「おはよ」
「あ、おは……よう」
ガラガラ声じゃないって思ってたんだけど、どうやら相当ひどかったらしい。
背を向けていたみぃに声をかけると、振り返ってすぐ眉を寄せた。
「ん?」
「ねぇ、穂澄。熱あるでしょ」
「わかんない」
「計ってないの?」
「だってウチ、体温計とかないもん」
そんなハイテクなものは、我が家にございません。
ついでにいうと、風邪薬なんていうものもありません。
だから、朝起きてものすごく喉と頭が痛かったから、とりあえず頭痛薬は飲んできた。
いわゆる、痛み止め。
そのお陰か、今は起きぬけよりも喉の痛みは和らいでいる。
「……ん、冷たくて気持ちいい」
「ねぇ、熱いよ? 保健室行く?」
「や、へーき。だいじょぶ」
「大丈夫じゃないってば!」
ぺたり、と額に当てられたみぃの手が気持ちよくて目が閉じる。
だけど、重たいまぶたを開けたときに心配そうな顔が見えて、へらっと笑いながら手を振っていた。
……う。
頭振ると、キツい。
一瞬ズキンと鋭く痛みが走って、倒れるかと思った。
「あ。でも、保健室行ったら薬貰えるかなぁ?」
「多分……先生くれると思うよ?」
でも、もしかしたらその前に帰れって言われるかも……なんて声が聞こえた途端、ぱっと意識が戻った。
だめ。
帰るわけにはいかない。
だって、今日の4時間目は里逸の授業だもん。
どうせだったらそこまでちゃんと出席してから、帰りたい。
……って、早くも早退前提になってるけど。
「ん。だいじょぶ」
よっこらせ、とばかりに椅子へ座り、重たい身体のせいでゆっくりした動作ながらも、鞄から1時間目の教科書と筆記用具を取り出す。
んー。座ると、だいぶ楽。
逆に、座らないと……かなりキツい。
……あー。
さすがに、3時間目の体育は見学かな。
前に貼られている時間割を見ながらため息が漏れ、やっぱり目が閉じた。
「……宮崎。お前、大丈夫なのか?」
「え?」
4時間目のリーディング。
いつものように教室へ入ってきた途端、私を見るなり里逸があからさまに眉を寄せた。
……ばか。
そんな態度取ったら、みんなに怪しまれるじゃん。
この関係がバレちゃったら元も子もないんだから、たとえ私が顔にアザ作っていようとも、知らんぷりで授業すればいいのに。
「大丈夫です」
指名されたあとの質問に、ひと呼吸置いてから手を振って座る。
椅子の感触が冷たくて気持ちいいなんて、やっぱりどうかしてるらしい。
いつもだったら、『せっかく温まったのに!』なんて思うところだもん。
「顔色があまり良くないぞ」
「……だいじょぶだってば……」
これがもしほかの子だったらきっと、『そうか』で済ませるか、そもそも最初から見て見ぬふりをしたんじゃないかな。
そう思うから、構ってもらえたことは嬉しいしありがたいけれど、『大丈夫じゃないです』って答えたら、どうするつもりなの?
みんなの前で介抱してくれる?
……まったく。
そういう気遣いできるなら、なんで昨日のあのふたりきりのときにしてくれないのかな。
「…………はぁ」
ようやくほかの子が指名されたのを聞きながらため息をつき、頬杖をつく。
授業終了まで、あと40分弱。
願わくばどうか、これ以上里逸が私を心配そうに見ませんように。
教室内に響く声を聞きながら目を閉じると、そのまま意識が途切れてしまいそうな気もした。
「………………」
いらっしゃいませー、とか。
ありがとうございましたー、とか。
いつもだったら誰よりも声を出して、誰よりもにこにこ愛想をふりまくけれど、今日はだめ。
もうホント、無理。
何度かマネージャーにも心配されてしまい、そのたびに一応の笑顔で手は振った。
でも、絶対バレてるよね。
相当具合悪い、って。
結局『今日は18時で帰りなさいね』なんて言われてしまい、それ以上は何も言えなかった。
迷惑かけたことも悔しいし、体調管理できなかった自分が情けない。
でもそれ以上に、『大丈夫です』ばかり言ってたせいでみんなに迷惑をかけていたと今ごろわかり、反省するしかできなくてツラかった。
「……はー」
1度しゃがむと、なかなか立ち上がれない。
……しまったなー。
うっかり座っちゃうんじゃなかった。
洗車のあとに使える乾いたウエスをコンテナに入れて運んでたんだけど、途中で休憩はやっぱりマズかったらしい。
よいしょ、と気合を入れて立ち上がってから、鈍く痛む腰に手を当てて――……コンテナを持ち上げる。
そのとき、ズキンとこめかみが痛んで、思わず眉を寄せていた。
「……どうしてまっすぐ帰らないんだ……!」
「え? ……あ」
なんだかやたら不機嫌そうな声が聞こえたなと思ったら、そこには里逸が立っていた。
その後ろには白のアクセラも見えたけど、給油しようとしていたのか、もう給油が終わったのかは、ちょっとわからない。
「何してるの?」
「それはこっちのセリフだろう!」
「……なんで?」
また咳き込んでしまいそうになった喉をごまかすために咳払いをしてから近づき、コンテナを下ろす。
すると、これまで見たよりもずっと厳しい顔つきで腕を組んだ。
「倒れたらどうするんだ!」
「倒れないもん」
「……お前は……。どれだけ心配させれば気が済む!」
「別に……心配してほしくてやってるわけじゃないし」
ていうか、こんな場所で大声出さないでよ。
附属高の子に見られたらどうするの?
……ってまぁ、そのときはきっと『バイトを咎められてる誰か』に見えるだろうから、いいけど。
「夕飯、何がいい?」
「……え?」
「なんでも食べたいものを買ってやる」
「ッ……馬鹿にしないでよ……!!」
「な……っ」
ため息をついたあとで里逸が私をまっすぐ見たけれど、言われた言葉で瞬間的に頭へ血が上った。
いわゆる、カッとなって……ってこういう状態なんだ。
まったく掠れもせずに出た声に、自分でも驚く。
「ごはんくらい、自分でなんとかするし。別に世話焼いてもらおうなんて、これっぽっちも思ってない」
「しかし……!」
「っ……里逸は何もわかってない……!!」
ぎり、と噛みしめた奥歯が鈍く鳴り、視線も彼から落ちた。
いつしか握りしめていた手に入った力のせいで、爪が食い込む。
だけど、痛いとかよりも先に悔しさがあって。
『なんでそんなこと言うわけ?』としか、今の私には思えなかった。
「私が欲しいのはね、そんな誰にでもかけてやれるような当たり前の言葉じゃないの!」
「何?」
「っ……いーわよ。もう。心配してないのが、よーっくわかったから、もういい」
ここでようやく視線が合った。
瞳を細めて睨みつけ、咳が出そうになるのを必死にこらえる。
ここで咳なんかしたくない。
心配なんてされたくない。
これ以上、どうにもならないことをとやかく言われても、嫌なだけだ。
「帰って。自分のことくらい自分でなんとかするから」
「穂澄!」
「いいから! 仕事の邪魔! 帰って!!」
キッと睨みつけて家の方向を指さし、くるりと背を向ける。
もう知らない。
ていうか、これ以上ああだこうだ言い出したら、ホント、口利かないじゃすまないから。
コンテナを持ち直して使い終えたものと交換すべく、作業スペースへ足を向ける。
すると、しばらくして背後でエンジンの音が響き、顔だけを向けてみると白のアクセラが通りへと左折していくのが見えた。
「……もー……ほんっと、ばかなんだから」
頭いいのか悪いのか、わかんない。
なんなんだろう、あの人。
確かに、私を心配してくれてるっていうのはわかるし、ありがたい。
でも、だからって――……。
「……ばか」
やっぱり何もわかってないじゃない。
私が欲しいのは、栄養のあるごはんじゃないのに。
……もしかしたら、言わなきゃ気づかない人なのかもね。
ちょっとだけ期待してしまった自分にため息をついて事務所へ向かうと、時計はもうじき18時を指すところだった。
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