「…………」
 家を出たときとは違い、足取りはとても重たかった。
 理由はひとつ。
 この――……右手にある、モノのせい。
「…………はぁ」
 まるで嵐のように去っていったソウが『付き合え』と言った場所は、ドラッグストアだった。
 ちょっと買い物してくる、と言い残したヤツは、ものの数分で戻ってきた。
 が、しかし。
 なぜかやたらと満面の笑みを浮かべたまま小さな紙袋を手にしていて。
 何事かと見ていたら、運転席に座ったままだった俺にそれを差し出した。
 『これ、やるよ』とひとこと添えて。
 ソウに何かを貰う理由もないため当然断ったが、ヤツが言った『彼女のために』というひとことで、つい気が緩んだのかもしれない。
 わずかに開けていた運転席の窓からねじりこまれたソレが音を立てて足元に転がり、拾おうと身をかがめた隙に、ソウは自分の車に乗り込むとクラクションひとつ残して走り去っていった。
「…………」
 今度会ったら覚えておけ。
 内心そう強く思いながらも、結局車に残しておくこともできず持ち帰るしかなかった。
 だいたい、こんなもの俺にどうしろというんだ。
 家に持ち帰っても、収納場所がなくて困るだけなのに。
 ましてや、こんなモノを持っていることを穂澄に知られでもしたら、間違いなく……勘違いされるに違いない。
 いや、むしろ軽蔑されることだろう。
 『何考えてんの!? 里逸がそんな人だと思わなかった!』
 そのあとに続く言葉は、最低とか最悪とか信じられないとか、そのあたりで間違いない。
 ……本当に参った。
 別に、現物を見たことがないわけでもなければ、知識として持ち得ていないわけでもない。
 それでも、俺が自分でこれを買うことはこれまで当然一度もなかったし、そこまでの興味もなかった……といえば半分くらいは嘘になるかもしれないが、よもやこのような形で手に入れるなどとは少なくとも思っていなかった。
「…………はぁ」
 時間はすでに17時半。
 夕方には帰ると告げてあるうえに、もう部屋の前の階段まで帰ってきてしまった以上、どこにいくこともできない。
 ……さて。
 果たして、これをどこにしまいこめば、穂澄の目につかないで済むか。
 玄関の鍵を取り出しながらそれしか考えられなかったものの、結局はここぞという場所が思い浮かばないままドアを開けるしかできなかった。

「あ、おかえりー」
「っ……」
 キッチンにいた穂澄がこちらを振り返り、満面の笑みを浮かべた。
 が、しかし。
 なぜか今の穂澄はいつもとまったく違う髪型をしていて、ドアを閉めることも忘れて棒立ちになる。
「もー。里逸、寒いってば! ドア閉めてよー」
「あ……ああ。すまない」
 おたまを持ったまま唇を尖らせたのを見てから、ようやく指摘されたとおりにドアを閉める。
 だが……な。
 いったいぜんたい、なぜこれまで見たこともないような髪型をしているのかがわからず、喉が鳴る。
「……穂澄」
「ん? なーに?」
 土鍋に入っている澄んだ汁の味見をしている彼女の隣へ行き、しげしげを見下ろしてみる。
 が、普段はほとんど見えないうなじが露わになっており、視線が容易に逸れてはくれなかった。
「お前……その髪型はどうした」
「え? あ、これ?」
 ようやく視線を逸らしながら訊ねると、なぜかやたらと嬉しそうに俺を見上げた。
 そもそも、今日の格好もどうかとは思うんだがな。
 エプロンの下に着ているのは、ざっくりと肩口が大きく開いている淡いピンクのセーターと丈の短いショートパンツ。
 そこへいつものようにニーハイという丈の長い靴下を履いているのだが、その色っぽさと髪型とのギャップに正直、正視しにくいというか……できないじゃないか。
「これねー、お兄ちゃんに勧められたの」
「……何?」
 これまでに何度か聞いたことのある“兄”からの言葉だと聞き、眉が寄る。
 その髪型と穂澄の兄と、どういう関係があるのかさっぱりわからないが、なぜか嫌な予感がした。
 なぜか…………理由は、わからないが。

「ツインテールにしたら、カレシが相当喜ぶぞって言われたの」

 にっこりと微笑んだ穂澄がわずかに首をかしげた途端、結んだ髪がさらりと揺れて首筋を撫でた。
 ……ああ、なるほど。
 そういえばたまに、そういう幼い子どもみたいな髪型をしている生徒を見るな……とは思ったんだが、そういう名前だったのか。
 しかし――……だな。
 普段は大人びていて、まったく幼さがうかがえないような穂澄ながらも、こういう髪型になると、なぜか途端に幼く見えるから不思議だ。
 というか…………これじゃまるで、本当に……。
「っ……なんだ」
「ねぇ。里逸って、別にロリコンとかってわけじゃないよね?」
「な……っ!」
「ね。どおどお? この髪型。かわいくない?」
 振り返った穂澄が腕を掴み、距離を縮めた。
 途端に身体が触れ、ごくりと喉が動く。
 ……誰がLoliconか。
 失礼にもほどがある――……が、よもやひと回り年下の相手を彼女にした時点で、世間からはそう見られるのだろうか。
 自分は社会人になってそれなりに経つ男で。
 なのに相手は…………18歳の女子高生。
「ん? それなーに?」
 ため息をついた途端手に力が入ったらしく、カサ、と紙袋特有の音がして、穂澄が手元を覗いた。
 が――……しかし。
「っ……いや、なんでもない」
「んー? 何よ。何買ってきたの?」
「いや、だから何も……!」
「えー? そーやって隠すとか、怪しくない?」
「っ……だから!」
 疑問系なのかなんなのかわからない喋り方はよせ!
 と訂正させるだけの余裕はなく、急に興味を注ぎ始めた穂澄から逃れるべく、両手で紙袋をかばうようにリビングへ向かう。
 だが、当然あとずさりのままで。
 ……これじゃ、『怪しんでください』と言っているようなものだが、仕方ない。
「別に……っ……なんでもない」
「……そぉ?」
「ああ」
 ふぅん、と言いながらも視線だけは外さないのを内心冷や汗かきつつ眺めながらも、どくどくと鼓動は激しく打ち付ける。
 正直、嘘はつきたくないし嫌いだ。
 なのに、まさか自分でこのような手を使うとはな……。
 リビングに入ってすぐドアを閉めると、自然に隠し場所を目で探し始めていた。


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