その日の放課後、緊急で職員会議が行われた。
 普段は顔を見ることもないような理事会の面々や、ぱっと見ただけでは判断がつかないものの、もしかしたら数名の議員もいたのだろう。
 校長や理事の人間が一様に頭を下げ、校長室へ迎え入れたのはこの職員会議の前だった。
 議題そのものは、直接指摘して挙げられなかったものの、ほぼ全員がわかっていたはず。
 なぜならそこにひとつだけ、空席があって。
 かつ、内容が内容だっただけに、幾人かの教師はまるで自分の予想が当たったと言わんばかりに、『やはり』といったどこか誇らしげな顔をしてすらいた。
「…………」
 そんな同僚のことを、冷ややかな目で見てしまった自分。
 それはやはり、あのときの宮崎のストレートな言葉があったから。
 ……本当だな。
 大人はずるくて、汚い。
 間違っているとわかっているのに、あえて指摘しない者ばかり。
 見て見ぬふりは、立派な幇助を意味する。
 なんだかんだと言い訳する連中もいるだろうが、そんなものは別の話。
 結局は、どいつもこいつもが生徒への危惧よりもまず、自分の保身に重きを置いていたようだ。
 ……だが、同じなんだろうな。
 宮崎にとって、今の俺は。
 きれいごとや正論ばかり並べ立ててみたところで、結局は彼らと何ひとつ変わらない大人であり教師だ。
 ……同罪、か。
 それもそうだ。……むしろ、当然。
 俺も結局、彼女の気持ちなどまったく考えなかった。
「…………」
 なんともいえない、あと味の悪さ。
 あの件以降の授業時間にも、宮崎に会うどころか見かけてすらいない。
 そして、当然のように……会議を行っている職員室にも姿があるハズなく。
 恐らくは第一人者であろうにも関わらず、一介の生徒にすぎないせいか終始彼女が現れることはなかった。

「…………」
 ――サイテー。
 気分が心底悪い。
 でもそれは、全部私がこれまで決めて通ってきた道だから後悔はしてない。
 ……してないわよ。後悔なんて。
 たとえ彼に見られて、すべてがバレた今でも。
 1年生の間で、何人かが着替えを覗かれたという被害が持ちあがった。
 それも決まって、教室じゃない場所での更衣。
 ……主に、体育館。
 しかも、その被害の大抵が授業中なんかじゃなくて、部活中である時間帯に集中していて。
 顧問の先生や担任の先生なんかっていう身近な人に相談したらしいけれど、どれもこれもはぐらかすような返事しかかえってこなかったらしい。
 ……だから、信用がどんどん逃げていくってことに、なんで気付かないのかしら。
 ホントに、大人は賢いんだか馬鹿なんだか、よくわからない。
 しかも、顧問も顧問よ。
 『もしかしたら』なんて予想がついてたにもかかわらず、放置よ? 放置。野放し!
 相手が自分より年上で、しかも定年間近だとかってゆーどーでもイイ考えを抱いてるから、放置したのかしら。
 どうせもうすぐ、学校から出て行くんだし、なんて。
 ……そんなの、全然根本的解決になってないっていうのに。
 なんでもかんでも、なあなあで済まそうとする大人のやり方は、やっぱりどうにもうなずけない。
 だけど、今回の影山についてはもう言い逃れはできないはずだ。
 多少なりとも理解のある高原先生に突き渡したし、何よりも、物的証拠だってちゃんと揃ってる。
 犯行現場を押さえたデジカメ然り、ヤツのスマフォ然り。
 ……でも、ホントありえないわよね。
 生着替えを、保存しておくなんて。
 ……あーもー、サイテー。
 ニヤニヤしながら動画を見てたのかと思うと、本当に気持ち悪くてたまらない。
 被害に遭った子たちだって、かわいそうすぎるし。
 できることなら、警察の取り調べとかでの必要最低限の時間がすぎたら即削除してあげてほしいと思う。
 ……あ。
 それ、ちゃんと頼んでおかなくちゃ。
「……ん?」
 なんだかんだで、遅くなった今日。
 ……って言っても、時間的には全然まだ余裕なんだけどね。
 どうせ門限なんてないんだし、家に帰ってもひとりだし。
 ――だけど。
 今日に限っては、どうやらそうも行かないらしかった。
「…………」
 何か用?
 そんな言葉をかけたくもない相手に遭遇して、内心もうため息しか出ない。
 執念深いとか、そーゆー問題じゃない。
 ……なんかもー、最低。
 やっぱり、事件を起こしちゃうよーな人だけある。
「宮崎。お前、ここにひとりで住んでるんだってな?」
「………………」
 愛想の“あ”の字も見せず、ため息をつく。
 性格が悪いというよりも、人としてどうなの?
 カワイソーな人なんだってことだけは、十分によくわかるけれど。
 教師になって、ウン十年。
 年数だけは人一倍だけど、中身は人として認められない。
 ……そりゃ、独身よね。絶対。
 てゆーか、そーゆー人だからああいう事件起こしちゃうんだろうけど。
 でもさ、フツーの独身だったらもっと上手な息抜き方法知ってるのが当然なんじゃないの?
 ウチの学校だって、まだ独身って人結構いるし。
 ……もちろん、男女問わずって意味だけど。
「お前のせいだ……!」
 どうしても上がらなければいけない、階段。
 だけど、そこを塞ぐように仁王立ちで立っているので、邪魔なことこの上ない。
 ……てゆーか、あんまし頭よくないんだろうなぁ。
 私だったら、報復するにしても絶対こんな場所選ばない。
 むしろ、学校内でひとりきりになったところを狙ったほうが、よっぽど効率イイと思うんだけど。
 ……やっぱ、アレよね。
 計画性がないっていうか、浅はかっていうか。
 そもそも、自分の失敗を棚に上げて、人のせいになんてしてる時点で愚かとしか言いようもないけど。
「お前のせいで、俺は……!!」
 ぎり、とそれはそれは悔しそうに歯を食いしばった彼が、今度は私を睨みつけた。
 ……でもさ、ちょっと待ってよ。
 悪いのはそっちでしょ?
 なのに、なんで私が責められなきゃなんないの?
 ……あーもー、サイテー。
 これだから、このテの事件扱うのは後々面倒くさいのよね。
 この人もやっぱ、ちゃんと監察つけてもらわなきゃ。
 理事長センセにかけあってみよう。
「何か言ったらどうなんだ!」
「言ってイイの?」
「なんだと……?」
 意外や意外、どうやらそんな余裕がまだあったらしい。
 ふぅん、と小さく呟いてから鞄を後ろ手に回し、そっとスマフォを取り出す。
 いざというとき、いくらでも対応はできる。
 保険であり、唯一のお守り。
 自分の身は、自分で守るしか方法はない。
 アパートはすぐそこ。
 この場所はそれなりに人通りもあるし、敷地内でアラート音鳴ったら、誰かしら……助けてくれるよね?
「サイテーね」
「っ……何……!?」
「てゆーか、自分でしたことの責任を自分で取れないなら、最初からするなって話」
「くっ……!」
 瞳を細め、短く笑う。
 アンタが悪いんでしょ?
 ほかの誰も悪くない。
 ……そう。
 悪くないのよ。誰も。
「社会が悪いとか、何が悪いとか。全部自分のせいなのに、周りが悪いみたいな言い方して。……そーゆーの、1番腹立つのよね」
「なんだと!?」
「自分のことくらい、自分でなんとかしなさいよ。……みっともない。それが大人ってモンなんじゃないの?」
 吐き捨てるように呟き、嘲るように笑う。
 すると、明らかに表情を変えた彼が、これまでとはまったく違う勢いで大またで歩み寄ってきた。
「っ……!」
「お前の……っ……お前に何がわかる!! 俺がこれまで、どんな思いして来たか! どんな……ッ……どんなにつらかったか!!」
 ぐいっと乱暴にリボンを掴まれ、否応なしに距離が狭まった。
 ……ッ……最低!!
 ぞわぞわっと身体中に憎悪と嫌悪が入り混じった不快な感情が広まり、ギリっと奥歯を噛み締めてからその手を払う。
 当然、強く睨みつけるのは忘れない。
 ……最低。
 最低よ最低、ホントに最低……ッ……!!

「汚い手で触らないでよ!!」

「ッ……なんだと!!」
「アンタがどんな思いして来たかなんて、そんなの関係ないし聞きたくもない!! みっともないわね……ッ……そんなんだから、女に好かれないのよ!!」
「く……! 宮崎ぃ!!」
「っ……!」
 一瞬、だった。
 かぁっと頭まで赤くした影山が、勢いよく右手を振り上げたのは。

 殴られる……!!

 反射的にそう思い、ぎゅっと瞳を閉じてから腕で顔を庇う。
 絶対痛い。
 ううん、痛いなんかじゃ済まない。
 腫れる。
 切れる。
 血が出る……!!
 そう思ったら、予想以上に身体へ力が入っていた。

 がつっ……!

「やっ……!」
 鈍い音が、すぐここで聞こえて。
 両腕を頭上で絡めるようにしたまま、身体を“く”の字に曲げていた。
「……な……」
 ――だけど……痛く、ない。
 どくどくと鼓動が早まって、すごい勢いで打ち付けているのに。
 ……苦しい。
 だけど……痛くは……ない。
「…………?」
 代わりにと言ってはなんだけど、すぐ目の前に、さっきまでなかったスーツを着た背中がばっちり見えていた。
「なっ……どう……!?」
「……え……?」
 見えなかった。
 その背中が目の前の光景をすべて覆っているから、何もかも。
 ……でも、すぐに聞こえた影山の情けない声は、間違いなく何かを恐れているようで。
「あ……」
 そっとスーツに触れてから向こう側を覗くと、私ではなく、目の前のこの人を驚いた顔で見つめている影山が見えた。
 ……この、人。
「っ……センセ……!?」
 恐る恐る見上げて、こっちまで目が丸くなった。
 だ……だって、だって! だよ!?
 ここに立ってたのは、ほかでもない。
 ウチの隣に住んでいるセンセこと、ドクターその人に違いなかったんだから。
「高鷲先生!? どうしてここに……!」
「……ご存知ですよね? これはもう、れっきとした犯罪ですよ?」
「ッお……俺は……俺は……ッ!」
 怯まず、鋭い眼差しでまっすぐ前を見ていた彼が、口を開いた。
 いつもと同じ調子の、低い声。
 ……だけど。
 そんな様子だからこそ、余計に気になって。
 鞄を持ったままだった彼の腕を、無意識の内に掴んでいた。
「……っ……うわぁあ……ッ!」
「わっ……!」
 あとずさるようにして数歩下がった影山は、勢いよく走り出すと夜道へ消えていった。
 もちろん、このまま逃がしていいのかって思いはあるけれど、それよりもまず彼のほうが気になる……どころの話じゃないから。
 だってそうでしょ!?
「っ……ねぇ! センセ、なんで……!?」
「そう言われてもだな……」
 もーーー、ワケがわかんない! 軽くオカシクなりそう!!
 だって、この人……っ……この人今、私の代わりに殴られたんだよ!?
 庇ったりしたせいで!!
「なんでそんなことしたの!?」
「……いや、だからそう言われても……」
「だって、そうでしょ!? 弱いのに!!」
「っ……はっきり言うんじゃない」
 慌てて彼の正面へ回り、顔を見上げる。
 ……うあ。
 何? そのモロって感じの生々しい傷は。
 ……あー……うー、ああうぅ……。
 私、ダメなのよ。こーゆーのって。
 自分まで、同じ場所が痛くなってきちゃうから。
「っ……なんだ」
「何じゃない! いいから来て!!」
 ぐいっと腕を掴み、強引に階段を上がる。
 後ろから当然のように文句がたくさん聞こえて来たけれど、今はもう、全部ほっとく。
 だって、それどころじゃないでしょ! もう、絶対!
 信じられないったら、信じられないんだから!! もー……!!
「おい宮崎! ちょっと待――」
「いーから早くきてっ!!」
「……あ……ああ」
 この期に及んで、まだ何か言いかけていた彼を一喝し、どんどん階段を上がる。
 ……このときの私はやっぱり……きっとパニックだったんだよね。
 正直言うと、このあたりの記憶が微妙にあやふやだったりするから。


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