授業妨害に対する、『ごめんね』。
 そして、恋愛妨害に対する『ごめんね』。
 ……だけど信じて。
 私、ゲームしてたワケじゃないから。

 つまんない、って思ったのはいつだっただろう。
 ……多分アレは、入学して最初の授業のときだったと思う。
 礼儀正しいとかっていうよりは、もっとずっとマニュアル人間的で。
 ほかの先生みたいに、新入生だからどうのなんて話を一切抜きにして、彼は普通に授業を始めた。
 ……普通、最初の時間は自己紹介とかどうのってあるじゃない?
 なのに、一切なしだよ? 皆無。

 ただひとこと、『リーディング担当の、高鷲だ』

 だけ。
 え? フルネームじゃないの? みたいな。
 まずそこでびっくりして。
 そしてついでに、愛想の“あ”の字も見せることなく淡々と授業を始めた彼に、一瞬口が開いた。
 だけど、真面目なんだよね。きっと。
 だって、次の時間からは名前と顔を一致させていたから。
 私も次の時間に顔を見て苗字呼ばれて、びっくりしたんだもん。
 イマドキ、こんな先生もいるんだーって。
 すごく意外だった。
 ……でも……それから、なんだよね。

 私の、一方的な片思いが始まったのは。

 先生なんて、まず絶対手に入らない対象だってことはわかってた。
 でも、その割に不祥事が多い職業でもあるよね。
 教え子に手を出しちゃったとか、援助やってたとか。
 ……だけど、彼だけはまずその可能性が絶対ない人だってわかってた。
 見た目からしてまず、頑固っていうか、真面目っていうか。
 とにかく、曲がったことは大っ嫌い。
 面倒なことにも、関わりたくない。
 そんな内面が外へ滲み出ているような人だから、まぁ……わかりやすくはあったけど。
 でも、だからといってイイ点を取っても褒められるワケでもなく。
 むしろ、『それが当たり前』みたいなことを言い出したから、そこで『あ、この攻め方じゃだめなんだ』ってわかった。
 だから、変えたの。何もかも。
 真正面を向くんじゃなくて、むしろ背中を追ってもらおうって。
 ……そしたら、大正解だったんだよね。
 面白いくらい、私のことだけ見てくれるようになったんだもん。
 間違いなく、彼は私にマイナスの印象しか抱いてなかっただろうけれど。
 ……でも、それでもよかった。
 私を見てくれた。
 関心を持ってくれた。
 それが何よりも、嬉しかったから。

 愛想のない、低い声。
 ……でも、それが好き。
 無愛想で、すぐ人のことを否定するような顔。
 ……だけど、そうじゃないと好きじゃないから。
 彼らしくもないから。
 好きだからこそ――彼にだけは、その姿勢を崩してもらいたくなかった。
 いつだって、ほかを寄せ付けないようなオーラがあって。
 まっすぐ背を伸ばして、誰よりも高い場所を見てて。
 いつでも自分が1番で、間違ってない。
 そんなふうに、何に揺り動かされることなく自信を持っている彼が、誰よりもカッコいいと思った。
 最初は、それこそ確かにヘンな人だな、って思った。
 いかにもキャリアっていうか、官僚っていうか。
 そっち向きで、教師なんて雰囲気じゃない。
 スーツ着て立ってたら、弁護士か医者か……はたまた検事か。
 とにかく、そっち系の匂いがぷんぷんしてた。
 いかにも、周りを馬鹿にしていそうな態度。
 ハナもちならないような、眼差し。表情。
 いつだって周りを見下していて、いつだって自分だけが特別なんだって思ってて。
 ……でも、だからこそ気に入ったんだもん。

 この人、本当は何を考えてるんだろう。

 淡々と授業して、一切話が逸れない。
 無駄なことも余計なことも話さず、だからこそ自分のことも一切喋らない。
 だから、本当にわからなかった。
 彼のフルネームを知ったのも、結構あとだったんだよねー。
 もしかしなくても、生徒の大半は彼の名前を知らないはず。
 ……だから、まだ『ドクターの名前ってなんていうんだろ』なんて言ってる友達にも、教えてあげない。
 だって私、すんごい大変だったんだから。
 持ち物にも名前なんて書いてないし、それこそ副担任にもついてないから調べようがない。
 …………だから。
 だから私は、なるべく職員室へ呼び出してもらえるように彼を仕向けた。
 それだけじゃ足りなくて、いろんな先生との繋がりも持った。
 さりげなく、彼の机を覗けるように。
 そして、限られている手がかりを、きちんと手に入れるために。
 だから……嬉しかったの。
 彼の名前がわかったときは。
 教務主任の先生の机の上に、ぺらっと置かれていた1枚の紙。
 そこに、くっきりとシャープな字で書かれていた。

 『高鷲里逸(リーチ)

 まさに、名は体を現す。
 見つけたときは、あまりにもそれっぽくて、笑いそうになった。

 彼ほど、温かみを感じられない人はなかった。
 表情も、見ることができるのは怒りと呆れくらい。
 口調もあまり抑揚のない一遍通りのモノ。
 合理的で、自己中で。
 まるで、人を人と思ってないみたいな態度。
 生徒に厳しく、同僚にも厳しく。
 見るからに、敵を多く作る人だなぁってこっちがヒヤヒヤしたほどだった。
 …………でも。
 だから、その顔の下が気になった。
 この人はいっつもこんな顔してるのかな、って。
 テレビ見て笑ったり、泣いたり。
 独りきりのときも、そういうのしない人なのかなって。

 だから楽しかった。

 違う顔や、態度を見たりしたときは。
 困ったような顔が見れたときは、それこそ勝った! って思った。
 だって、すごくすごく、嬉しかったんだもん。
 特別だって思いがすごく強くて、だからこそついついにんまりしてしまう。
 だから……どうしても、見たくなったの。
 彼が、誰かを好きでたまらなくなって、慌てふためくトコが。
 普段の、完璧な計算からは絶対弾き出せないような、必死にがんばる姿が。
 ……だって、そうでしょ?
 人生において何もかも、計算ずくめにできるワケなんて決してないんだから。
 恋愛は未知数。
 これだけは間違いなく、相手が存在しなきゃ成り立たない。
 彼にとって私は間違いなく、相容れない生徒だったに違いない。
 でも、それでもよかった。
 私だけが、特別になれたから。
 悪い意味でも、構わない。
 むしろ、そのほうがよっぽど記憶には残るでしょう?

 昨日の、帰り道。
 バス停から走って家に向かう最中も、彼だと車ですぐわかった。
 方向と、車。
 そのふたつから、『あ、センセだ』って。
 期待したって無駄だなんてわかってる。
 ……でも、疑わなかった。
 彼に違いない、って。
 絶対アレはそうだ、って。
 同じ車なんていくらでもあるし、本当に彼の車かどうかっていう確かな証拠もないのに。
 ……なのに、なんだかんだ言いながらも本当は少しだけ……心のどこかで、期待してた。

 『気づいて、止まってくれたらいいな』

 なんて、淡すぎる期待を。
 でも……ホント、優しいんだよね。
 迷惑この上ないって思ってるはずなのに、びしょ濡れの私を乗せてくれて。
 文句ひとつ言わず、責めもせず、駐車場から階段まで傘にも入れてくれた。
 ……だから、いけなかったんだよ。
 情けない話だけど、期待しちゃったから。
 もしかしたら彼も、私を好きになってくれたんじゃないか、って。
 ちょっとだけ、“生徒”じゃなく接してくれるんじゃないかって。
 特別なんじゃないか……って。
 そう思っちゃったから。
 ……自惚れてただけなのに。
 結局、そんな勘違いしてたのは私だけだったのに。
 なのに――……彼を悪者にして。
 すべて、彼のせいだと言って。
 ……本当にズルいのは、どっちよ。
 結局、彼を試すようなことして、傷つけた……だけなのに。
「……酷い子」
 でも、それでいい。
 だって、彼は先生で。
 私は、ただの生徒なんだから。
 彼にとっては、何百人もいるうちのひとり。
 彼の教師生活の中ですれ違う何千人といるただの教え子の、ひとりでしかない。
 手こずらせて、底意地が悪くて、ただただ問題ばかり押し付けてきた……迷惑この上ないヤツ。
 でも、それでイイんだ。
 だって私は、そうでなきゃいけないんだから。
 中立でいなきゃいけないから。
 ……先生だからって、遠慮しない人間。
 それが、宮崎穂澄なんだから。

 さようなら、でいい。

 改めてよろしく、じゃ格好がつかない。
 テストを白紙で出したこともあった。
 ノートを取らないから、提出は毎回拒否した。
 だって、机に置いてるのは1本のシャーペンと教科書だけ。
 よっぽどそれが、彼には奇異に映っただろう。
 そんな生徒はいない。
 彼が思っているであろうすべての可能性をやってみたんだから、当然だ。
 ……でもね。
 彼は知らないだろうけれど、私の教科書は決して人には貸せないの。
 センセは覚えてないでしょ。
 普段本筋から外れるような話をしないクセに、たまに英語の格言とか偉い人の話なんかを、授業に交えてしたことを。
 ……でもね。
 私は全部、ちゃんと覚えてるんだよ。
 教科書の余白なんてトコ、ないくらいいつもびっしり書き込んでるんだから。
 だって、当然でしょ?
 1番好きな人の、1番好きな授業だもん。
 聞き逃してるはずなんかない。
 ……寝てたりなんかも、しなかった。
 自習や、やった単元の復習。
 そして、ただの長文の和訳なんてとき以外には絶対に。

 だけどもう、それもおしまい。
 これからは、何を気にかけるでもなくまっすぐ行くって決めたから。
 ……おしまい、なんだもん。
 彼に見てもらうための演技も、計算も、何もかも、全部必要なくなっちゃった。
 あーあ、こんなラストなんて聞いてないわよ。
 洋画の恋愛は大抵ハッピーエンドじゃないの?
 さよなら、高鷲里逸先生。
 あなたにとって私は、ただの問題児でしかなかったでしょ?
 ……でも、それでまったく問題ない。
 私にとって先生は、そんな単純なモノじゃなかったから。

 バッドエンドでも、ありがとう、って言うね。

 きっと絶対、忘れられないけれど。


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