案にも、空白が目立つ。
だが、書き込まれている答えは、すべてが正解。
……なんなんだ、アイツは。
宇宙人か。
新人類か。
不可解で、とにかく不可思議。
正直いって、宮崎のことだけは何を考えている生徒なのかまったくもってわからなかった。
「…………はぁ」
だというのに、まさかそんな生徒の隣に引っ越してしまうとは……。
正直、年上だろうが年下だろうが、いかにもという女は苦手で。
その中でも特に、宮崎のような花を背負ってそうな人間が、特に苦手だった。
長いまつげと、きらきら輝く瞳。
そして、いかにも誘うような唇で笑う。
もちろん、零れてくるのは甘ったるい猫なで声。
その態度で、いったいどれほどの男を騙してきたのかと考えると、恐ろしくなる。
……ああ、参った。本当に勘弁してもらいたいものだな。
これでもまだ、自分は教師という生徒より上の立場にいるから平静を保っていられるようなモノ。
万が一同僚や何かだったら、間違いなく距離を取って敬遠していたに違いない。
……苦手だ。
胃が痛む。
昨日の夜、宮崎の部屋で見せられた何気ない仕草が今でも目に焼きついて、正直離れなかった。
客観的に見れば、恐らく彼女はかわいいんだろう。
生徒の噂話でも、あの子の名前を耳にする。
教師受けも、無論よい。
……だが、一部の教師あたりからはいささか疑問の声もあがっているようではあるが。
疑問というよりは――……嫉妬にも似た、畏怖。
あんな小娘を恐れてどうするんだと俺は思うが、どうやら違うらしい。
噂でしか聞いたことはないが、皆一様に『あの子はすごい』と言う。
何がすごいかといえば、物怖じしない性格とでも言えばいいだろうか。
歯に衣着せぬ発言と、何者をも恐れぬ態度。
そのふたつが合わさったとき、あの子のすごさがわかる……とそう、口にする教師もいる。
みなが、口を揃えていう言葉。
それが『宮崎は、大したヤツだ』。
「…………」
とはいえ、当然のように俺にはまったくワケがわからない。
恐い? 大したヤツ?
いったいどこを見て、そう言うのか。
昨日と、そして今日。
限られた時間どころか数分しか学校外での宮崎を知らないが、それでも俺には不思議でたまらなかった。
……ゴミ捨てで注意されて顔を赤くするような小娘の、どこが畏怖に値するのか。
鼻で軽く笑い飛ばしてやりながらようやく始まった職員会議に背を正すと、改めて否定するべく首を横に振っていた。
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